いわゆる「夫婦別姓反対論」の問題については、以前にもこの欄で「アメリカの宗教保守派」との比較をしながらお話をしました。
アメリカの保守派が「家族という価値」に固執する姿勢は、一見すると日本の保守派が「家族制度」に固執する態度に似ているようですが、日本の場合は「世代間の価値観論争」という面が強く、そのために意識改革に時間がかかっている議論です。
今週、日本の最高裁は「夫婦同姓を定めた民法は合憲」という判断をしましたが、保守的な最高裁としては予想できた判決である一方、このままこの調子で議論に時間をかけていていいのかという疑問があらためてわいてきました。
前回お話したように「世代」が絡んでいるという理解は、事実認識としては間違っていないと思います。ですが、世代の問題だから時間をかけて解決するということでは、改革に時間がかかり過ぎると思います。
例えばアメリカの場合ですと「同性婚」の問題が賛否両論を招いていた時期がありました。オバマ大統領は2008年の選挙戦を戦うにあたって、「同性婚への賛否」については曖昧にしていました。後にホンネとしては「賛成」だと明かしましたが、選挙戦の時点では国論の二分を避けるために、あえて自分の立場は「ボカして」いたのです。要するに、そのくらい対立が激しかったということです。
ですが2014~15年に、この問題は各州の判断、そして最高裁判断を経てほぼ解決に向かいました。それは、オバマという中道リベラル政権の時代がそうさせたというよりも、一歳ごとに400万人前後という巨大な若年層が毎年有権者として加わり、それが時代を動かしたのだと言えます。
これと比較して日本は、いくら18歳選挙権が実現するにしても、巨大な高齢層の「塊」がある一方で、若年層はどんどん細っていく人口ピラミッドの中では、世代交代による価値観の変化は非常にスローになってしまいます。
どこかで国論を割ってもいいというくらいの覚悟で、論争をしっかりやらないと、時代は前へ進まないのではないでしょうか。
「改革のスピード」という点では、政府が今月3日、小泉政権時代の2003年に設定した「社会のあらゆる分野で20年までに、指導的地位のうち女性が占める割合を30%程度」にするという目標を「事実上断念」したニュースが思い起こされます。
「30%というのは実現不可能」なので、20年度末までに国家公務員の「本省課長級に占める女性の割合を7%」とするなど現実的な数値目標を盛り込んだそうです。
女性の地位向上は、夫婦別姓に関する価値観論争よりもっと単純な問題です。「30%」を本気で実現しようと思うなら、新卒一括採用と年功序列、終身雇用をやめて、社会の全体、あるいは世界中からの登用でもいいので、「本省課長級の公募」をすればいいのです。本気で公募すれば、各省庁の課長級の職務に耐えうる女性の人材を採用する事はできるでしょう。
もちろん「できない」理由はいくらでも挙げられます。ですが、2003年に「2020年に30%にする」と設定したのであれば、それに合わせて新卒でも中途でも、優秀な女性を囲い込むぐらいの努力をすればいいのです。例えば新規採用の7割を女性にして、昇進昇格も男性よりハイスピードにして、管理職に仕立てるための「猛烈な訓練をする」とか、そうでなければ前述のように「世界から公募して課長級以上の管理職の30%を女性にする」しかなかったはずです。
それを適当に流しておいて、気がついたら「できませんでした」というのは、最初から改革をする気がなかったというのと同じです。夫婦別姓の問題も、この「女性活躍の失敗」と同じようにスローな時間軸の中で埋没してしまうのではないかと危惧します。
どうして夫婦別姓が必要なのか。それは「嫁入りして家長の姓に合わせる」という価値観が男尊女卑につながり、結果として家事や育児の共同分担が遅れ、非婚少子化を招いているという深刻な問題に重なっている――。だから改革が必要なのだと、少なくとも賛成派なら、そこまで真剣に考えて、堂々と改革への論争を仕掛けるべきではないかと思います。
女性管理職の「30%」を掲げて12年経って「できませんでした」という旧世代の影響力が細るまで、「夫婦別姓」の実現には時間をかける、そんなことでは改革は遅すぎるでしょう。
今回の合憲判決を一つの契機として、「同姓は不便だから」という腰の引けた論争ではなく、男女の本質的な平等と、家事・育児・家庭教育参加への共同参画を問う「価値観論争」という正面からの問いかけをして、改革のスピードアップを図るべきではないでしょうか。
アメリカの保守派が「家族という価値」に固執する姿勢は、一見すると日本の保守派が「家族制度」に固執する態度に似ているようですが、日本の場合は「世代間の価値観論争」という面が強く、そのために意識改革に時間がかかっている議論です。
今週、日本の最高裁は「夫婦同姓を定めた民法は合憲」という判断をしましたが、保守的な最高裁としては予想できた判決である一方、このままこの調子で議論に時間をかけていていいのかという疑問があらためてわいてきました。
前回お話したように「世代」が絡んでいるという理解は、事実認識としては間違っていないと思います。ですが、世代の問題だから時間をかけて解決するということでは、改革に時間がかかり過ぎると思います。
例えばアメリカの場合ですと「同性婚」の問題が賛否両論を招いていた時期がありました。オバマ大統領は2008年の選挙戦を戦うにあたって、「同性婚への賛否」については曖昧にしていました。後にホンネとしては「賛成」だと明かしましたが、選挙戦の時点では国論の二分を避けるために、あえて自分の立場は「ボカして」いたのです。要するに、そのくらい対立が激しかったということです。
ですが2014~15年に、この問題は各州の判断、そして最高裁判断を経てほぼ解決に向かいました。それは、オバマという中道リベラル政権の時代がそうさせたというよりも、一歳ごとに400万人前後という巨大な若年層が毎年有権者として加わり、それが時代を動かしたのだと言えます。
これと比較して日本は、いくら18歳選挙権が実現するにしても、巨大な高齢層の「塊」がある一方で、若年層はどんどん細っていく人口ピラミッドの中では、世代交代による価値観の変化は非常にスローになってしまいます。
どこかで国論を割ってもいいというくらいの覚悟で、論争をしっかりやらないと、時代は前へ進まないのではないでしょうか。
「改革のスピード」という点では、政府が今月3日、小泉政権時代の2003年に設定した「社会のあらゆる分野で20年までに、指導的地位のうち女性が占める割合を30%程度」にするという目標を「事実上断念」したニュースが思い起こされます。
「30%というのは実現不可能」なので、20年度末までに国家公務員の「本省課長級に占める女性の割合を7%」とするなど現実的な数値目標を盛り込んだそうです。
女性の地位向上は、夫婦別姓に関する価値観論争よりもっと単純な問題です。「30%」を本気で実現しようと思うなら、新卒一括採用と年功序列、終身雇用をやめて、社会の全体、あるいは世界中からの登用でもいいので、「本省課長級の公募」をすればいいのです。本気で公募すれば、各省庁の課長級の職務に耐えうる女性の人材を採用する事はできるでしょう。
もちろん「できない」理由はいくらでも挙げられます。ですが、2003年に「2020年に30%にする」と設定したのであれば、それに合わせて新卒でも中途でも、優秀な女性を囲い込むぐらいの努力をすればいいのです。例えば新規採用の7割を女性にして、昇進昇格も男性よりハイスピードにして、管理職に仕立てるための「猛烈な訓練をする」とか、そうでなければ前述のように「世界から公募して課長級以上の管理職の30%を女性にする」しかなかったはずです。
それを適当に流しておいて、気がついたら「できませんでした」というのは、最初から改革をする気がなかったというのと同じです。夫婦別姓の問題も、この「女性活躍の失敗」と同じようにスローな時間軸の中で埋没してしまうのではないかと危惧します。
どうして夫婦別姓が必要なのか。それは「嫁入りして家長の姓に合わせる」という価値観が男尊女卑につながり、結果として家事や育児の共同分担が遅れ、非婚少子化を招いているという深刻な問題に重なっている――。だから改革が必要なのだと、少なくとも賛成派なら、そこまで真剣に考えて、堂々と改革への論争を仕掛けるべきではないかと思います。
女性管理職の「30%」を掲げて12年経って「できませんでした」という旧世代の影響力が細るまで、「夫婦別姓」の実現には時間をかける、そんなことでは改革は遅すぎるでしょう。
今回の合憲判決を一つの契機として、「同姓は不便だから」という腰の引けた論争ではなく、男女の本質的な平等と、家事・育児・家庭教育参加への共同参画を問う「価値観論争」という正面からの問いかけをして、改革のスピードアップを図るべきではないでしょうか。