今の日本は、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなどの性的少数者)にとってカミングアウトしやすい社会と言えるのか。
東京都渋谷区は11月5日、同性同士のカップルのパートナーシップを公認する「パートナーシップ証明書」の交付を開始した。ここ10年ほどで日本のLGBTを取り巻く状況が変わってきたことを象徴するニュースだろう。
一方で今の日本社会を見渡すと、LGBTの存在が十分に可視化されているとは言いがたいのもまた事実だ。「親友や家族にLGBTがいる」と答える人が65%に上るアメリカと、何が違うのか。
ジャーナリストでゲイを公言している北丸雄二は、東京新聞ニューヨーク支局長を経て23年前にそのままニューヨークに移住。90年にゲイ小説の金字塔と言われる『フロント・ランナー』(パトリシア・ネル・ウォーレン著)を訳出して以来、ニューヨークを拠点に世界のLGBTの人権問題の取材を続けてきた。本誌・小暮聡子(ニューヨーク支局)が北丸に話を聞いた。
――実際のところ、日本はカミングアウトしやすい状況なのか。しやすいように変わってきているのか。
日本社会というのは、アメリカと違って論争もしないし主張もしない。黙っていれば分からないけど、それでもなんとなく生きていける。日本はアメリカと違ってゲイには優しい社会だから、黙っていても生きていけるという言説さえある。でもゲイに優しい社会だったら、もっとカムアウトしやすいはずだ。なのにみんな、カムアウトしていない。
私は、隠れていたら人間として生きていることにならないと思っている。もちろんみんな秘密は持っているけど、自分のアイデンティティー、つまり自分を受け入れないことには、それは人間じゃないよということがアメリカでは構築されてきた。アメリカでは60年代~70年代にゲイ解放運動があり、80年代にはエイズ問題を契機に啓発運動が起きて、ゲイについての価値観をみんなで共有するようになった。学校でゲイに対する偏見について教えられたり、テレビや映画、ニュースでもゲイに関する情報が増えてきた。
今の20歳、つまり1995年生まれというのはそういう情報に囲まれて育ってきた世代だ。95年というのはエイズが死の病じゃなくなって、カムアウトしやすくなったとき。「反ゲイ差別」という言説が社会にちゃんと浸透しているから、周りにカミングアウトしている人もたくさんいる。2013年のアメリカの世論調査では、回答者の3分の2である65%が親友や家族にゲイかレズビアンがいると答えている。生身の隣人としてのLGBTが周りにいるという時代が作られてきた。
しかし、日本ではなかなかカムアウトしない。ゲイやレズビアンはあくまでテレビの中の存在で、エンターテインメントとしてキャラクター化されるだけで全人格として描かれていないから、生身の人間として存在する人たちのことを本気で考えない。そういう状況が今も続いている。
――私は女子高育ちだからか、レズビアンの友達が複数いる。だが周りのストレートの友人に聞くと、ゲイやレズビアンの友達は1人もいないと言われる。それって、おかしくないか。友達が10人や20人いたら、必ずその中に1人はいるはずだ。言わないということは、本当の友達とは言えないのでは。
それは、その人がゲイやレズビアンの人にとってカムアウトすべき対象ではないということ。カムアウトするに足る、カムアウトする価値のある友達ではないということだろう。もしくは、カムアウトするのが怖いくらい大切な友達という場合もある。お互いに、ゲイとかレズビアンって言っていいのかな、聞いていいのかな、とすくみあっている。そういった空気が変わらないとカムアウトしづらいし、カムアウトされづらい。でも誰かがブレイクスルーしなきゃいけない、というのがアメリカ社会だった。
――日本人は表面上だけでも付き合っていける社会ということなのか。裸の付き合いになるまでが長いとか......。
それもあるし、もう1つには、日本は身内社会だということ。身内か、それとも赤の他人か。身内になったらみんな仲良しだが、赤の他人には話しかけもしないし、ジャガイモと一緒(笑)。一方でアメリカには、個人と公共(パブリック)の空間というのがあって、公共の空間では個人と個人が交流できて、市民社会が成り立っている。日本にはアメリカのような公共の空間がないから、カムアウトしづらいところがある。赤の他人の空間に出て行ってカムアウトしたってしょうがないし。アメリカのように、みんながつながっている公共の場に出て行ってカムアウトして、そこでサポートを得ることができない。そういう社会構造の違いがある。
自分は「ホモ」ではなかったが、「ゲイ」の定義がまだなかった
――ストレートの側から、「ゲイですか?」と聞いていいのだろうか。
もちろん聞いていい。だけど、言う覚悟が出来ている人とそうじゃない人はいる。あとは、聞かれたときにその人がどんな意味で聞いているのかは何となく分かる。興味本位で聞いているのか、本当の友達になりたくて聞いているのか、自分に興味があって聞いているのか。普段の付き合いや仕事ぶりからも、その人がどんな人かは分かる。差別や偏見を持っている人なのか、そうではないのか。ゲイなのって聞いてもいいけれど、そこで言うかどうかはその人の個性もあれば、聞いている人間に対する評価も入る。
自分と一番仲の良い親友が本当はゲイかもしれないのに、それに気付かない人もいる。日本はそういう可能性を排除しているというか、そういう発想に至る回路がなかった。日本でゲイと言うとみんな「オネエ」だったり、お笑いで仕込んだイメージだったり。でも本当は、そんなゲイばかりではない。ニューヨークにいると、ゲイっていってもイケメンもいればお父さんもいるし、エロい親父もいるし、異性愛者と同じで色々な人間がいる。ゲイが可視化されていて、目に見えるサンプル数が多いから、ゲイの正しい定義を学習できる。日本には学習する機会がない。
数十年前の日本を振り返ると、ネットもないし、ゲイやレズビアンについての情報がなかった。リアルタイムで「ストーンウォールの反乱」(編集部注:1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で警察と同性愛者の間で乱闘騒ぎが起き、ゲイ解放運動の転換点になった事件)を報じているメディアは一社もなかった。僕が新聞記者時代に初めてストーンウォールについて書いたときは、資料室で過去の資料をあさりながらだった。
その後に、ニューヨークのゲイパレードが「ホモたちの祭典」「ホモたちのパレード」などと報じられるようになった。80年代後半にエイズの問題が持ち上がって、僕もエイズ報道にかこつけて色々なことを書き始めた。その頃に、「ホモ」をやめて「ゲイ」という言葉を使いましょうとなってきた。
――北丸さんご自身は、いつ自分がゲイだと気付いたのか。
自分はゲイだと決めたのは80年代、30歳過ぎてから。当時は自分を定義する言葉がなくて、特に日本の場合は自分で作っていかなきゃならなかった。「ゲイ」という言葉は日本では奪われていて、「ホモ」という言葉が流布されていた。自分は「ホモ」では絶対になかったが、「ゲイ」の定義もまだ作られていない時代だった。
自分は男の子が好きだというのは、思春期から分かっていた。札幌での高校時代、女の子と付き合っていながら男の子を好きになったが、周りには男を好きという子が1人もいなかった。良い友達が多かったので、周りの友達には男が好きだと言っていた。自分が好きな男の子には言えなかったけど(笑)。同性愛に関してはとにかく情報がなかった。異常性愛、性的倒錯という情報しかなかった。そうではなくて、これが同性愛なのかなとは思っていたが、30歳を過ぎてから「俺はゲイなんだ」と分かった。
新聞社で働いていたときも、デスクとか先輩に自ら自分はゲイだと言っていた。そういう記事をたくさん書いてたから。当時ゲイについて書くときには、エイズの話とか、読者が読みたいと思うような問題に絡めて書いていた。ゲイというのは男らしくないというイメージがあるから、男性記者は書きたがらない。書いたら自分がゲイだと思われるかもしれないし。だから当時ゲイ問題を書いていたのは圧倒的に女性記者だった。彼女たちはもともと女性としての大きなスティグマを背負っているから、ゲイ問題にも共感的。
でも今の若い記者は、男性でも帰国子女が多かったり、情報がアップデートされていてまったく偏見がない。この5年くらいでかなり変わった。いったん歯車が動き出すと全部動き出すというのが、やっと今始まっているような感じがする。
アメリカの場合も社会全体が変わったということではなくて、情報がアップデートされた世代が社会の多数派を占めるようになってきているだけだ。オバマ大統領を当選させた若い世代が、社会全体の層を底上げしている。
時代はカミングアウトする方向にしか行っていない
――今の日本はLGBTにとって暮らしやすい社会なのか。
暮らしやすいならもっとカムアウトしているはず。黙っていて、世間と波風立てないように生きていくのが幸せなのか。もっとオープンに堂々と生きていくのが幸せなのか。それは個人の人生観だ。だがその人生観はどういう風に育てられたか、どういう友達がいたのかによって変わってくる。黙っていても幸せなのかもしれないけど、いったんその「幸せ」を疑い始めたらものすごく不幸なことだ。
カミングアウトというのは、むやみやたらに「自分はゲイだー!」と公表することではない。どこまでカムアウトしなければいけないのか、という話がある。今の若いゲイたちは、昔のように素性を隠したりせずにゲイの友人を自宅に呼んでホームパーティーをしている。これも立派なカミングアウト。時代はカムアウトする方向にしか行っていないし、カムアウトしない方向に逆戻りすることは絶対にない。コミュニティーの中でカムアウトしていればいいし、それをやっていれば次の段階としてコミュニティーの外にも言うは必ず出てくる。コミュニティーの外でも言うかどうかは、個人の自由だ。
カミングアウトとは何なのか。それは、まずは自分で自分のことを認めるということだ。自分が自分に対してカムアウトすること。それが最初のステップで、そうすると次に必ず誰かに言いたくなるし、誰かに言ってもいいやと思うし、誰かに言った上で付き合いたいなという風に必ず動き出す。自動的にそうなっていく。まずは自分が自分に誇りを持ってアウトすること、これがカムアウト。
自分自身にカムアウトする、受け入れる。その心理的なステップには色々あるが、例えばキリスト教徒だとしたら罪(自分がゲイであること)を許す、ということかもしれない。その次に、アクセプトする、受け入れるという段階。仕方がないんだ、と受け入れるのではなくて、ポジティブにアクセプトする。自分はこれでいいんだ、と受け入れる。そうすると、今度は「プラウド(誇り)」という言葉が出てくる。自分が自分であることに誇りを持つ。セルフエスティーム(自尊心)を持つ。
こういったステップは人によって違うし、途中でいじめられることもあるかもしれないけど、それはいじめられる方が悪いんじゃなくて、いじめるほうが悪いんだという社会を作っていかなければならない。ゲイの人権運動というのは、そんな運動をしなくてもいいようになるのが究極の目的だ。
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※当記事は2015年11月10日号
p.44からの「LGBT特集」の関連記事です。
<特集の収録記事>
・アメリカ:LGBTの終わらない闘い
・日本:変化の風が吹き始めた
・Q&A:レズビアンタレントの一ノ瀬文香に聞く
小暮聡子(本誌記者)
東京都渋谷区は11月5日、同性同士のカップルのパートナーシップを公認する「パートナーシップ証明書」の交付を開始した。ここ10年ほどで日本のLGBTを取り巻く状況が変わってきたことを象徴するニュースだろう。
一方で今の日本社会を見渡すと、LGBTの存在が十分に可視化されているとは言いがたいのもまた事実だ。「親友や家族にLGBTがいる」と答える人が65%に上るアメリカと、何が違うのか。
ジャーナリストでゲイを公言している北丸雄二は、東京新聞ニューヨーク支局長を経て23年前にそのままニューヨークに移住。90年にゲイ小説の金字塔と言われる『フロント・ランナー』(パトリシア・ネル・ウォーレン著)を訳出して以来、ニューヨークを拠点に世界のLGBTの人権問題の取材を続けてきた。本誌・小暮聡子(ニューヨーク支局)が北丸に話を聞いた。
――実際のところ、日本はカミングアウトしやすい状況なのか。しやすいように変わってきているのか。
日本社会というのは、アメリカと違って論争もしないし主張もしない。黙っていれば分からないけど、それでもなんとなく生きていける。日本はアメリカと違ってゲイには優しい社会だから、黙っていても生きていけるという言説さえある。でもゲイに優しい社会だったら、もっとカムアウトしやすいはずだ。なのにみんな、カムアウトしていない。
私は、隠れていたら人間として生きていることにならないと思っている。もちろんみんな秘密は持っているけど、自分のアイデンティティー、つまり自分を受け入れないことには、それは人間じゃないよということがアメリカでは構築されてきた。アメリカでは60年代~70年代にゲイ解放運動があり、80年代にはエイズ問題を契機に啓発運動が起きて、ゲイについての価値観をみんなで共有するようになった。学校でゲイに対する偏見について教えられたり、テレビや映画、ニュースでもゲイに関する情報が増えてきた。
今の20歳、つまり1995年生まれというのはそういう情報に囲まれて育ってきた世代だ。95年というのはエイズが死の病じゃなくなって、カムアウトしやすくなったとき。「反ゲイ差別」という言説が社会にちゃんと浸透しているから、周りにカミングアウトしている人もたくさんいる。2013年のアメリカの世論調査では、回答者の3分の2である65%が親友や家族にゲイかレズビアンがいると答えている。生身の隣人としてのLGBTが周りにいるという時代が作られてきた。
しかし、日本ではなかなかカムアウトしない。ゲイやレズビアンはあくまでテレビの中の存在で、エンターテインメントとしてキャラクター化されるだけで全人格として描かれていないから、生身の人間として存在する人たちのことを本気で考えない。そういう状況が今も続いている。
――私は女子高育ちだからか、レズビアンの友達が複数いる。だが周りのストレートの友人に聞くと、ゲイやレズビアンの友達は1人もいないと言われる。それって、おかしくないか。友達が10人や20人いたら、必ずその中に1人はいるはずだ。言わないということは、本当の友達とは言えないのでは。
それは、その人がゲイやレズビアンの人にとってカムアウトすべき対象ではないということ。カムアウトするに足る、カムアウトする価値のある友達ではないということだろう。もしくは、カムアウトするのが怖いくらい大切な友達という場合もある。お互いに、ゲイとかレズビアンって言っていいのかな、聞いていいのかな、とすくみあっている。そういった空気が変わらないとカムアウトしづらいし、カムアウトされづらい。でも誰かがブレイクスルーしなきゃいけない、というのがアメリカ社会だった。
――日本人は表面上だけでも付き合っていける社会ということなのか。裸の付き合いになるまでが長いとか......。
それもあるし、もう1つには、日本は身内社会だということ。身内か、それとも赤の他人か。身内になったらみんな仲良しだが、赤の他人には話しかけもしないし、ジャガイモと一緒(笑)。一方でアメリカには、個人と公共(パブリック)の空間というのがあって、公共の空間では個人と個人が交流できて、市民社会が成り立っている。日本にはアメリカのような公共の空間がないから、カムアウトしづらいところがある。赤の他人の空間に出て行ってカムアウトしたってしょうがないし。アメリカのように、みんながつながっている公共の場に出て行ってカムアウトして、そこでサポートを得ることができない。そういう社会構造の違いがある。
自分は「ホモ」ではなかったが、「ゲイ」の定義がまだなかった
――ストレートの側から、「ゲイですか?」と聞いていいのだろうか。
もちろん聞いていい。だけど、言う覚悟が出来ている人とそうじゃない人はいる。あとは、聞かれたときにその人がどんな意味で聞いているのかは何となく分かる。興味本位で聞いているのか、本当の友達になりたくて聞いているのか、自分に興味があって聞いているのか。普段の付き合いや仕事ぶりからも、その人がどんな人かは分かる。差別や偏見を持っている人なのか、そうではないのか。ゲイなのって聞いてもいいけれど、そこで言うかどうかはその人の個性もあれば、聞いている人間に対する評価も入る。
自分と一番仲の良い親友が本当はゲイかもしれないのに、それに気付かない人もいる。日本はそういう可能性を排除しているというか、そういう発想に至る回路がなかった。日本でゲイと言うとみんな「オネエ」だったり、お笑いで仕込んだイメージだったり。でも本当は、そんなゲイばかりではない。ニューヨークにいると、ゲイっていってもイケメンもいればお父さんもいるし、エロい親父もいるし、異性愛者と同じで色々な人間がいる。ゲイが可視化されていて、目に見えるサンプル数が多いから、ゲイの正しい定義を学習できる。日本には学習する機会がない。
数十年前の日本を振り返ると、ネットもないし、ゲイやレズビアンについての情報がなかった。リアルタイムで「ストーンウォールの反乱」(編集部注:1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で警察と同性愛者の間で乱闘騒ぎが起き、ゲイ解放運動の転換点になった事件)を報じているメディアは一社もなかった。僕が新聞記者時代に初めてストーンウォールについて書いたときは、資料室で過去の資料をあさりながらだった。
その後に、ニューヨークのゲイパレードが「ホモたちの祭典」「ホモたちのパレード」などと報じられるようになった。80年代後半にエイズの問題が持ち上がって、僕もエイズ報道にかこつけて色々なことを書き始めた。その頃に、「ホモ」をやめて「ゲイ」という言葉を使いましょうとなってきた。
――北丸さんご自身は、いつ自分がゲイだと気付いたのか。
自分はゲイだと決めたのは80年代、30歳過ぎてから。当時は自分を定義する言葉がなくて、特に日本の場合は自分で作っていかなきゃならなかった。「ゲイ」という言葉は日本では奪われていて、「ホモ」という言葉が流布されていた。自分は「ホモ」では絶対になかったが、「ゲイ」の定義もまだ作られていない時代だった。
自分は男の子が好きだというのは、思春期から分かっていた。札幌での高校時代、女の子と付き合っていながら男の子を好きになったが、周りには男を好きという子が1人もいなかった。良い友達が多かったので、周りの友達には男が好きだと言っていた。自分が好きな男の子には言えなかったけど(笑)。同性愛に関してはとにかく情報がなかった。異常性愛、性的倒錯という情報しかなかった。そうではなくて、これが同性愛なのかなとは思っていたが、30歳を過ぎてから「俺はゲイなんだ」と分かった。
新聞社で働いていたときも、デスクとか先輩に自ら自分はゲイだと言っていた。そういう記事をたくさん書いてたから。当時ゲイについて書くときには、エイズの話とか、読者が読みたいと思うような問題に絡めて書いていた。ゲイというのは男らしくないというイメージがあるから、男性記者は書きたがらない。書いたら自分がゲイだと思われるかもしれないし。だから当時ゲイ問題を書いていたのは圧倒的に女性記者だった。彼女たちはもともと女性としての大きなスティグマを背負っているから、ゲイ問題にも共感的。
でも今の若い記者は、男性でも帰国子女が多かったり、情報がアップデートされていてまったく偏見がない。この5年くらいでかなり変わった。いったん歯車が動き出すと全部動き出すというのが、やっと今始まっているような感じがする。
アメリカの場合も社会全体が変わったということではなくて、情報がアップデートされた世代が社会の多数派を占めるようになってきているだけだ。オバマ大統領を当選させた若い世代が、社会全体の層を底上げしている。
時代はカミングアウトする方向にしか行っていない
――今の日本はLGBTにとって暮らしやすい社会なのか。
暮らしやすいならもっとカムアウトしているはず。黙っていて、世間と波風立てないように生きていくのが幸せなのか。もっとオープンに堂々と生きていくのが幸せなのか。それは個人の人生観だ。だがその人生観はどういう風に育てられたか、どういう友達がいたのかによって変わってくる。黙っていても幸せなのかもしれないけど、いったんその「幸せ」を疑い始めたらものすごく不幸なことだ。
カミングアウトというのは、むやみやたらに「自分はゲイだー!」と公表することではない。どこまでカムアウトしなければいけないのか、という話がある。今の若いゲイたちは、昔のように素性を隠したりせずにゲイの友人を自宅に呼んでホームパーティーをしている。これも立派なカミングアウト。時代はカムアウトする方向にしか行っていないし、カムアウトしない方向に逆戻りすることは絶対にない。コミュニティーの中でカムアウトしていればいいし、それをやっていれば次の段階としてコミュニティーの外にも言うは必ず出てくる。コミュニティーの外でも言うかどうかは、個人の自由だ。
カミングアウトとは何なのか。それは、まずは自分で自分のことを認めるということだ。自分が自分に対してカムアウトすること。それが最初のステップで、そうすると次に必ず誰かに言いたくなるし、誰かに言ってもいいやと思うし、誰かに言った上で付き合いたいなという風に必ず動き出す。自動的にそうなっていく。まずは自分が自分に誇りを持ってアウトすること、これがカムアウト。
自分自身にカムアウトする、受け入れる。その心理的なステップには色々あるが、例えばキリスト教徒だとしたら罪(自分がゲイであること)を許す、ということかもしれない。その次に、アクセプトする、受け入れるという段階。仕方がないんだ、と受け入れるのではなくて、ポジティブにアクセプトする。自分はこれでいいんだ、と受け入れる。そうすると、今度は「プラウド(誇り)」という言葉が出てくる。自分が自分であることに誇りを持つ。セルフエスティーム(自尊心)を持つ。
こういったステップは人によって違うし、途中でいじめられることもあるかもしれないけど、それはいじめられる方が悪いんじゃなくて、いじめるほうが悪いんだという社会を作っていかなければならない。ゲイの人権運動というのは、そんな運動をしなくてもいいようになるのが究極の目的だ。
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※当記事は2015年11月10日号
p.44からの「LGBT特集」の関連記事です。
<特集の収録記事>
・アメリカ:LGBTの終わらない闘い
・日本:変化の風が吹き始めた
・Q&A:レズビアンタレントの一ノ瀬文香に聞く
小暮聡子(本誌記者)