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計測不能の「赤色」大気汚染、本当に政府が悪いのか

ニューズウィーク日本版 2015年12月10日 19時7分

 先月末から中国北部を深刻な大気汚染が覆っている。日本の環境基準値は24時間平均で大気1立方メートルあたり35マイクログラムと定めているが、中国では一部で1000マイクログラムを越える驚異的な値も観測された。北京市は7日、大気汚染赤色警報を初めて発令した。乗用車の利用が制限され、学校や幼稚園の休校・休園も相次いだ。

 この大気汚染のすさまじさを象徴するのが「爆表」という中国語だ。日本のマンガ『ドラゴンボール』に由来する言葉で、相手の戦闘力を計測する「スカウター」という機器が計測不能の値を示した時に爆発してしまうというシーンから転じて、計測不能レベルの大気汚染を示す用語として定着した。今や中国の大手官制メディアすらも多用するほど定着している。

ネットユーザーが撮影した北京市の汚染状況

 計測不能レベルの大気汚染とはなにか。AQI(大気質指数)という指標が大気汚染を示す尺度として一般的に用いられている。PM2.5、PM10、二酸化硫黄、二酸化窒素など複数の物質を計測して、そのうち最も濃度が高い物質を基準に指標を算出する。最高値は500でこれを越えると「爆表」となるわけだ。

 ちなみにこのAQIにもちょっとした"秘密"がある。中国版AQIは米国版と異なり、かなり基準が緩いのだ。例えば35マイクログラムのPM2.5が計測された場合、米国版AQIでは「標準」と判定されるが、中国では「優」との判定になる。ちょっとしたごまかしが存在するわけだが、今のすさまじい大気汚染の前ではあまり意味がなく、AQIに基づいて作られた大気汚染マップでは、「爆表」や「厳重汚染」のマークでいっぱいになっている。

「原因は天候にある」を人民は聞きたくない

 さて、なぜ今、これほど深刻な大気汚染が出現しているのだろうか。中国の大気汚染状況が一直線に悪化しているわけではない。むしろ今夏は汚染状況の改善が見られるとの報告もあった。秋には野焼きによる煙害が多発するが、ドローンまで導入して厳しい監視を行うことで被害は例年以下にとどまった。

 ところが、11月末になると状況は一転してしまった。その理由だが最大の要因は天候である。中国気象局の朱定真氏は雑誌『科技生活』の取材に答え、エルニーニョ現象により寒気団の南下が減少したため、風が弱まり汚染物質が滞留し、大気汚染が悪化したとコメントしている。今は汚染物質が風で吹き飛ばされるのを待つしかないというわけだ。興味深いのは朱氏の提言だ。大気の滞留が予想される場合には、事前に交通や工場の操業を規制することで、深刻な大気汚染を避けることができると提言している。

 この手の「大気汚染は天候のため説」は中国人にすこぶる評判が悪い。天候を口実に政府は責任逃れしているという批判である。確かに政府の責任は重いとはいえ、濃霧のような形で出現する大気汚染が天候に左右されていることは事実だ。逆にいうならば、平常時の目に見えない状況で汚染をどれほどコントロールできるかが課題となる。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の中国企業

 中国政府もまったくの無策というわけではない。そもそも500マイクログラムを越えた、1000マイクログラムに達したとPM2.5の数値に一喜一憂できるのも、中国政府の改革によるものなのだ。

 中国は従来PM2.5を計測していなかったが、2013年から計測し、その結果をリアルタイムで発表するようになった。国民の圧力があったからとはいえ、大きな前進であることは事実だ。数字が公表されたことで、各地の地方政府も目に見える形で改善を迫られることとなった。石炭火力発電を減らし、天然ガスや風力、太陽光、そして原子力などのクリーンエネルギーに力を注いでいるのも対策の一環だ。

 それでもなかなか結果が出ないのは、環境対策の難しさを示している。中国企業は生き馬の目を抜く苛烈な競争を繰り広げているが、勝ち抜くために少しでもコストを削減しようと環境対策の手を抜きがち。中国政府はドローンを飛ばして排気を監視したり、リアルタイムに排出物の汚染物質濃度を観測できる機器を工場に設置したりと取り組みを続けているが、企業側も「監視されている煙突以外に、違法排出用の煙突を作る」といった大胆な手段まで駆使して対抗している。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とはよく言ったもので、誰もがルールを破っている状況では取り締まりようがない。環境基準を破ってコスト削減しなければ商売に勝てないという状況が変わらないかぎり、いたちごっこは続きそうだ。

 また、まったく対策がなされていない分野もある。環境当局の調査によると、PM2.5の15~20%はちりやほこりなど地表から舞い上がった物質だ。その人為的な発生源としては工事現場があげられる。

 日本では解体作業時にほこりが飛ばないようにネットをかけるなどの手法が定着しているが、中国ではこうした対策は一切なされていない。万博前年の2009年に上海市を訪問したことがあるが、街のど真ん中で建設工事、解体工事が相次ぎ、ひどい空気になっていたことをよく覚えている。ついつい工場や自動車、発電所などにばかり注目が集まるが、他の分野でもできることはまだまだ多そうだ。

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[執筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。

高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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