『はじめての不倫学――「社会問題」として考える』(坂爪真吾著、光文社新書)は、不倫を社会問題として捉えた書籍である。不倫は本来、個人の倫理観や道徳、あるいは夫婦の問題として考えられてきたものだ。また、それ以前にイリーガルな行為として捉えられているだけに、この切り口は画期的かもしれない。
ユニークなのは、不倫をインフルエンザのような「感染症」として捉えている点だ。インフルエンザへの感染は、基本的に防げるものではない。普通に社会と接していれば、たとえワクチンを打ったとしても効かないときもあるし、打たなくてもかからない人もいる。
だから「インフルエンザウイルスはなぜ存在するのか」と議論してみたところで説得力はなく、感染した人に対して「努力が足りない」「自己責任だ」と避難することも無意味だという考え方である。
そこで「いつ、どこで感染しやすいのか」(感染経路)を明確にし、「感染する確率を減らすためにはどうすればいいのか」という予防策(ワクチン)と、「もし感染してしまった場合、どうすれば本人の重症化、及び周囲への感染(被害拡大)を最小限に食い止められるか」に関する処方箋が必要だというのだ。
まぁ、わからなくはない。私も男である以上、いつ、なにがきっかけで"そうなる"かについて責任が持てるとはいい切れないだろうし。というよりも、「責任が持てる」と断言してしまったとしたら、その方がよっぽどウソくさい。ただ、そうはいってもこの考え方には、どこかモヤモヤしたものを感じてもしまうのである。
たしかに、「いつウイルスに感染するかわからない」という意味においては、誰にだってその可能性はある。けれど、「好きになっちゃったんだから仕方ないじゃん!」的な理由であるならまだしも、本書に登場する不倫経験者の、以下のような"スノッブな感じ"がよくわからないのだ。
婚外交渉の理由は、妻への愛情がなくなったからではなく、あくまで夫婦間の性的ギャップにある。自分の性欲が強く、妻は性的に淡白で頻繁にはできないから、外で別の女性としているだけ、という話だ。そのため、婚外セックスはするが婚外恋愛はしない。それが大人のマナーだ。(113ページより)
ここで、「それ、マナーかよ」と感じてしまった私は精神的に幼いのだろうか? そこそこ恋愛経験はあるし、修羅場もくぐってきたつもりなのだけど......。
ましてや「不倫をしたことで精神的な落ち込みがなくなり、仕事にも集中でき、子どもにも優しくできるようになった」(104ページより)とか、「賢一さんには『困っている女性を、心身ともにサポートしたい』という動機があるという。決して、自分だけが気持ちよくなりたい、という自己満足ではない」(111ページより)というような考え方を目にすると、「それ、全部自分に都合のいい考え方じゃね?」という思いを否定できなくなってしまうのである。
ところで少し前に、動画サイト「VICE」で「障がい者の性 - Medical Sex Worker」というコンテンツを見たことがある。手足の麻痺などのため自力で射精行為ができない男性に対し、ケアスタッフが介助を行う「射精の外部委託」に関するドキュメンタリーだ。サポートを受けた人の「障がい者も人間なんで」という言葉がこのサービスの価値を代弁しているし、意義のあることだと感じた。
突然そんな話題を持ち出したのは、動画で取り上げられていた「ホワイトハンズ」というNPOの代表こそ、本書の著者だからだ。終章でそのことに触れているため気づいたのだが、ここでいきなり、介護を得ない限り欲求を満たすことができない人と、(理由はどうであれ)不倫をしている人たちを同列に扱うことには疑問を感じた。ホワイトハンズに関する記述はわずか8行にすぎないが、少しばかり違和感があったのだ。
しかしどうあれ、本書の本質的な趣旨は、終章で取り上げられている「ハームリダクション」という概念に集約されていると言えるだろう。
薬物政策の世界で「ハームリダクション(harm reduction)」と呼ばれている政策がある。これは、「有害使用の低減」という意味で、簡単に言えば、「薬物使用がこの社会からなくならないのであれば、撲滅だけに躍起になるのではなく、薬物使用に伴う現実的なリスクを下げることを目的とすべし」という政策だ。(中略)不倫に関しても、このハームリダクションの概念を応用して社会的な処方箋を出していくべきではないだろうか。不倫の当事者を非難したり、法律で罰したりするだけでは問題は何も解決しない。(248~249ページより)
とはいえ、ハームリダクションも通用しない現状もあるようで、たとえばそのひとつが「貧困」にまつわる問題だ。一例として挙げられているのは、エイズが蔓延しても不倫を止めることのできない南アフリカ共和国の現状である。
これほどまでにHIVが蔓延しているにもかかわらず、不倫や浮気によるパートナー以外とのセックスに乗り出す人が大勢いる。(中略)この背景には、短い平均寿命、苦しい生活、出口の見えない失業や貧困の中で、唯一気の休まる場所が「愛する人とのセックス」になっている、という現実がある。(中略)そういった環境に置かれている人たちに、いくら「貞操を守れ」と言っても通じない。(250ページより)
これは、とても納得できる考え方ではないだろうか? 先に触れたとおり、部分的には共感できない箇所も少なからずあるものの、この部分こそが本書の核であるように感じた。
しかし、もしもそうだとするならば、南アフリカよりも経済的に恵まれた環境にある我が国において同じようなことが行われている以上、この国にもまた、南アフリカにおける貧困やHIVとはまた異なる病理があるともいえるだろう。
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『はじめての不倫学――「社会問題」として考える』
坂爪真吾 著
光文社新書
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印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)
ユニークなのは、不倫をインフルエンザのような「感染症」として捉えている点だ。インフルエンザへの感染は、基本的に防げるものではない。普通に社会と接していれば、たとえワクチンを打ったとしても効かないときもあるし、打たなくてもかからない人もいる。
だから「インフルエンザウイルスはなぜ存在するのか」と議論してみたところで説得力はなく、感染した人に対して「努力が足りない」「自己責任だ」と避難することも無意味だという考え方である。
そこで「いつ、どこで感染しやすいのか」(感染経路)を明確にし、「感染する確率を減らすためにはどうすればいいのか」という予防策(ワクチン)と、「もし感染してしまった場合、どうすれば本人の重症化、及び周囲への感染(被害拡大)を最小限に食い止められるか」に関する処方箋が必要だというのだ。
まぁ、わからなくはない。私も男である以上、いつ、なにがきっかけで"そうなる"かについて責任が持てるとはいい切れないだろうし。というよりも、「責任が持てる」と断言してしまったとしたら、その方がよっぽどウソくさい。ただ、そうはいってもこの考え方には、どこかモヤモヤしたものを感じてもしまうのである。
たしかに、「いつウイルスに感染するかわからない」という意味においては、誰にだってその可能性はある。けれど、「好きになっちゃったんだから仕方ないじゃん!」的な理由であるならまだしも、本書に登場する不倫経験者の、以下のような"スノッブな感じ"がよくわからないのだ。
婚外交渉の理由は、妻への愛情がなくなったからではなく、あくまで夫婦間の性的ギャップにある。自分の性欲が強く、妻は性的に淡白で頻繁にはできないから、外で別の女性としているだけ、という話だ。そのため、婚外セックスはするが婚外恋愛はしない。それが大人のマナーだ。(113ページより)
ここで、「それ、マナーかよ」と感じてしまった私は精神的に幼いのだろうか? そこそこ恋愛経験はあるし、修羅場もくぐってきたつもりなのだけど......。
ましてや「不倫をしたことで精神的な落ち込みがなくなり、仕事にも集中でき、子どもにも優しくできるようになった」(104ページより)とか、「賢一さんには『困っている女性を、心身ともにサポートしたい』という動機があるという。決して、自分だけが気持ちよくなりたい、という自己満足ではない」(111ページより)というような考え方を目にすると、「それ、全部自分に都合のいい考え方じゃね?」という思いを否定できなくなってしまうのである。
ところで少し前に、動画サイト「VICE」で「障がい者の性 - Medical Sex Worker」というコンテンツを見たことがある。手足の麻痺などのため自力で射精行為ができない男性に対し、ケアスタッフが介助を行う「射精の外部委託」に関するドキュメンタリーだ。サポートを受けた人の「障がい者も人間なんで」という言葉がこのサービスの価値を代弁しているし、意義のあることだと感じた。
突然そんな話題を持ち出したのは、動画で取り上げられていた「ホワイトハンズ」というNPOの代表こそ、本書の著者だからだ。終章でそのことに触れているため気づいたのだが、ここでいきなり、介護を得ない限り欲求を満たすことができない人と、(理由はどうであれ)不倫をしている人たちを同列に扱うことには疑問を感じた。ホワイトハンズに関する記述はわずか8行にすぎないが、少しばかり違和感があったのだ。
しかしどうあれ、本書の本質的な趣旨は、終章で取り上げられている「ハームリダクション」という概念に集約されていると言えるだろう。
薬物政策の世界で「ハームリダクション(harm reduction)」と呼ばれている政策がある。これは、「有害使用の低減」という意味で、簡単に言えば、「薬物使用がこの社会からなくならないのであれば、撲滅だけに躍起になるのではなく、薬物使用に伴う現実的なリスクを下げることを目的とすべし」という政策だ。(中略)不倫に関しても、このハームリダクションの概念を応用して社会的な処方箋を出していくべきではないだろうか。不倫の当事者を非難したり、法律で罰したりするだけでは問題は何も解決しない。(248~249ページより)
とはいえ、ハームリダクションも通用しない現状もあるようで、たとえばそのひとつが「貧困」にまつわる問題だ。一例として挙げられているのは、エイズが蔓延しても不倫を止めることのできない南アフリカ共和国の現状である。
これほどまでにHIVが蔓延しているにもかかわらず、不倫や浮気によるパートナー以外とのセックスに乗り出す人が大勢いる。(中略)この背景には、短い平均寿命、苦しい生活、出口の見えない失業や貧困の中で、唯一気の休まる場所が「愛する人とのセックス」になっている、という現実がある。(中略)そういった環境に置かれている人たちに、いくら「貞操を守れ」と言っても通じない。(250ページより)
これは、とても納得できる考え方ではないだろうか? 先に触れたとおり、部分的には共感できない箇所も少なからずあるものの、この部分こそが本書の核であるように感じた。
しかし、もしもそうだとするならば、南アフリカよりも経済的に恵まれた環境にある我が国において同じようなことが行われている以上、この国にもまた、南アフリカにおける貧困やHIVとはまた異なる病理があるともいえるだろう。
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印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)