エジプトのアブデル・ファタハ・アル・シシ大統領は英政府の招きで4日、ロンドンを訪れた。3日間の滞在中、デービッド・キャメロン英首相をはじめ英政府要人と会談する。軍人出身のシシはこれまでにも現政権の正当性をアピールし国際社会に受け入れられるために、こうした行脚を重ね、外面を取り繕ってきた。
キャメロンと肩を並べてカメラに収まれば、エジプト政界の旧弊な体質を打ち破る改革者のイメージを打ち出せる。人権団体などが告発している凄まじい弾圧をなかったことにして、政権批判を抑え込むことができる。
シシは、エジプト版の「アラブの春」(エジプト革命)を軍事クーデターで叩き潰した人間だ。そのわずか2年前には、ツイッターで「武装」した若者ら多くのエジプト人がカイロのタハリール広場を埋め尽くし、当時のムバラク大統領を辞任に追い込んだ。選挙も行われ、民主化への道を歩み始めていた。だがシシが実権を握ってからは、恐怖と恫喝と抑圧の支配を敷いてきた。エジプト軍は当時国防相だったシシの命令で選挙で選ばれた当時の大統領ムハンマド・モルシを政権の座から引きずり下ろすと、治安回復を口実に活動家ら1000人余りを殺害。何千人もの市民を拘束した。
世論調査では、エジプト人の73%が大量処刑の責任はシシ大統領にあると答えているが、エジプト政府も国際刑事裁判所(ICC)も捜査に乗り出そうとしない。
大量処刑を皮切りに、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが「恣意的な逮捕、拘禁、警察の留置場での痛ましい拷問や死」と呼ぶ人権侵害の嵐が吹き荒れた。広く一般の人々が拷問を告発するなか、政府に批判的なメディアは閉鎖され、昨年の大統領選挙では汚職が横行して、シシは得票率96%以上の「圧勝」を遂げた。
キャメロンは現体制を厳しく非難したが
こうした状況にもかかわらず、英政府は赤いカーペットを敷いて、シシを歓迎する意向だ。
13年にシシが軍事クーデーターを起こした時点では、キャメロンは非民主的な手法を批判し、「真に民主的な政権移行」が必要だと主張していた。キャメロンの手厳しい発言に続き、EU(欧州連合)はエジプト向けの武器輸出の禁止を決定した。しかし予想された通り、強気のレトリックとは裏腹に、禁輸はほとんど形だけのものになった。
EUの禁輸措置では、加盟国はエジプト国内で弾圧に使用される可能性がある武器の輸出を差し止め、軍用機器の輸出許可を再審査し、エジプトへの安全保障上の支援をすべて見直すことになっていた。しかしこの措置には法的拘束力はなく、細目ついては各国の解釈に任された。禁輸実施の期限は設定されておらず、輸出の「差し止め」や軍用「機器」といった言葉の意味や「国内での弾圧」などの定義も明確ではなかった。
当然ながら、メディアの批判が収まるとすぐに、武器輸出は再開され、「体裁を繕うための禁輸」と、活動家に皮肉られる始末だった。英政府が取った措置はその典型だ。イギリスは13年8月、エジプト向けの武器輸出49件を差し止めたが、わずか2カ月後には24件が許可された。許可が完全に取り消されたのは7件にすぎず、お得意様のエジプト軍をほとんど待たせることなく通常通りの武器売却が再開された。
人権問題を批判するのは口先だけで、武器を売りたい本音はみえみえだ。クーデター以後、英政府が認可したエジプト向けの軍事物資の輸出は総額1億3070万ドルに上る。許可リストにはシナイ半島で武装組織対策に使用される戦闘車両の部品6150万ドル、目標指示装置3840万ドルなどが含まれる。
武器展示会には英政府がご招待
英内務省の共催で今年3月に開催された「安全保障・警備展」には、英政府の招きでエジプト軍の代表が来場。英NGO「武器貿易反対キャンペーン(CAAT)」による情報開示請求で、エジプト代表が会場で武器輸出の促進を図る行政機関・英国貿易投資総省国防安全保障機構(UKTIDSO)の代表と会談したことが明らかになった。エジプト代表は今年9月にロンドンで開催された防衛セキュリティー機器国際展(DSEI)にも参加。このときはシシ大統領の首席補佐官も一時的な外交特権を与えられて会場を訪れた。
政治家と軍事産業は何事もなかったかのようにエジプトの軍部と付き合っているが、シシの強権支配は相変わらずで、市民が抑圧される状況は改善されていない。
キャメロンは、シシと写真を撮りながら、シシ政権に殺された人々の家族のことや牢獄で衰弱していくジャーナリストのことを一瞬でも考えるだろうか。つい2年前、エジプトに人権尊重と民主化を要求した自分のことを思い起こすだろうか。
シシが欧米諸国の政治的軍事的な支持を得ている限り、エジプトの人々にとっての状況は何も変わらない。2011年に蜂起した民衆は将来への希望と民主化への欲求に満ちあふれていた。だがそれは、残酷で独裁的な政権に踏みにじられ、欧米諸国はそんな政権を黙認し支え続けている。
*筆者は、イギリスの市民団体「武器貿易反対キャンペーン(CAAT)」のスポークスマン
アンドルー・スミス
キャメロンと肩を並べてカメラに収まれば、エジプト政界の旧弊な体質を打ち破る改革者のイメージを打ち出せる。人権団体などが告発している凄まじい弾圧をなかったことにして、政権批判を抑え込むことができる。
シシは、エジプト版の「アラブの春」(エジプト革命)を軍事クーデターで叩き潰した人間だ。そのわずか2年前には、ツイッターで「武装」した若者ら多くのエジプト人がカイロのタハリール広場を埋め尽くし、当時のムバラク大統領を辞任に追い込んだ。選挙も行われ、民主化への道を歩み始めていた。だがシシが実権を握ってからは、恐怖と恫喝と抑圧の支配を敷いてきた。エジプト軍は当時国防相だったシシの命令で選挙で選ばれた当時の大統領ムハンマド・モルシを政権の座から引きずり下ろすと、治安回復を口実に活動家ら1000人余りを殺害。何千人もの市民を拘束した。
世論調査では、エジプト人の73%が大量処刑の責任はシシ大統領にあると答えているが、エジプト政府も国際刑事裁判所(ICC)も捜査に乗り出そうとしない。
大量処刑を皮切りに、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが「恣意的な逮捕、拘禁、警察の留置場での痛ましい拷問や死」と呼ぶ人権侵害の嵐が吹き荒れた。広く一般の人々が拷問を告発するなか、政府に批判的なメディアは閉鎖され、昨年の大統領選挙では汚職が横行して、シシは得票率96%以上の「圧勝」を遂げた。
キャメロンは現体制を厳しく非難したが
こうした状況にもかかわらず、英政府は赤いカーペットを敷いて、シシを歓迎する意向だ。
13年にシシが軍事クーデーターを起こした時点では、キャメロンは非民主的な手法を批判し、「真に民主的な政権移行」が必要だと主張していた。キャメロンの手厳しい発言に続き、EU(欧州連合)はエジプト向けの武器輸出の禁止を決定した。しかし予想された通り、強気のレトリックとは裏腹に、禁輸はほとんど形だけのものになった。
EUの禁輸措置では、加盟国はエジプト国内で弾圧に使用される可能性がある武器の輸出を差し止め、軍用機器の輸出許可を再審査し、エジプトへの安全保障上の支援をすべて見直すことになっていた。しかしこの措置には法的拘束力はなく、細目ついては各国の解釈に任された。禁輸実施の期限は設定されておらず、輸出の「差し止め」や軍用「機器」といった言葉の意味や「国内での弾圧」などの定義も明確ではなかった。
当然ながら、メディアの批判が収まるとすぐに、武器輸出は再開され、「体裁を繕うための禁輸」と、活動家に皮肉られる始末だった。英政府が取った措置はその典型だ。イギリスは13年8月、エジプト向けの武器輸出49件を差し止めたが、わずか2カ月後には24件が許可された。許可が完全に取り消されたのは7件にすぎず、お得意様のエジプト軍をほとんど待たせることなく通常通りの武器売却が再開された。
人権問題を批判するのは口先だけで、武器を売りたい本音はみえみえだ。クーデター以後、英政府が認可したエジプト向けの軍事物資の輸出は総額1億3070万ドルに上る。許可リストにはシナイ半島で武装組織対策に使用される戦闘車両の部品6150万ドル、目標指示装置3840万ドルなどが含まれる。
武器展示会には英政府がご招待
英内務省の共催で今年3月に開催された「安全保障・警備展」には、英政府の招きでエジプト軍の代表が来場。英NGO「武器貿易反対キャンペーン(CAAT)」による情報開示請求で、エジプト代表が会場で武器輸出の促進を図る行政機関・英国貿易投資総省国防安全保障機構(UKTIDSO)の代表と会談したことが明らかになった。エジプト代表は今年9月にロンドンで開催された防衛セキュリティー機器国際展(DSEI)にも参加。このときはシシ大統領の首席補佐官も一時的な外交特権を与えられて会場を訪れた。
政治家と軍事産業は何事もなかったかのようにエジプトの軍部と付き合っているが、シシの強権支配は相変わらずで、市民が抑圧される状況は改善されていない。
キャメロンは、シシと写真を撮りながら、シシ政権に殺された人々の家族のことや牢獄で衰弱していくジャーナリストのことを一瞬でも考えるだろうか。つい2年前、エジプトに人権尊重と民主化を要求した自分のことを思い起こすだろうか。
シシが欧米諸国の政治的軍事的な支持を得ている限り、エジプトの人々にとっての状況は何も変わらない。2011年に蜂起した民衆は将来への希望と民主化への欲求に満ちあふれていた。だがそれは、残酷で独裁的な政権に踏みにじられ、欧米諸国はそんな政権を黙認し支え続けている。
*筆者は、イギリスの市民団体「武器貿易反対キャンペーン(CAAT)」のスポークスマン
アンドルー・スミス