Infoseek 楽天

郊外の多文化主義(1)

ニューズウィーク日本版 2015年12月7日 16時5分


論壇誌「アステイオン」(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス)83号は、「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」特集。同特集から、法哲学を専門とする首都大学東京准教授、谷口功一氏による論文「郊外の多文化主義」を4回に分けて転載する(※転載にあたり、表記を一部変更しています)。


北関東のルゾフォニア

 上毛カルタに「つる舞う形の群馬県」とある通り、地図上、南東に向かって羽根をひろげて滑空する鶴の形をした群馬県の右下、頸部のあたりに邑楽郡大泉町は位置している。この町への鉄路での玄関口は、東武小泉線の西小泉駅である。単線の電車に乗り、終点の西小泉駅で降りると、そこには「ルゾフォニア(Lusofonia)」がひろがっているのを目にすることになるだろう。

 ルゾフォニアとはローマ帝国時代のポルトガル一帯を指す「ルシタニア」に由来する言葉で「ポルトガル語を話す世界」を意味する。「東京から2時間、片道1,000円で行けるブラジル」とも言われる大泉町は、日系ブラジル人をはじめとする外国人居住比率が日本一の町である。そこではポルトガル語を耳にすることができ、また、駅前にすぐ見える「CANTA GALO 宮城商店」をはじめ、ブラジル人相手のポルトガル語の看板を掲げた様々な商店やレストランなどを目にすることができる。

 筆者は数年前、たまたま仕事でこの町を訪れた家人から「これ、どこの国の言葉?」とポルトガル語の掲示物の写真が添付されたメールをスマホに送られ、その存在を初めて知った。これまで都合三度、足を運んでいるが、わたしの知らなかった日本がそこにはあった。

 実際に足を運べば実感できるが、はるか彼方まで囲い塀が続くパナソニック(元三洋電機)の工場が、町域の広大な面積を占めている。町内には、この他にも富士重工業や工業団地なども立地しているため、大泉町は2011年まで35年間にわたって地方交付税不交付団体として豊かな財政状態にあった。このような一大工業地域の労働力の多くを支えてきたのが日系ブラジル人をはじめとする外国人労働者たちである。2014年12月末時点での町内の外国人は6,377人にのぼり、町の総人口の実に15.58%を占めている。

※上記、パナソニックの工場の前身は海軍機を製造していた中島飛行場小泉製作所であり、そこで生産されていたものこそが零式艦上戦闘機(ゼロ戦)だった。

 このような状況は、1990年のいわゆる改正出入国管理法に端を発するものであり、日系二世・三世とその家族に就労制限のないビザが発給されることによって、ブラジルからの「デカセギ」が急増したのだった。当初、彼らは数年で帰国する「一時滞在者」と思われていたが、その予測は大きく外れた。91年のバブル崩壊までに国内労働市場の逼迫はピークに達し、日本に在住するブラジル人は2000年末には約25万4,000人と、外国人全体の15%を占めるまでになったのである。

 2007年末に31万7,000人にまで増加したブラジル人は、しかし、2008年秋のリーマン・ショックによる派遣労働者の雇い止めが始まると一挙に減少を始め、日本政府が本国への帰国を支援する「帰国支援制度」などとも相まって、2014年末には17万5,000人にまで落ち込むこととなった(法務省入国管理局「登録/在留外国人統計」)。

 この間、大泉町をはじめとする日系ブラジル人などの外国人居住比率の高い自治体は、「移民」政策に正面から向き合おうとしない「政府の失敗」を補う形で、エスニシティとコミュニティをめぐるさまざまな摩擦への対応を行って来ており、後述するように、現在も多くの問題を抱えている。

 このような外国人居住比率の高い自治体は、実は日本中に少なからず存在しており、南米日系人を中心とする多数の外国人住民を抱える都市は「外国人集住都市会議」を開催している。東京、群馬、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀、岡山県の1都8県26都市からなる同会議の会員都市は、そのほとんどがいずれも観光などで訪れることはあまりない場所であり、大都市圏で暮らす多くの日本人にとって、それらの場所が抱える問題は「目に見えないもの」となってしまっているといっても過言ではないだろう。

 2014年、政府は来るべき「人口縮減」への対策として、今後毎年20万人の移民を受け入れることを本格的に検討すると宣言したが、本稿では、この大泉町をはじめとして、既に日本国内に現に存在するものの「目に見えないもの」となってしまっている様々なエスニシティとコミュニティをめぐる問題について、筆者の専門である法哲学の観点からの検討も加えつつ、今後のわが国の「移民政策」に正面から向き合うための端緒をひらくことを試みるものである。

 以下では先ず、移民政策に関してはわが国の遙か先をゆくヨーロッパ諸国の現状と、それらの国々が抱える問題に関して、概観することから始めたい。

多文化主義は失敗した?

 2010年、ドイツのメルケル首相は「多文化主義は完全に失敗した(Der Ansatz für Multikulti ist gescheitert,absolut gescheitert!)」と宣言し、また翌2011年2月、イギリスのキャメロン首相も「国家による多文化主義は......われわれにとって好ましい社会のビジョンを提供するのに失敗した」と発言するに至り、ヨーロッパを代表する二つの先進国のリーダーらによる暗鬱な認識の表明は国内外に大きな衝撃を与えた。さらに、同2011年7月には、「イスラムによる乗っ取りから西欧を守る」ことを動機とする「反多文化主義革命」を掲げたアンネシュ・ブレイビクによって、77名が射殺等されるノルウェー連続テロ事件が引き起こされた。

 2015年1月に発生したシャルリ・エブド襲撃事件、そして11月のパリ同時多発テロ事件の記憶も未だ鮮烈だが、欧州では長年にわたる移民政策の帰結として、多くの国々で主として郊外の公営団地などに集住する外国人居住者たちをめぐる問題が露わになり、結果、右に述べたような暗鬱な認識が、しばしば排外主義を前面に押し出した極右政党の伸張などを伴う形で、ひろがりを見せるようになっている。

 ケナン・マリク(Kenan Malik)によるなら、30年前にはヨーロッパにおける社会問題の「解決策」として持てはやされた「多文化主義」が、現在では社会問題の「原因」そのものとさえ見なされるようになってしまったわけである。以下ではマリクが近時『フォーリン・アフェアーズ』誌(2015年3‐4月号)に発表した簡にして要を得た論文「多文化主義の失敗(The Failure of Multiculturalism)」を紹介しながら、現在の欧州における移民と多文化主義をめぐる問題状況を概観してみたい。

 先ずイギリスでは、1950年代に労働力不足を補うために積極的な移民の受け入れを行ってきたが、70年後半から80年代初頭にかけて人種暴動に悩まされるようになった。政府はこれに対応するため、国・地方の双方のレベルで、黒人とアジア系のコミュニティを主流のホスト社会側の政治プロセスに組み入れようとした。具体的には、特定の組織やコミュニティのリーダーに彼らの利害を代表させたのである。この施策は「差異への権利」を正面から肯定するものであり、この権利を否定することはレイシズムとして指弾されるまでになった。しかし、特定の組織やリーダーに、その集団の利害を代表させても、それが本当のその集団の代表者であるという保証は無い(白人全体の代表などが存在しないのと同じ)。このように積極的な多文化主義がとられた結果は、破滅的(catastrophic)なものであり、近年においては、2011年には全国に波及する形での人種問題を発火点とした暴動が発生するに至った。

 次にドイツだが、ドイツ連邦統計局によると、国内の移民人口は2014年に過去最高の1,100万人に達し、全人口の5分の1が何らかの形で外国のバックグラウンドを持つこととなった。ドイツで長らく問題となってきたのは、トルコからのガストアルバイター(出稼ぎ労働者)である。当初、彼らは一時的な滞在者と見なされていたが、その後、家族を呼び寄せるなどして人口を増加させて行った。これに対し、ドイツ政府はトルコ人移民たちに市民権(citizenship)を付与した上で、彼ら固有の文化・言語・生活様式を保持することを推奨するかたちでの多文化主義政策を採り、結果として、国内にホスト社会から分離した多数のパラレル・コミュニティを生み出すこととなった。このような形で存在するトルコ人のムスリム・コミュニティに対し、2011年の調査では40%のドイツ人が、それを「脅威」と捉えている。

 また、ドイツでは近年、中東などから多くの難民申請者が流入しているが、2015年9月2日の内務省の発表によると、難民収容施設への放火などの難民への攻撃が続発し、その数は年始から8月末までに337件に達している。難民の増加に伴う犯罪の急増にドイツ政府は危機感を強めているが、急激な難民の流入はドイツだけに限られた問題ではなく、現在、欧州全体が未曾有の「難民危機」に晒されている。

 最後にフランスだが、明示的に多文化主義を掲げた右の2カ国とは異なり、同国は当初から多文化主義を拒否し、同化主義(assimilationism)を採用してきたことが注記される。

 フランスには500万人(全人口の7~8%)のムスリムが居住していると言われ、西ヨーロッパ最大のムスリム・コミュニティが存在している。過去20年の間に、公立学校でのイスラム・ヴェール着用禁止をめぐる事件や、郊外(banlieue)のムスリム移民の若者による暴動などの問題が発生しており、近年では2005年のパリ郊外を発火点とした全国暴動、そして、既に触れたシャルリ・エブド事件などが発生するに至っている。

 フランスの同化政策は多文化主義の対極にあり、すべての個人を特定の人種やエスニック、あるいは文化集団の一員としてではなく、あくまで「ひとりの市民」として扱う。しかし、現実にはフランスは英独と同じように社会的に分断されている。フランスは多文化主義を明確に拒否してきたが、北アフリカからの移民とその子孫たちを単一のコミュニティ=ムスリム集団として扱ってきた点で、「多文化主義」のネガとも言える施策を実行してきたのだ。

 積極的に「多文化主義」を推奨してきた英独と当初から「同化主義」を前面に押し出してきたフランスであるが、英独仏3カ国の辿り着いた先は、皮肉なことに同じだった。つまり、断片化された社会、疎外されたマイノリティ、怒れる市民たちである。

 マリクによるなら、そこには「多文化主義のパラドックス」が存在する。彼自身の言葉を借りるなら「政治的道具としての多文化主義は、多様性を前提とするが、そのような多様性はマイノリティのコミュニティの縁で止まることを暗黙裏に想定している。そこでは多様性を制度化(institutionalize)することで、人々をエスニックや文化の箱(box)の中に押し込める」のである。ここで言うところの「箱」については、「単一で同質的なムスリム・コミュニティ」などといった一枚岩的(monolithic)なイメージを想起すれば良いだろう。

 このような問題状況に対してマリクは、多文化主義も同化主義も、社会の断片化という同一の問題に対処するための異なった政策的対応だったのだが、結局のところ、いずれも事態を悪化させたに過ぎないと断じ、かかる「失敗」を乗り越えるためには、欧州は、以下のような三つの区別を判然と行うことが必須だと論じている。

 第一に、「生きられた経験としての多様性」と「政治的プロセスとしての多文化主義」を区別しなければならない。移民の流入によって社会生活における経験が多様化されることは歓迎されるべきだが、文化的差異の公的な承認を通じた「多様性の制度化」には反対しなければならない。

 第二に、「カラー・ブラインドネス」と「レイシズムへのブラインドネス」を区別しなければならない。特定の民族的・文化的歴史の担い手としてではなく、すべての人を市民として扱うというフランス流の同化主義の処方には、それ自体としての価値がある。しかし、これは国家が特定のグループへの差別(レイシズム)を放置することを意味しない。

 第三に、「人びと(peoples)」と「価値(value)」を区別しなければならない。多文化主義も同化主義も、マイノリティのコミュニティ内部での同質性を前提としているが、人びとの生活の実相にわたる現実は多様なのである。

 結論としてマリクは、欧州は、進歩的な意味での「普遍的価値」を再発見しなければならないと言う。次節では、この「普遍的価値」と多文化主義をめぐる根源的な問題系に踏み入ってゆくことにしたい。

※第2回:郊外の多文化主義(2) はこちら

[執筆者]
谷口功一(首都大学東京法学系准教授)
1973年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。著書に『ショッピングモールの法哲学』(白水社)、『公共性の法哲学』(共著、ナカニシヤ出版)など。
ブログより:移民/難民について考えるための読書案内――「郊外の多文化主義」補遺

※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。





<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『アステイオン83』
 特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


谷口功一(首都大学東京法学系准教授)※アステイオン83より転載

この記事の関連ニュース