舞台は、雑種犬にだけ重税を課すという法律が施行されたある都市。主人公は、周囲にうまく馴染めない13歳の少女。そして250匹の犬たちが起こす反乱――。サスペンスであり、ドラマであり、ダークファンタジーともいえる異色作『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(ハンガリー、ドイツ、スウェーデン合作)が日本公開される(21日から全国ロードショー)。
両親が離婚し、学校で所属するオーケストラでは問題児扱いされ、どこにも居場所がなく孤独なリリ(ジョーフィア・プショッタ)にとって唯一の心のよりどころは愛犬のハーゲン。だがある日、威圧的な父親に反抗したせいでハーゲンを捨てられてしまう。リリは必死に探し回るが見つからず、その間にもハーゲンは野犬狩りに遭遇し、裏社会の闘犬へと駆り出され、やがて仲間とともに人間に復讐しようとする。
昨年のカンヌ国際映画祭では「ある視点」部門グランプリと、パルムドッグ賞(最も優れた演技をした犬に贈られる非公式の賞)をW受賞している。監督としてのキャリアは比較的長いが、日本公開は本作が初めてというハンガリーのコーネル・ムンドルッツォ監督に話を聞いた。
――タイトルの「ホワイト・ゴッド(White God)」は何を意味しているのか。
南アフリカ出身の作家J・M・クッツェーの『恥辱』という作品から思い付いたものだ。彼はその中で、「ホワイト・ゴッド」を白人のこととして描いている。世界を植民地化し、支配する人間として表現されていて、それがすごく面白く感じられた。この映画の内容と直接関係がないと思われるかもしれないが、深いところではつながっているのではないか。
もう1つには、犬の視点がある。犬にとって人間は神のようなもの。犬は人間を、人間が自分自身を愛しているよりも愛しているかもしれない、ということが書かれている。
クッツェーはまた、人間はどう生きるのかということに自ら責任を持てるはずだとも言っている。人は寛容にも不寛容にも、人間らしくも非人間的にもなれるものだ、と。それもインスピレーションになった。
2000人の中から見つけたというリリ役のプショッタ(右)とムンドルッツォ監督(中央) 2014©Proton Cinema, Pola Pandora, Chimney
――犬たちの反乱と、大衆の蜂起を重ね合わせているようだが、今の政治情勢に怒りを感じているところがあり、それを映画で表現したかったのか。
そうだ。
――欧州では難民流入が問題となっており、一方で移民・難民の受け入れに反対する極右勢力の台頭なども顕著だ。例えば、欧州は以前より寛容でなくなっていると感じるか。
(*編集部注:インタビューは、パリ同時多発テロの前に行われた)
ヨーロッパは間違いなく、以前より寛容でなくなっている。ハンガリーの右派政権は単なる右派というより極右に近い。難民が入国できないように国境を閉鎖していることなどは、本当に恥ずかしく思う。
今の状況を見ていると、共産党時代を思い出す。かつてはオーストリアとハンガリーの間にあった「鉄のカーテン」が、今は難民がやって来る南方にあるように感じる。すごく悲しいことだ。柵や壁を築くことが何の答えにもならないことを、みんな分かっているのに。
――『ホワイト・ゴッド』は、SF映画『猿の惑星』やヒッチコック監督の『鳥』を想起させるという論評もあったが、あなたが着想を得た動物映画はあるか。
『鳥』をイメージしたということはない。どちらかというとスティーブン・スピルバーグの『E.T.』や『未知との遭遇』、『ジュラシック・パーク』などのほうが影響はあったかも。というのも、この映画は僕にとってスリラーではなく、寓話なんです。
例えば『鳥』は未知の敵、未知なるものに対しての恐怖の感情が作品の推進力となっていく。それに対して、『ホワイト・ゴッド』ではモラルを持っているのは動物のほう。そういう意味で、人間性の真実みたいなものを描いているのが『ホワイト・ゴッド』だと思う。
200頭以上の犬たちがトレーニングを受けて撮影に参加した 2014©Proton Cinema, Pola Pandora, Chimney
――リリは周囲との関係はすごく不安定だが、犬からすれば従うべき存在になっている。彼女が象徴しているものは?
われわれの純粋さ。特に、規則などの下で簡単に失われてしまう純真さを象徴している。
そのリリ役だが、探すのにはすごく苦労したんだ。大がかりなキャスティングをして、2000人くらいの女の子に会って。ジョーフィア・プショッタは友達の付き添いでオーディションに来ていた。友達の後ろに何の興味もなさそうにいた彼女を見て、「ちょっと試してみない」と誘ったが、「ノー、映画なんて出たくない」と言われた。
それでも写真や動画を撮らせてもらい、素晴らしかったのでぜひリリをやってほしいと思った。だから、たくさんの花とケーキを持って、彼女のお母さんを口説きに行った(笑)。娘さんには才能があるから、絶対にこの役を演じるべきだ、と。
――彼女は女優の道に目覚めた?
まだ14歳と若く、将来を決めるには早いから、どうなるか分からないだろう。本当にいい女優だけど、こちらの考えを押しつけたくはないし。それにハンガリーの映画業界はそれほど大きくはなくて、アメリカのように子役で出演したら次の作品にすぐ声がかかるという状況でもない。
――これまでのあなた自身の人生で、犬との関わりはあったのか。
犬は大好きだし、子供の頃から犬を飼っていた。犬との思い出はたくさんあるよ。今は都市部に住んでいるので、一緒に暮らすことが難しいが。
犬を演出するにあたり、2つ決めていたことがある。1つはCGを一切使わず、本物の犬を使うこと。もう1つは、犬に犬自身を演じてもらうこと。だから、良い協力者で仲間になってくれる犬を探さなければならなかったが、それがとても大変だった。
基本的には、野犬収容所にいるような犬を集めた。自分も毎日トレーニングの場に足を運んで彼らと時間を過ごしたりして、作品を作っていった。だからこの映画はフィクションではあるが、ドキュメンタリーに近い作り方をしたと言うこともできる。
――収容施設から連れてきた犬は扱いにくいと思う。なぜ、いわゆるタレント犬を使わなかったのか。
自分にとっては逆に、収容施設にいる犬を使うことがとても重要だった。彼らの顔を見れば、そこにわれわれの伝えたいストーリーが描かれている。目を見れば、この作品の意味が読み取れるからだ。
最初にこのアイデアを周囲に伝えたら、みんなに「無理、無理」って言われた。不可能だと言われまくった。でも1人だけ、ハンガリーでドッグスクールをやっている人が、200頭同時に社交性を持たせることは可能だと言ってくれた。
200頭以上の犬たちがトレーニングを受け、自分たちが経験した残酷な過去を忘れ、それを乗り越えて、われわれと自然に接することができるようになった。まさに奇跡を見ているような感じで、すごくドラマチックだった。撮影後は飼い主探しをやって、今はすべての犬に飼い主が見つかっているよ。
――小さい頃から犬とともに育ってきたというが、今回改めて発見したことはある?
たくさんあった。今ほど犬に親近感を覚えていることはなかったかもしれない。今回は250頭の犬たちの、いわば共同体といえる大きな集団とともに過ごし、人間と犬、犬と犬、それぞれがどんな関係を築けるのかを改めて知ることができた。犬同士が互いに優位に立とうとしたり、闘ったりということもなく、こちらも非常に明るい前向きな気持ちになれた。
彼らは悲しい犬からハッピーな犬になれたし、現場でもみんなで仕事をするのがすごく楽しそうで。僕にとっても一種のセラピーだった。
大橋 希(本誌記者)
両親が離婚し、学校で所属するオーケストラでは問題児扱いされ、どこにも居場所がなく孤独なリリ(ジョーフィア・プショッタ)にとって唯一の心のよりどころは愛犬のハーゲン。だがある日、威圧的な父親に反抗したせいでハーゲンを捨てられてしまう。リリは必死に探し回るが見つからず、その間にもハーゲンは野犬狩りに遭遇し、裏社会の闘犬へと駆り出され、やがて仲間とともに人間に復讐しようとする。
昨年のカンヌ国際映画祭では「ある視点」部門グランプリと、パルムドッグ賞(最も優れた演技をした犬に贈られる非公式の賞)をW受賞している。監督としてのキャリアは比較的長いが、日本公開は本作が初めてというハンガリーのコーネル・ムンドルッツォ監督に話を聞いた。
――タイトルの「ホワイト・ゴッド(White God)」は何を意味しているのか。
南アフリカ出身の作家J・M・クッツェーの『恥辱』という作品から思い付いたものだ。彼はその中で、「ホワイト・ゴッド」を白人のこととして描いている。世界を植民地化し、支配する人間として表現されていて、それがすごく面白く感じられた。この映画の内容と直接関係がないと思われるかもしれないが、深いところではつながっているのではないか。
もう1つには、犬の視点がある。犬にとって人間は神のようなもの。犬は人間を、人間が自分自身を愛しているよりも愛しているかもしれない、ということが書かれている。
クッツェーはまた、人間はどう生きるのかということに自ら責任を持てるはずだとも言っている。人は寛容にも不寛容にも、人間らしくも非人間的にもなれるものだ、と。それもインスピレーションになった。
2000人の中から見つけたというリリ役のプショッタ(右)とムンドルッツォ監督(中央) 2014©Proton Cinema, Pola Pandora, Chimney
――犬たちの反乱と、大衆の蜂起を重ね合わせているようだが、今の政治情勢に怒りを感じているところがあり、それを映画で表現したかったのか。
そうだ。
――欧州では難民流入が問題となっており、一方で移民・難民の受け入れに反対する極右勢力の台頭なども顕著だ。例えば、欧州は以前より寛容でなくなっていると感じるか。
(*編集部注:インタビューは、パリ同時多発テロの前に行われた)
ヨーロッパは間違いなく、以前より寛容でなくなっている。ハンガリーの右派政権は単なる右派というより極右に近い。難民が入国できないように国境を閉鎖していることなどは、本当に恥ずかしく思う。
今の状況を見ていると、共産党時代を思い出す。かつてはオーストリアとハンガリーの間にあった「鉄のカーテン」が、今は難民がやって来る南方にあるように感じる。すごく悲しいことだ。柵や壁を築くことが何の答えにもならないことを、みんな分かっているのに。
――『ホワイト・ゴッド』は、SF映画『猿の惑星』やヒッチコック監督の『鳥』を想起させるという論評もあったが、あなたが着想を得た動物映画はあるか。
『鳥』をイメージしたということはない。どちらかというとスティーブン・スピルバーグの『E.T.』や『未知との遭遇』、『ジュラシック・パーク』などのほうが影響はあったかも。というのも、この映画は僕にとってスリラーではなく、寓話なんです。
例えば『鳥』は未知の敵、未知なるものに対しての恐怖の感情が作品の推進力となっていく。それに対して、『ホワイト・ゴッド』ではモラルを持っているのは動物のほう。そういう意味で、人間性の真実みたいなものを描いているのが『ホワイト・ゴッド』だと思う。
200頭以上の犬たちがトレーニングを受けて撮影に参加した 2014©Proton Cinema, Pola Pandora, Chimney
――リリは周囲との関係はすごく不安定だが、犬からすれば従うべき存在になっている。彼女が象徴しているものは?
われわれの純粋さ。特に、規則などの下で簡単に失われてしまう純真さを象徴している。
そのリリ役だが、探すのにはすごく苦労したんだ。大がかりなキャスティングをして、2000人くらいの女の子に会って。ジョーフィア・プショッタは友達の付き添いでオーディションに来ていた。友達の後ろに何の興味もなさそうにいた彼女を見て、「ちょっと試してみない」と誘ったが、「ノー、映画なんて出たくない」と言われた。
それでも写真や動画を撮らせてもらい、素晴らしかったのでぜひリリをやってほしいと思った。だから、たくさんの花とケーキを持って、彼女のお母さんを口説きに行った(笑)。娘さんには才能があるから、絶対にこの役を演じるべきだ、と。
――彼女は女優の道に目覚めた?
まだ14歳と若く、将来を決めるには早いから、どうなるか分からないだろう。本当にいい女優だけど、こちらの考えを押しつけたくはないし。それにハンガリーの映画業界はそれほど大きくはなくて、アメリカのように子役で出演したら次の作品にすぐ声がかかるという状況でもない。
――これまでのあなた自身の人生で、犬との関わりはあったのか。
犬は大好きだし、子供の頃から犬を飼っていた。犬との思い出はたくさんあるよ。今は都市部に住んでいるので、一緒に暮らすことが難しいが。
犬を演出するにあたり、2つ決めていたことがある。1つはCGを一切使わず、本物の犬を使うこと。もう1つは、犬に犬自身を演じてもらうこと。だから、良い協力者で仲間になってくれる犬を探さなければならなかったが、それがとても大変だった。
基本的には、野犬収容所にいるような犬を集めた。自分も毎日トレーニングの場に足を運んで彼らと時間を過ごしたりして、作品を作っていった。だからこの映画はフィクションではあるが、ドキュメンタリーに近い作り方をしたと言うこともできる。
――収容施設から連れてきた犬は扱いにくいと思う。なぜ、いわゆるタレント犬を使わなかったのか。
自分にとっては逆に、収容施設にいる犬を使うことがとても重要だった。彼らの顔を見れば、そこにわれわれの伝えたいストーリーが描かれている。目を見れば、この作品の意味が読み取れるからだ。
最初にこのアイデアを周囲に伝えたら、みんなに「無理、無理」って言われた。不可能だと言われまくった。でも1人だけ、ハンガリーでドッグスクールをやっている人が、200頭同時に社交性を持たせることは可能だと言ってくれた。
200頭以上の犬たちがトレーニングを受け、自分たちが経験した残酷な過去を忘れ、それを乗り越えて、われわれと自然に接することができるようになった。まさに奇跡を見ているような感じで、すごくドラマチックだった。撮影後は飼い主探しをやって、今はすべての犬に飼い主が見つかっているよ。
――小さい頃から犬とともに育ってきたというが、今回改めて発見したことはある?
たくさんあった。今ほど犬に親近感を覚えていることはなかったかもしれない。今回は250頭の犬たちの、いわば共同体といえる大きな集団とともに過ごし、人間と犬、犬と犬、それぞれがどんな関係を築けるのかを改めて知ることができた。犬同士が互いに優位に立とうとしたり、闘ったりということもなく、こちらも非常に明るい前向きな気持ちになれた。
彼らは悲しい犬からハッピーな犬になれたし、現場でもみんなで仕事をするのがすごく楽しそうで。僕にとっても一種のセラピーだった。
大橋 希(本誌記者)