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【再録】レイア姫が語った『エピソード4』の思い出

ニューズウィーク日本版 2015年12月15日 19時38分

 想像してみてほしい。私はウェストウッドビレッジで『マトリックス』を見ている。主演のキアヌ・リーブスはたくましくて、おしゃれでかっこいい。私は一人。この映画のテレビCMは娘のビリーと一緒に見たのだけれど、ビリーはまだこの映画には幼すぎる。だから私は一人で来た。

 ビリーには、昔の『スター・ウォーズ』ぐらいがちょうどいい。ビリーは今でも、「レイアの泡に包まれれば、気分はお姫さま」と書いてある古いせっけんを大切にしている。私の顔がキャップになっているシャンプーの瓶もお気に入りだ。

 娘は学校にもレイア姫のキャラクターがあしらわれたファイルを持っていく。それを見ると私は胸が熱くなる。ファイルがぼろぼろになってしまったので、私はジョージ(・ルーカス)に電話して、ルーカスフィルムの倉庫から、今ではプレミアムがついているファイルを探してもらった。

 さて、娘をおいてきた私は、映画館で独りポップコーンを買っている。外は雨。なのに映画館の前では、『スター・ウォーズ エピソード1』の封切りを待つ人たちがもう列を作っている。封切りまでまだ1カ月もあるというのに。

 隣でスナックを買っていた女性が、「あの顔」で私を見る。「今度の『スター・ウォーズ』にも出ているの?」と人々が私に聞く前にする、あの顔だ。彼女が口を開く前に、私は言った。「いいえ、出ていません。だってあれは、私が出た映画の時代よりずっと昔の話ですもの」。どうやら、納得してもらえたようだ。

忘れられない鉄のビキニ

 客席では、観客が『エピソード1』の予告編に沸いている。これを見ると、前の3部作がいかにも古くさく見える。遠い遠い昔の映画のように......。

 それで私は思い出した。ハリソン・フォードが今のようなスターになる前に、彼に夢中になったことを。最初の『スター・ウォーズ』で共演したとき、私は19歳で彼は34歳だった。当時の日記には、こんなことが書いてある。

「人間なんかに恋しないで、椅子に恋をしなきゃ。椅子には、人間のもつすべてがある。ちょっと控えめなだけ。でも、それこそ私が必要なもの。感情も知的な反応もぬくもりも、みんな控えめ。控えめな同意、忍耐、反応。控えめなほうがかえって楽しい。そうよ、椅子を愛そう。家具を愛して心を満たさなきゃ」

『スター・ウォーズ』が大ヒットしたころ、私たちは映画館にできた行列のわきを車で走ったものだった。まったく現実感がなかった。

 有名人としての振る舞い方も知らなかった。宣伝ツアーで全米を回ったときは、マスコミの取材がすむと地元の遊園地に直行した。シアトルでハリソンが、トークショーに出たスーツ姿のまま、観覧車の箱の中でふざけていた姿が目に焼きついている。

 撮影中の思い出といえば『ジェダイの帰還』で着た鉄のビキニは忘れられない。地獄の責め苦みたいなものだったから。

 私はすべてに現実感がわかない年ごろに、まるで現実味のないセットで撮影していた。あの妙ちきりんな髪形にするだけで2時間もかかった。

あのころジョージは無口だった

 どういうわけか、宇宙には下着というものがないらしく、ブラジャーはつけていなかったから、走るシーンになると胸をテープでとめられた。私はこう言っていた。「この撮影が終わったら、スタッフみんなでオークションをしましょう。勝った人に、私の胸のテープをはがさせてあげる」

 それで、また思い出した。日記には、こんなことも書いてあった。「変人には3つの段階がある。①救いようのある変人 ②変人 ③救いようのない変人」

 1作目の撮影が終わると、ジョージはロンドンで編集をした。私もそこで、自分のテーマ曲を聞かせてもらった。それも、ジョン・ウィリアムズ指揮のロンドン交響楽団の演奏で。もちろん、自分のテーマ曲を作ってもらったのは初めてだった。

 あのころのジョージは無口だった。撮影現場を取材に来たロサンゼルス・タイムズ紙の記者が、3日目に「ところで監督はどの人なの?」と言ったというジョークがあったほどだ。

 撮影のとき、ジョージは2つのことしか言わなかった。「もっと速く」と「もっと激しく」。撮影中のある日、彼の声が出なくなったことがあった。でも、もともと無口な人だから、誰も気づかなかった。私たちは、ジョージが2つの指示を出せるよう2種類のホーンを用意しようかなどと、みんなで冗談を言っていた。

 完成した作品を見るのは、いつも妙な気分だった。私たちにとっては、ホームムービーのようなものだった。宇宙を舞台にした、とてもよくできたホームムービー。

 撮影の間、私たちはほとんど出ずっぱりだったけれど、あるとき、宇宙人の衣装を着たまま1日中待たされたことがあった。5時になると、ハリソンはプロデューサーの部屋に行って言った。死ぬときにこの1日を返してほしいって。でも私は、自分なら人生の真ん中で返してもらいたいと思った。ちょうど今ごろの時期に。

人生で最高の時間だった

 最後にもう1つ、本当は内緒の話なのだけれど、この際だから明かしてしまおう。

 私は当時、コメディアンのエリック・アイドルの家に住んでいた。エリックはチュニジアで『モンティ・パイソン ライフ・オブ・ブライアン』の撮影を終え、おみやげにお酒を持って帰ってきた。撮影中、エキストラが長時間働けるように配ったというお酒だ。

 私はアルコールがだめなほうだし、ハリソンもあまり飲まない。でも、あの晩はパーティーになった。すぐ近くのスタジオでレコーディング中だったローリング・ストーンズも一緒だった。

 私たちは朝まで飲み続けて、そのまま撮影に。一睡もしていなかったけれど、チュニジアのエキストラみたいにやる気満々だった。

 そのとき撮影したクラウド・シティに到着するシーンは、私とハリソンが一緒に笑っているとても珍しいシーンになった。今でもエリックは、自分のおかげだって自慢している。

『スター・ウォーズ』は、私にあらゆることを教えてくれた。銃を撃つことも、胸をテープでとめることも。私にとって--――そして観客にとっても――それは人生で最高の時間だった。

 時間といえば、ハリソンが返せと言った1日が本当に返ってくるなら、私には使い道が決まっている。『エピソード1』を見るための行列に加わるときに使う。

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