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日本で盛り上がる「反知性主義」論争への違和感 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年11月12日 16時5分

 日本で「反知性主義」という言葉が流行していることも、また、その言葉の使い方について論争があることも承知していました。ですが、その議論の全体に「どこかピンと来ない」感じがあって論評を控えていました。年末に差し掛かるこの時期になって、一部のメディアで「今年の流行語」として取り上げられるなど、さらに多くの議論を呼んでいるようですので、私なりに整理してみたいと思います。

 そもそも「反知性主義」という言葉については、例えば森本あんり氏が、著書『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―』で取り上げたように、アメリカが本家であって、特にアメリカのプロテスタンティズムが持っている「アンチ・エリート」の伝統を指した言葉という理解があります。

 この森本氏の本については、別に間違ったことが書かれているわけではありません。そうではあるのですが、4つの点で「注釈」が必要と思います。

 まず1点目としては、アメリカではこの「反知性主義(anti-intellectualism)」という言葉は一般的には使われていません。当たり前のことですが、そもそもこの形容はかなり強い言い方で、宗教保守派の政治家や、その支持者が自分たちのことを「反知性的」だなどと自称するはずはないからです。また、そのアンチにしても、相手のことを「ここまでひどい言葉」で攻撃することはしません。

 2点目としては、では、この「反知性主義」という言葉はどこから来たのかというと、それはリチャード・ホフスタッターという思想家(コロンビア大学の教授)が1963年に書いた 『Anti-Intellectualism in American Life』(邦訳タイトルは『アメリカの反知性主義』)がオリジナルだと思います。この本は、「知識人であること」と「真に知的であること」の「ズレ」を徹底的に問題にしており、エリートが権威や権力となって堕落することが「アンチ・エリート」の運動を呼びこむ、従って知識人にはさらに一層の自省が求められるという「志(こころざし)の高い」メッセージが込められた本です。

 ですが、ユダヤ人であるホフスタッターは基本的に無宗教の立場で書いていますから、プロテスタントの神学者である森本氏としては、その思想の核の部分に共感した書き方はしていません。この点に関しては山形浩生氏も指摘していますが、森本氏の本を読んだだけでは、「本家」のホフスタッターの思想はあまり伝わってこないという点に注意する必要があります。

 3点目は、森本氏は政治や社会との関係については、あまり書いていないということです。例えば、アメリカの「反知性主義」が暴走したと言って良い「マッカーシズム(赤狩り)」や、9・11後の「宗教保守派の支持による戦争遂行」などへの詳しい言及を期待すると肩透かしを喰らいます。また、黒人教会の問題や、カトリックの伸張、無宗教の拡大といった現在進行形の問題も扱われていません。

 4点目は、これが一番重要なのですが、森本氏は「アメリカのプロテスタンティズムにおける反知性主義は、俗化したエリート主義を是正するというプラスの効果を持つ」という基本的に肯定的な立場で書いています。ですが、その主旨については、エピローグの部分で控えめに主張されているだけですし、本の副題にある「熱病」という表現の効果もあって「悪しき反知性主義の本家はアメリカのキリスト教」という、まるで「『貧困大国』批判」のような「反米本」として誤読される可能性が否定できません。

 森本氏の本は面白く書かれていますが、以上のような注釈が必要だと思います。

 このように今年の流行語になった「反知性主義」という言葉については、アメリカにおける「キリスト教によるアンチ・エリート主義」を批判する姿勢というのが「絶対的なオリジナル」ということも言えないのです。何よりもアメリカでは広く社会的に使われている表現ではないからです。

 では、今年日本で使われた「反知性主義」という言葉については、どう考えたら良いのでしょうか? 上記のように「アメリカ由来というオリジナルを無視して使うのは間違い」という批判は、必ずしも絶対ではないと思うのですが、それとは別の意味で、この「反知性主義」という言葉が使われる状況については、警戒をした方が良いと思います。

 今年の日本に限って言えば、「反知性主義」という言葉が使われる局面というのは「イデオロギー上の論敵の中にある感情論に対して敵意を持つ」ことであり、それ以上でも以下でもないように思います。その敵意自体も相当程度に感情論であることが多く、結局は感情論の衝突・炎上ということになっているケースが目立っています。

 もっと言えば、「お前は反知性主義だ」とか「お前こそ反知性主義だ」と言って罵倒し合うような場には余り知性はない、そう考えて距離を置いて見るべきなのでしょう。そう考えると、「今年の流行語」として年末に取り上げるのは、ふさわしくないように思います。

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