「楽天はすでにオールドエコノミー」と、本誌ウェブコラム「経済ニュースの文脈を読む」でお馴染みの評論家であり、億単位の資産を運用する個人投資家でもある加谷珪一氏は言う。インターネット環境の急激な進展により、新しい資本の時代が動き始めており、そこでは稼ぎ方も働き方も、すべてが変わるのだという。
楽天は設立が1997年で、株式店頭上場が2000年。わずか3年で上場している。今では1万2000人以上(連結)の従業員を抱え、売上高は6000億円弱(2014年)という日本を代表するネット企業だ。これのどこがオールドエコノミーなのか。
加谷氏によれば、最近では「設立からわずか数か月で企業を売却し、上場することなく巨額の富を生み出すケースが続出している」という。オフィスなどなく、自宅で始めたビジネスというのも珍しくない。もはや会社の体裁を整え、社会的な信用を得る必要さえないのだ。加谷氏が「新しい資本の時代」と呼ぶゆえんである。
これまでは、お金持ちになれる人は、起業家か投資家と相場が決まっていた。これからの時代には、新しい「富のルール」を知り、情報を制する者だけがお金持ちになれる、と説く加谷氏。11月27日発売の新刊『これからのお金持ちの教科書』(CCCメディアハウス)では、10年後の未来を前提に、どうすればお金持ちになれるかを分析・解説している。
ここでは、本書の「第4章 これからの『富のルール』を知る」から一部を抜粋し、3回に分けて掲載する。第3回は「学歴や序列さえも無意味な『新しい平等な社会』へ」。
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『これからのお金持ちの教科書』
加谷珪一 著
CCCメディアハウス
※第1回:ピケティ理論はやがて成立しなくなる はこちら
※第2回:だから、もう「お金」は必要ない はこちら
◇ ◇ ◇
もし新しいネット時代の到来が、資本主義のメカニズムにも影響を与えるものだとすると、社会における権力構造にも影響が出てくるかもしれない。
資本主義の世界では、資本の提供という役割を担っている資本家の立場は非常に強い。特に、あらゆる産業に対して資金を融通する銀行の影響力は絶大である。日本は規制が強く、他の先進国に比べると銀行が過剰に保護されているので、その傾向はさらに顕著である。
先ほどは、事業をスタートさせるにあたり、資金調達のために労力のほとんどを割かれてしまうという現実について説明した。また事業をスタートさせた後も、基本的には借金の返済義務から解放されることはなく、銀行の影響力行使は続く。
極端な話をすれば、日本では銀行から認められた事業しか、立ち上げることができないと考えてもよい。銀行は基本的にお金を貸すことが仕事なので、余分なリスクは取りたくない。有望だがリスクが高いというビジネスが立ち上がりにくいのは、こうした理由もある。
この図式は大企業になっても同じである。事業が軌道に乗り、大きな企業に成長したあとも、やはり資金を握る銀行の影響力は強い。経営危機を起こしたシャープはすでに実質的に銀行の支配下にあるし、不正会計問題で揺れた東芝も、銀行管理が囁かれている。
銀行は資本という圧倒的なパワーを背景に、企業の活動を事実上左右することができるわけだが、この仕組みを100%利用し尽くしているのが中央銀行制度である。
日本の中央銀行である日本銀行(日銀)は、現在、量的緩和策を実施しており、市場に大量のマネーを供給している。新聞ではこのように記述されるので、日銀が市場にお金をばらまいているように見えるのだが、実際は少し異なっている。
日銀が国債を買い取っているのは主に銀行からであり、これは銀行が日銀に開設した当座預金の残高を増やしているに過ぎない。量的緩和策に関連して、マネタリーベースという言葉を聞いたことがある人も多いと思うが、マネタリーベースとは、主に日銀が金融機関に提供したマネーの金額を指している。
つまり日銀は、基本的に銀行に対してしか、資金の出し入れをしない。銀行は企業や個人の活動の多くをコントロールすることができる立場にあり、日銀が市場をコントロールしようと思えば、銀行をコントロールするだけで十分なのだ。
中央銀行制度というのは、銀行を通じてしか、通貨の調整をしないというシステムであり、これが経済を支配する力の源泉となっている。
銀行による産業界のコントロールが、経済構造の変化で弱まるということになると、日銀が持つパワーもまた変化することになる。長い目で見れば、政府の経済政策にも大きな影響を与えることになるかもしれない。
コネがなくても大丈夫
こうした動きは個人と個人の間でも同じことである。
たまたま顕在化していないだけで、人は多くの才能を持っている。子育てひとつとっても、赤ちゃんのあやし方が天才的に上手い人は一定数存在するし、ビジネスの世界でも、プレゼンテーションが上手な人、セールストークが得意な人、デザインが上手な人など、様々な能力が溢れている。
しかし、才能をお金に換えるためには、相当なビジネスインフラが必要であった。巨額なコストをカバーするためには、一定数以上の集客が必須であり、それに合致する体制ということになると、相応の資金力が求められる。
これまでは、才能を生かそうと思った場合、資金を持っている人、豊富なコネを持っている人が圧倒的に有利であった。才能はあるが、資金やコネといったビジネスリソースに恵まれていない人よりも、才能はあまりないが、ビジネスリソースをたくさん持っている人のほうが世に出やすかったわけである。
人にものを教えてお金を稼げる人がごく少数に限られていたのは、こうしたメカニズムによって、教えるという行為と権威、そしてお金が密接に結びついていたからである。
だが、秩序の変化にともない、こうした力関係も変わってくる。
ネットのインフラを使って、自身の持つノウハウをお金に換えるプチ起業家が、今後、急激な勢いで増えてくるだろう。ネット上で集客を行い、ネット上で集まる場所を探し、ネット上で事前決済をすれば、極めて安価に、個人レッスンのビジネスを構築することができる。
やらない言い訳が通用しない厳しい世界
だが、この新しい平等な社会は、甘えを許さない厳しい世界でもある。今までは、仮に成果が出ていなくても、自分はチャンスに恵まれなかっただけだという言い訳ができた。
だが新しい資本の時代は、だれでもあらゆるビジネスインフラにアクセスできる。これは、ほぼすべての人が平等に機会を与えられるということを意味しており、行動しないことに対する言い訳は通用しない。これまでは、資金やネットワークにおいて、持つ者と持たざる者の格差が生じていたが、これからは、アイデアや知識、そして行動力について、持つ者と持たざる者の格差が生じることになるだろう。
ゲーム開発企業であるグリーが、入社試験の代わりに、ネット上でプログラムを作成する課題を出して話題になったことがある。入社志望者は、リクエストに沿ったプログラムを自分で開発し、同社に送って評価してもらうという仕組みである。
当時は、この採用方法について、プログラミングという特殊な仕事だから実現可能と思われていた。しかし、これからは違う。ネット上で公開された課題をこなし、成果物を納入して入社の是非を決める試験はあらゆる分野に及んでくるかもしれない。
これまでの入社試験はあくまで「入社したら仕事ができるだろう」というポテンシャル評価でしかなかった。だがこの試験は、実際にできたかどうかしか問われない。日本はこれまで学歴社会と言われてきたが、従来の学歴採用は典型的なポテンシャル採用だったのである。
新しい時代には学歴の意味すら変わってしまうかもしれないのだ。
<加谷珪一『図解 お金持ちの教科書』抜粋シリーズ>
ニューストピックス「図解 お金持ちの教科書」
楽天は設立が1997年で、株式店頭上場が2000年。わずか3年で上場している。今では1万2000人以上(連結)の従業員を抱え、売上高は6000億円弱(2014年)という日本を代表するネット企業だ。これのどこがオールドエコノミーなのか。
加谷氏によれば、最近では「設立からわずか数か月で企業を売却し、上場することなく巨額の富を生み出すケースが続出している」という。オフィスなどなく、自宅で始めたビジネスというのも珍しくない。もはや会社の体裁を整え、社会的な信用を得る必要さえないのだ。加谷氏が「新しい資本の時代」と呼ぶゆえんである。
これまでは、お金持ちになれる人は、起業家か投資家と相場が決まっていた。これからの時代には、新しい「富のルール」を知り、情報を制する者だけがお金持ちになれる、と説く加谷氏。11月27日発売の新刊『これからのお金持ちの教科書』(CCCメディアハウス)では、10年後の未来を前提に、どうすればお金持ちになれるかを分析・解説している。
ここでは、本書の「第4章 これからの『富のルール』を知る」から一部を抜粋し、3回に分けて掲載する。第3回は「学歴や序列さえも無意味な『新しい平等な社会』へ」。
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『これからのお金持ちの教科書』
加谷珪一 著
CCCメディアハウス
※第1回:ピケティ理論はやがて成立しなくなる はこちら
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◇ ◇ ◇
もし新しいネット時代の到来が、資本主義のメカニズムにも影響を与えるものだとすると、社会における権力構造にも影響が出てくるかもしれない。
資本主義の世界では、資本の提供という役割を担っている資本家の立場は非常に強い。特に、あらゆる産業に対して資金を融通する銀行の影響力は絶大である。日本は規制が強く、他の先進国に比べると銀行が過剰に保護されているので、その傾向はさらに顕著である。
先ほどは、事業をスタートさせるにあたり、資金調達のために労力のほとんどを割かれてしまうという現実について説明した。また事業をスタートさせた後も、基本的には借金の返済義務から解放されることはなく、銀行の影響力行使は続く。
極端な話をすれば、日本では銀行から認められた事業しか、立ち上げることができないと考えてもよい。銀行は基本的にお金を貸すことが仕事なので、余分なリスクは取りたくない。有望だがリスクが高いというビジネスが立ち上がりにくいのは、こうした理由もある。
この図式は大企業になっても同じである。事業が軌道に乗り、大きな企業に成長したあとも、やはり資金を握る銀行の影響力は強い。経営危機を起こしたシャープはすでに実質的に銀行の支配下にあるし、不正会計問題で揺れた東芝も、銀行管理が囁かれている。
銀行は資本という圧倒的なパワーを背景に、企業の活動を事実上左右することができるわけだが、この仕組みを100%利用し尽くしているのが中央銀行制度である。
日本の中央銀行である日本銀行(日銀)は、現在、量的緩和策を実施しており、市場に大量のマネーを供給している。新聞ではこのように記述されるので、日銀が市場にお金をばらまいているように見えるのだが、実際は少し異なっている。
日銀が国債を買い取っているのは主に銀行からであり、これは銀行が日銀に開設した当座預金の残高を増やしているに過ぎない。量的緩和策に関連して、マネタリーベースという言葉を聞いたことがある人も多いと思うが、マネタリーベースとは、主に日銀が金融機関に提供したマネーの金額を指している。
つまり日銀は、基本的に銀行に対してしか、資金の出し入れをしない。銀行は企業や個人の活動の多くをコントロールすることができる立場にあり、日銀が市場をコントロールしようと思えば、銀行をコントロールするだけで十分なのだ。
中央銀行制度というのは、銀行を通じてしか、通貨の調整をしないというシステムであり、これが経済を支配する力の源泉となっている。
銀行による産業界のコントロールが、経済構造の変化で弱まるということになると、日銀が持つパワーもまた変化することになる。長い目で見れば、政府の経済政策にも大きな影響を与えることになるかもしれない。
コネがなくても大丈夫
こうした動きは個人と個人の間でも同じことである。
たまたま顕在化していないだけで、人は多くの才能を持っている。子育てひとつとっても、赤ちゃんのあやし方が天才的に上手い人は一定数存在するし、ビジネスの世界でも、プレゼンテーションが上手な人、セールストークが得意な人、デザインが上手な人など、様々な能力が溢れている。
しかし、才能をお金に換えるためには、相当なビジネスインフラが必要であった。巨額なコストをカバーするためには、一定数以上の集客が必須であり、それに合致する体制ということになると、相応の資金力が求められる。
これまでは、才能を生かそうと思った場合、資金を持っている人、豊富なコネを持っている人が圧倒的に有利であった。才能はあるが、資金やコネといったビジネスリソースに恵まれていない人よりも、才能はあまりないが、ビジネスリソースをたくさん持っている人のほうが世に出やすかったわけである。
人にものを教えてお金を稼げる人がごく少数に限られていたのは、こうしたメカニズムによって、教えるという行為と権威、そしてお金が密接に結びついていたからである。
だが、秩序の変化にともない、こうした力関係も変わってくる。
ネットのインフラを使って、自身の持つノウハウをお金に換えるプチ起業家が、今後、急激な勢いで増えてくるだろう。ネット上で集客を行い、ネット上で集まる場所を探し、ネット上で事前決済をすれば、極めて安価に、個人レッスンのビジネスを構築することができる。
やらない言い訳が通用しない厳しい世界
だが、この新しい平等な社会は、甘えを許さない厳しい世界でもある。今までは、仮に成果が出ていなくても、自分はチャンスに恵まれなかっただけだという言い訳ができた。
だが新しい資本の時代は、だれでもあらゆるビジネスインフラにアクセスできる。これは、ほぼすべての人が平等に機会を与えられるということを意味しており、行動しないことに対する言い訳は通用しない。これまでは、資金やネットワークにおいて、持つ者と持たざる者の格差が生じていたが、これからは、アイデアや知識、そして行動力について、持つ者と持たざる者の格差が生じることになるだろう。
ゲーム開発企業であるグリーが、入社試験の代わりに、ネット上でプログラムを作成する課題を出して話題になったことがある。入社志望者は、リクエストに沿ったプログラムを自分で開発し、同社に送って評価してもらうという仕組みである。
当時は、この採用方法について、プログラミングという特殊な仕事だから実現可能と思われていた。しかし、これからは違う。ネット上で公開された課題をこなし、成果物を納入して入社の是非を決める試験はあらゆる分野に及んでくるかもしれない。
これまでの入社試験はあくまで「入社したら仕事ができるだろう」というポテンシャル評価でしかなかった。だがこの試験は、実際にできたかどうかしか問われない。日本はこれまで学歴社会と言われてきたが、従来の学歴採用は典型的なポテンシャル採用だったのである。
新しい時代には学歴の意味すら変わってしまうかもしれないのだ。
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