『ネットフリックスの時代――配信とスマホがテレビを変える』(西田宗千佳著、講談社現代新書)は、「利用し放題」のメディアの現状と将来を浮き彫りにした新書。タイトルにあるとおり、主軸となっているのは日本でもサービスがスタートした映像配信企業「ネットフリックス」だ。
とはいえ、世界有数の映像配信事業者である同社だけを題材にしているわけではない。その内容は予想以上に幅広く、そして深い。まずはネットフリックスの革新性と衝撃について解説がなされるが、以後は、対抗する日本勢の現状、"テレビの見方"の変化、果ては音楽のストリーミングサービスまでを緻密に取材しているのである。
そういう意味では、方式も利用法も急速に変化し続けるメディアそのもののあり方を広い視野でとらえた内容だといっていい。
ところで無知をさらけ出すようで恥ずかしくはあるのだが、読む前に頭のなかにあった疑問は、「そもそも、なぜネットフリックスが注目されるのか」ということだった。成功したか否かはともかく、インターネットを利用して映像や音楽を配信するサービスならこれまでにもあった。それらとネットフリックスはどこが違うのだろうか?
このような、シンプルにもほどがある疑問を予測するかのように、本書の書き出しにはまず、今年の出版界における最大のヒット作の話題が登場する。又吉直樹氏による芥川賞受賞作『火花』がそれだ。
受賞から1ヵ月程度で、発行部数は239万部を突破した。そして、やはり受賞発表から1ヵ月半というスピードで、映像化されることも発表された。だが、その発表先は、映画でもテレビドラマでもない。年初より「新たなる黒船」として報道されることの多かった、ある映像サービスで独占先行公開となる。(「はじめに」p3より)
それがネットフリックスだというわけだ。なるほど、既存の映画などを垂れ流しにするだけでなく、オリジナルコンテンツも送り出していくということか。だとすればメディアとしての存在価値はたしかにあるわけで、個人的にはずいぶん合点がいった。
ただ、このようにやや大げさに書かなければならないことには、私個人のライフスタイルの問題が絡んでもいる。つまり私は、もともとテレビをあまり見ないのだ。「嫌いだから見ない」わけではないし、好きな番組だってある。「Youは何しに日本へ?」とか、「鶴瓶の家族に乾杯」とか。
けれど単純に、見る時間がないのだ。そうでなくとも見る番組は限定されているし、「利用したい」と思いながらも、時間が足りないものだからケーブルテレビのコンテンツさえ持て余している始末なのである。映画だって大好きなのだけれど、考えてみれば自宅で映画を見る機会もそれほど多くはない。毎年、「年末年始は映画を見まくるぞー」と思うだけで時間が過ぎていく......。
だから「見放題」といわれても、「見る時間がないからなぁ......」とつい消極的になってしまうのである。
ただし、実はこの「時間がない」という部分にこそ重要なポイントがあるのだろう。なぜなら「足りない時間」をどう利用するかは、私だけではなく、現代人にとっての普遍的な問題であるはずだからだ。
思い出したのは、80年代のビジネス誌にあった提案記事のこと。「時間のないビジネスマンのためのライフスタイル」みたいなその特集のなかに、「見たい番組はビデオに録画し、(時間短縮のため)早送りでチェックしよう」というようなことが書かれていたのだ。「そこまでするかなぁ」ってな感じで思わず笑ってしまったのだが、そんなことすら記事になってしまうという事実にも、「なかなか解決できないメディアと時間との関係」が表れている気がする。
その時代から問題になっていたメディアと時間との関係だが、ここへ来て、好きな時間に好きな番組を見ることのできるVOD(ビデオ・オン・デマンド)の登場である。少なくとも録画するなどという行為は不要になるし、ネットで見られるわけだから、自宅のテレビの前に座って見る必要もなくなる。そこに、本書が訴えかける重要なポイントがある。
ネットフリックスのヘイスティングス氏は「インターネットテレビは、エンターテインメントにおける大きなブレークスルーだ。いまやBBCやHBOなどの世界の各放送局も、既存のテレビからネットテレビへの移行を加速している。テレビの世界がオン・デマンド型に変わっていくのは大きな流れである」と話す。事実その通り、世界の放送事業者は、放送+ネットでの配信、というモデルに流れている。(71ページより)
私はこうした考え方を、ネットフリックスやその他の映像配信サービスだけではなく、さまざまなメディア全体の利用法にもいえると解釈した。メディアとの関係性自体が激変しているわけで、そう考えれば第4章「音楽でなにが起こったか」でストリーミング・ミュージックについても詳しく検証していることに納得ができる。
物理的な円盤を店で買う、というかたちがダウンロードに変わることは大きな変化だった。流通が変わるということは、それを聴くための機器の市場も、曲を売るためのマーケティングも変わるということだからだ。だが、現在起きはじめている変化にくらべれば小さい。なにしろいま起きている変化は「所有しない」スタイルが主流になるかもしれない、という変化なのだ。(115ページより)
これは音楽について書かれた部分だが、映像も含めたすべてのパッケージメディアとの関係性にも同じことがいえるはずだ。つまりは、ネットフリックスに代表される「見放題」メディアとのつきあい方もまた同じだということである。そういう意味では本書は、単に新しいメディアの可能性を提示しただけではないといえる。そこに絡む私たちのライフスタイルの未来について、さまざまな角度から考えるきっかけともなるのである。
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『ネットフリックスの時代
――配信とスマホがテレビを変える』
西田宗千佳 著
講談社現代新書
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とはいえ、世界有数の映像配信事業者である同社だけを題材にしているわけではない。その内容は予想以上に幅広く、そして深い。まずはネットフリックスの革新性と衝撃について解説がなされるが、以後は、対抗する日本勢の現状、"テレビの見方"の変化、果ては音楽のストリーミングサービスまでを緻密に取材しているのである。
そういう意味では、方式も利用法も急速に変化し続けるメディアそのもののあり方を広い視野でとらえた内容だといっていい。
ところで無知をさらけ出すようで恥ずかしくはあるのだが、読む前に頭のなかにあった疑問は、「そもそも、なぜネットフリックスが注目されるのか」ということだった。成功したか否かはともかく、インターネットを利用して映像や音楽を配信するサービスならこれまでにもあった。それらとネットフリックスはどこが違うのだろうか?
このような、シンプルにもほどがある疑問を予測するかのように、本書の書き出しにはまず、今年の出版界における最大のヒット作の話題が登場する。又吉直樹氏による芥川賞受賞作『火花』がそれだ。
受賞から1ヵ月程度で、発行部数は239万部を突破した。そして、やはり受賞発表から1ヵ月半というスピードで、映像化されることも発表された。だが、その発表先は、映画でもテレビドラマでもない。年初より「新たなる黒船」として報道されることの多かった、ある映像サービスで独占先行公開となる。(「はじめに」p3より)
それがネットフリックスだというわけだ。なるほど、既存の映画などを垂れ流しにするだけでなく、オリジナルコンテンツも送り出していくということか。だとすればメディアとしての存在価値はたしかにあるわけで、個人的にはずいぶん合点がいった。
ただ、このようにやや大げさに書かなければならないことには、私個人のライフスタイルの問題が絡んでもいる。つまり私は、もともとテレビをあまり見ないのだ。「嫌いだから見ない」わけではないし、好きな番組だってある。「Youは何しに日本へ?」とか、「鶴瓶の家族に乾杯」とか。
けれど単純に、見る時間がないのだ。そうでなくとも見る番組は限定されているし、「利用したい」と思いながらも、時間が足りないものだからケーブルテレビのコンテンツさえ持て余している始末なのである。映画だって大好きなのだけれど、考えてみれば自宅で映画を見る機会もそれほど多くはない。毎年、「年末年始は映画を見まくるぞー」と思うだけで時間が過ぎていく......。
だから「見放題」といわれても、「見る時間がないからなぁ......」とつい消極的になってしまうのである。
ただし、実はこの「時間がない」という部分にこそ重要なポイントがあるのだろう。なぜなら「足りない時間」をどう利用するかは、私だけではなく、現代人にとっての普遍的な問題であるはずだからだ。
思い出したのは、80年代のビジネス誌にあった提案記事のこと。「時間のないビジネスマンのためのライフスタイル」みたいなその特集のなかに、「見たい番組はビデオに録画し、(時間短縮のため)早送りでチェックしよう」というようなことが書かれていたのだ。「そこまでするかなぁ」ってな感じで思わず笑ってしまったのだが、そんなことすら記事になってしまうという事実にも、「なかなか解決できないメディアと時間との関係」が表れている気がする。
その時代から問題になっていたメディアと時間との関係だが、ここへ来て、好きな時間に好きな番組を見ることのできるVOD(ビデオ・オン・デマンド)の登場である。少なくとも録画するなどという行為は不要になるし、ネットで見られるわけだから、自宅のテレビの前に座って見る必要もなくなる。そこに、本書が訴えかける重要なポイントがある。
ネットフリックスのヘイスティングス氏は「インターネットテレビは、エンターテインメントにおける大きなブレークスルーだ。いまやBBCやHBOなどの世界の各放送局も、既存のテレビからネットテレビへの移行を加速している。テレビの世界がオン・デマンド型に変わっていくのは大きな流れである」と話す。事実その通り、世界の放送事業者は、放送+ネットでの配信、というモデルに流れている。(71ページより)
私はこうした考え方を、ネットフリックスやその他の映像配信サービスだけではなく、さまざまなメディア全体の利用法にもいえると解釈した。メディアとの関係性自体が激変しているわけで、そう考えれば第4章「音楽でなにが起こったか」でストリーミング・ミュージックについても詳しく検証していることに納得ができる。
物理的な円盤を店で買う、というかたちがダウンロードに変わることは大きな変化だった。流通が変わるということは、それを聴くための機器の市場も、曲を売るためのマーケティングも変わるということだからだ。だが、現在起きはじめている変化にくらべれば小さい。なにしろいま起きている変化は「所有しない」スタイルが主流になるかもしれない、という変化なのだ。(115ページより)
これは音楽について書かれた部分だが、映像も含めたすべてのパッケージメディアとの関係性にも同じことがいえるはずだ。つまりは、ネットフリックスに代表される「見放題」メディアとのつきあい方もまた同じだということである。そういう意味では本書は、単に新しいメディアの可能性を提示しただけではないといえる。そこに絡む私たちのライフスタイルの未来について、さまざまな角度から考えるきっかけともなるのである。
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『ネットフリックスの時代
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