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中絶医療施設への銃撃テロ、保守派が抱える闇 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年12月1日 17時50分

 先週末、コロラド州コロラドスプリングスにある医療施設が銃で武装した男に襲撃され、警官隊との銃撃戦が発生。警官1人を含む3人が死亡する惨事となりました。逮捕された狙撃犯はロバート・ディアという57歳の男性で、動機などの詳細は現時点で判明していませんが、「ベビー・パーツ(胎児の臓器利用のこと)を許さないため」などと語っているようです。

 襲われた医療施設は全国組織の団体である「プランド・ペアレントフッド」という団体が経営しています。不妊対策や避妊を中心とした家族計画に関する啓蒙活動を行いながら、男女に対する不妊治療や人工妊娠中絶など実際の診療行為も行っているようです。

 この「プランド・ペアレントフッド」ですが、今年に入って保守系団体による「潜入撮影ビデオ」が出回り、その中で中絶した胎児の臓器売買に関する(真偽のほどは不明ですが)疑惑があったことから、全米の保守派による「同団体への補助金を打ち切れ」という政治運動に発展していました。

 この秋には、この「プランド・ペアレントフッド」への補助金をカットするかしないかで、議会共和党の右派が「予算未成立の場合は政府閉鎖も辞さず」という強硬な姿勢を見せ、結果的にはベイナー下院議長が辞任する事態になっています。

 ディアという狙撃犯が「臓器売買」のことを口にしているという報道が事実であれば、同団体に対する保守派による一連の敵意に満ちたプロパガンダに乗せられて、凶行に及んだということが考えられます。

 実は、この「プランド・ペアレントフッド」に対する今回のテロ行為には、長いアメリカにおける「保守派の闇」とでも言うべき問題があります。今回は「胎児の臓器売買批判」というプロパガンダに触発された可能性が高いわけですが、もっと一般的な「中絶医師への襲撃」という問題で、90年代以降長い歴史があるのです。

 例えば、96年の夏季五輪の大会期間中に発生したアトランタ五輪公園爆破の容疑者エリック・ルドルフが典型的です。ルドルフは五輪テロを起こす前にも、中絶医を襲撃したり、同性愛者の集まるナイトクラブを爆破したりと、極端な価値観を動機にした事件を多く起こしていたのです。

 その背景にある思想とは何なのでしょう。それは、ルドルフがオリンピックそのものを攻撃対象にしたところに1つのカギがあります。ルドルフは供述の中で「オリンピックというのは大企業が大金を払って、国際的な社会主義を許す愚行であって、背景には中絶賛成のイデオロギーがある」という言い方で爆弾テロの動機を語っていました。

 つまり、「国際的なもの」や「大企業の経済力」などが「中絶賛成のイデオロギー」と結びついた敵の正体だというのです。そこには、グローバル経済から取り残された者の鬱屈した「反国際主義」があり、「大企業への憎悪」があります。さらに思想的に飛躍する中で、「国際的な大企業に支えられたリベラル思想」が「人間であるにも関わらずヒトの生命に対して決定権を持つ」という傲慢に至っているというストーリーを描いて憎悪の対象にしていたわけです。

 理屈としては分からないわけでもないのですが、それではどうして「中絶への怒り」という感情が、諸外国では見られない政治的イデオロギーに発展するのでしょう? そこにあるのは、「強者による殺人の正当化という偽善」への怒りです。それは宗教の教義にそう書いているから、というレベルを越えて一種の信念になってしまっており、理屈を越えた感覚としてあるようです。

 これに加えて、アメリカの保守が抱きがちな「大自然の脅威に対抗するカウボーイ的なヒロイズム」や、銃社会ゆえの「殺されるかもしれない」という恐怖心が「殺される存在としての胎児」への感情移入と、「殺す側」であるリベラル派への強烈な反発になる、そしてそれが「中絶反対」という一点に凝縮するというイデオロギーのメカニズムが見られます。

 この一点に凝縮するというのが特徴であって、例えば中絶反対派は女性の社会参加や給与水準の均等などの点で「アンチ・フェミニズム」であるかというとそうではありません。そうではなくて、彼らが重視しているのは「生命倫理」に集約されているのです。

 その関連で、中絶問題に加えて「尊厳死」に対しても強く反対しており、クリント・イーストウッド監督がオスカーを受賞した『ミリオンダラー・ベイビー』という映画では、尊厳死の問題が肯定的に描かれているとして上映反対運動が起きましたが、そこにも同様のイデオロギー的背景があります。

 自分は「殺される側」だという自己規定をして、中絶や尊厳死を肯定する人間を「殺す側」だと決めつけて敵視する、そこまでなら「生命を尊重している」という姿勢を曲がりなりにも主張できるかもしれません。ですが、そこで「敵視した相手」の命を奪ってもいいということになると、論理矛盾も甚だしいということになります。ですが、その矛盾に気が付かないところが、テロリストがテロリストたる所以なのでしょう。

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