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アラブ「独裁の冬」の復活

ニューズウィーク日本版 2015年12月8日 18時0分

 威風堂々という言葉がぴったりだった。先にバーレーンの首都マナマで開かれた中東地域安全保障会議で、基調演説に立ったのはエジプト大統領のアブデル・ファタハ・アル・シシ将軍。屈強な護衛兵を従えた将軍は居並ぶ各国要人やアメリカ政府高官を前に、シリアやイエメン、リビアの治安回復に果たすべきエジプトの役割についてとうとうと述べ立てたのだった。

 だが生粋の軍人であるシシが最も懸念していたのは、この地域における武装集団の台頭だ。「国家と法治主義が武装勢力によって脅かされている」と、彼は強調した。エジプトの観光地を飛び立ったロシアの旅客機がテロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の仕掛けた爆弾で破壊され、乗客・乗員が全員死亡したのは、その翌日のことだ。

 マナマでドイツの国防相らと会談したシシは本国に取って返し、ロシア機墜落の状況を把握した後にイギリスを公式訪問した。欧米諸国はシシに対して長らく懐疑的だったが、今回の訪英によって、エジプトは国際外交の表舞台への復帰を果たしたと言えるだろう。

 シシはイギリスで、エジプトの民主主義は「建設途上」にあると語った。楽観論に立てば、中東地域全体についても同じことが言えるだろう。だが悲観論に立てば、むしろ中東の民主主義は破壊の途上にあると言いたくなる。

 4年前には、確かに民主主義の建設が始まっていた。チュニジアの若者が市当局の嫌がらせに抗議の焼身自殺を図ったことをきっかけに、中東各地で圧政に抗議する人々が街頭に繰り出したのは2011年初頭のこと。アラブの春の始まりだった。長らく軍人や王族による専制支配が続いたこの地域に、ようやく民主主義が芽吹く。そんな期待が高まっていた。

 今年のノーベル平和賞はチュニジアの民主化に貢献した人権団体に贈られた。だがそれは近隣諸国で独裁が復活するなか、なんとしてもチュニジアの民主化だけは維持しようという絶望的な試みに見えた。

 希望を絶望に変えたのはエジプトの状況だ。

 シシが軍隊を動かして、民主的に選ばれたムハンマド・モルシ大統領(当時)を更迭し、ムスリム同胞団の指導者たちを逮捕したのは13年の7月3日。あの日、「アラブの春は確実に終わった」と米ブルッキングズ研究所の上級研究員シャディ・ハミドは言う。「あれでエジプト以外の国々でも、独裁者が強硬な手段を取り始めた」

 シシ政権はすぐに反政府デモを禁止した。クーデターの1カ月後には治安部隊が、首都カイロで1000人近いデモ参加者を殺害。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば「1日のデモ参加者殺害数としては近年まれに見る規模」だった。

 その後もシシは、いわゆるイスラム主義者に対してエジプト史上最も厳しい弾圧を行ってきた。反政府勢力を片っ端から政治犯として収監し、不都合な人物を消し去り、街頭に繰り出す者は皆殺し。そんなシシは「典型的な独裁者」だと、ロンドンのシンクタンク王立国際問題研究所の上級研究員ジェーン・キニンモントは言う。「議会の選挙はやっているが、今どきの独裁者は選挙くらいやるものだ」

シシ体制を容認する欧米

 エジプトだけではない。チュニジアというわずかな例外を除けば、アラブの春が過ぎた諸国では安定した民主的システムへの移行が滞っている。

 最悪なのはシリアだ。民衆の蜂起は血みどろの内戦に発展した。反政府勢力の乱立にISISが加わり、さらにアサド政権を支援するロシアも介入して、状況は一段と混迷を深めている。終わりは見えず、バシャル・アサド大統領はまだ権力にしがみつこうとしている。

 リビア民主化の期待も裏切られた。NATO(北大西洋条約機構)軍は独裁者ムアマル・カダフィを追放するため、11年に反政府勢力を支援した。だが独裁者を排除した後のリビアは混乱に陥り、イスラム過激派の巣窟と化した。対抗する2つの勢力が国の支配権を争っているが、国際社会の承認する世俗派の政府は首都トリポリを追われて、東部の主要都市トブルクに退去している。

 国連がリビア統一の調停を試みるなか、力を増しているように見えるのが退役将軍のハリファ・ハフタルだ。彼はムスリム同胞団や他の武装組織に対する軍事作戦を指揮し、リビア全域で「テロリズムと戦う」と誓って議会の支持を得ている。

 ハフタルはエジプトの手本に倣い、あらゆるイスラム主義者を悪役に仕立てようとしている。そして武装勢力をたたき、秩序を回復する必要性を強調する。シシ将軍と同じだ。「彼は人々の不安感に訴え、秩序崩壊への恐れを利用している」とブルッキングズ研究所のハミドは言う。「どこの独裁者も同じだ。『見ろ、これがアラブの春の末路だ』と叫んでいる」

 アラビア半島では、昔から宗派対立の激しいバーレーンの情勢が懸念される。人口の60%を占めるのはシーア派だが、君主は少数派のスンニ派だ。11年に起きた民主化運動も、スンニ派の盟主サウジアラビアの手を借りてたたきつぶしている。

 バーレーンはアメリカの同盟国で、中東での米軍の活動に不可欠な海軍基地がある。理想よりも実利を重視するのはアメリカの中東政策の伝統だから、「オバマもバーレーンには口を出さない」とキニンモントは言う。「(それでも)あの国の人権抑圧はひどい。民主主義を装うこともせず、民主主義はこの地域に合わないと公言している」

 サウジアラビアの人権侵害もひどいが、やはりアメリカの重要な同盟国だ。ならばシシ将軍の人権無視にも目をつぶり、エジプトを仲間に加えてもいいのではないか。欧米諸国はそう考えたらしい。

 アメリカは既に、ISISと戦う国を支援するためとの理由で、クーデター後に中止していたエジプトへの軍事援助を再開している。欧州諸国もシシ体制を容認する方向に傾き、フランスはせっせと武器を売り込んでいる。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチのケネス・ロス代表はこの状況について、シシはアラブ独裁者の復活だけでなく「その力の強化を象徴している。シシの人権抑圧は(アラブの春で政権を追われた)ホスニ・ムバラク元大統領よりもひどい。そんな彼を受け入れるという欧米諸国の対応は言語道断だ」と指摘する。

 欧米社会で機能している民主主義はアラブ世界にふさわしくない──そう考える人が中東地域の内外で増えている。サウジアラビアの首都リヤドにあるシンクタンクに所属するマジェド・ビン・アブドルアジズ・アルトゥルキに言わせれば、欧米が自分たちの価値観を押し付けるのは間違いであり、そのような試みは「植民地主義」だ。

 キニンモントのみるところ、シシは自らを国の守護者、国際テロと戦う者と位置付けることでエジプト国内の支持を得ている。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領も同様だ。「民主主義よりも治安が大事、家族が安全に暮らせるほうがいい。そう考える人もいる」とキニンモントは言う。

体制の変化は内側から

 03年の米軍主導のイラクへの介入以来、いまだに続く政治的混乱と宗派間抗争も、治安優先の思いを強めている。「アラブ世界に全体主義の長い伝統があることには多くの理由がある」と言うのは、ロンドン大学キングス・カレッジのエマニュエル・カラギアニスだ。

 歴史的に部族的かつ封建的な社会では、メディアや司法、警察に対する国家統制や女性の抑圧を通じて、独裁者や王族による支配が維持されてきた。そのような社会には腐敗と縁故主義が蔓延し、たいていは軍隊が最も強力な組織となる。

「また国家統制経済の下では特定の産業しか育たず、広範な中産階級が形成されない」ともカラギアニスは指摘する。「そして中産階級がいなければ民主主義は育たない」

 非アラブ圏の人権団体がいくら非難の声を上げても、アラブ社会に民主主義を広めることは難しい。カラギアニスによれば、民主派の活動家が欧米から援助を受ければスパイと疑われかねない。だから中東に民主的な変化をもたらすには、それが内部から発生するのを待つしかない。

「アラブの春で民主主義の種はまかれた。あれですべてが変わり、もう後戻りはできない。だが勇気ある人々を支える唯一の方法は精神的な支援であり、金銭ではない」

 シシの人気が本物かどうかを判断するのは難しい。各種の世論調査は国軍が尊敬されていることを示しているが、うのみにはできない。エジプトの反体制派の大半は沈黙を強いられ、あるいは国外に脱出している。ジャーナリストは脅され、従わなければ監禁される。

 シシの支持率については「何とも言えない」とキニンモントは言う。「決して熱狂的に支持されているわけではない。国民にはあまり選択肢がない。軍事政権かイスラム主義の政権か、二つに一つだ」

 そんな状況でISISの一派がロシアの旅客機を爆破し、パリでも大規模な同時テロを起こした。エジプト軍は以前からシナイ半島でテロリストと戦っているが、シシが対テロ戦を一段と強化するのは確実だ。この機に乗じて反政府派への弾圧を強めるのも確実だが、それでも欧米社会は口を出せないだろう。

 ブルッキングズ研究所のハミドが言う。「アラブの春の、あるいはアラブの春をつぶした経験から得られる教訓は何か。残虐な力は効く、暴力は効くという悲しい教訓だ」


ジャニーン・ディジョバンニ、ノア・ゴールドバーグ

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