エクアドルの首都キト。サラアイ・トティ(47)が鉄板の豚肉を裏返すと、おいしそうな香りが漂う。彼女が作っているのは祖国ベネズエラの郷土料理。小さな店で、客も少ないが、それでも彼女は幸せだ。
祖国ベネズエラでの彼女は人材関連の会社で働き、結構な給与をもらっていた。しかし1年前に家も車も家財道具も売り払い、子供2人も連れてエクアドルに移り住んだ。
何カ月も前から何千、何万というベネズエラ人が国を逃げ出している。ニコラス・マドゥロ大統領の率いる社会主義政権の下で、同国が深刻な経済危機に陥っているからだ。
原油の埋蔵量は世界一とされるベネズエラだが、今は世界で最も景気の悪い国の1つだ。インフレ率は3桁台で、生活必需品も手に入らず、おまけに暴力犯罪がはびこっている。国民が逃げたくなるのは当然だ。
それでも今月6日には注目の議会選挙が行われる。国民が待ち望んでいた選挙で、99年に故ウゴ・チャベスが大統領に就任して以来初めて、野党が議席の過半数を制する可能性が高いとされている。
野党連合はベネズエラを持続可能な成長路線に戻すことを公約に掲げた。野党の勝利となれば、それは過去16年にわたって同国を支配してきた「チャベス主義」(石油で稼いだ外貨と強硬な反米姿勢で国民の人気を取る政策)の終わりの始まりになるとの期待もある。
だが投票日の直前になっても、現在の状況に絶望した国民の流出は続いていた。中には着の身着のまま、具体的な仕事の当てもないのに国を出て近隣諸国に逃げ込む人もいる。
この1年、ベネズエラ経済の見通しは悪くなる一方だった。同国は外貨収入の95%を石油に依存しているが、原油価格の下落で外貨は底を突き、通貨ボリバルの為替レートは史上最低の水準にある。
米ドルの欠乏で輸入業者は代金を払えず、国内ではミルクやトイレットペーパーのような必需品の不足も深刻を極めている。だから庶民は毎日の買い物でも、スーパーで何時間もの行列を覚悟しなければならない。
30%が国外移住を検討
IMF(国際通貨基金)によれば、同国のインフレ率は今年、平均で約159%。中南米地域の成長率は低迷している(今年の予想成長率は0.5%)が、ベネズエラのGDPは10%ものマイナス成長となる見込みだ。
マドゥロ政権は11月に、最低給与を月9649ボリバルへと30%引き上げた。公定為替レートの1ドル=199ボリバルで計算すると、約48ドルになる。
だがボリバルの購買力の最も的確な指標とされる闇ドル市場の為替レートは現状で1ドル=890ボリバルくらい。これで計算すると、改定後の最低給与でも約11ドルにすぎない。
これでは生活が成り立たない。だからトティのように教養のある中産階級の人たちでも、財産のほとんどを売り払って現金に換え、別な国に移って一からやり直したくなる。ちなみにトティの店はまだ客足が伸びないが、それでも家族が暮らしていくだけの収入はあるという。
ベネズエラの首都カラカスにある世論調査会社ダタナリシスによれば、国外への移住を具体的に考えている国民の割合は、10年前は4%だったが、現在は約30%と推定される。そして最近、渡航費用をできるだけ抑えたい人の間で人気の高まっている国の1つがエクアドルだ。
エクアドルはたいていの国からの入国者に事前のビザ取得を求めていない。だから渡航費用さえ工面できれば、いったん入国してからビザを申請すればいい。今年の移住者数はまだ発表されていないが、同国に入国したベネズエラ人は昨年実績で8万8000人超。13年の6万4000人よりだいぶ増えた。
もちろん、誰もが国外移住に賭けるわけではない。移住など「見果てぬ夢」だという人もたくさんいる。
エクアドルに移った親戚の元を訪ね、バスでカラカスに帰る途中だという男性ホアン(58)は、今のベネズエラは「ひどい状況だ」と語った(身の安全のため姓は伏せてくれとの要望があった)。食料品店の長い行列や官僚たちの腐敗、そして日常化した暴力犯罪の恐怖。これじゃ国は悪くなるばかりだ、とホアンは嘆く。
ホアンはブリーフケースを開けて、ベネズエラでの暮らしに必要な大量の札束を見せてくれた。50ボリバル札の分厚い札束は、バスターミナルから自宅までのタクシー代(米ドルで5ドルに満たない)だという。
移住を考えたこともあるが、国を離れるリスクは大き過ぎるとホアンは言う。カラカスにいれば家があるし、経営するイベント会社も安定している。全財産を売り払っても今の為替レートではろくな金にならず、移住先で路頭に迷いかねない。
議会無視の政権運営も
だが国内に「守るべきもの」がある高齢世代と違って、若い世代はさっさと国を出ていく。
レイナ・チャン(25)は今年エクアドルに移住した。知人や友人の大部分も、既にオーストラリアやコスタリカ、香港などに移ったという。
そんなチャンも、6日の議会選挙には一時帰国して参加し、野党に票を投じるつもりだと語っていた。何しろ国の未来が懸かる歴史的な選挙だ。投票前の全国世論調査では野党が63%の支持を集めており、議席の過半数を占めるのは確実。マドゥロ罷免を求める国民投票が行われる公算が強い。
しかし、それがチャベス主義からの完全な脱却につながるのか、さらなる混乱を招くだけなのかは不明だ。シンクタンク「ラテンアメリカに関するワシントン・オフィス」のデービッド・スミルド上級研究員によれば、野党が首尾よく議会を制しても、マドゥロ政権は大統領令の連発などで議会無視の政治を続ける可能性がある。
ビザなしでエクアドルに入ったばかりという33歳の男性は、今後のさらなる混乱に対する恐れが国を捨てたそもそもの理由だと語り、「事態が良くなるとは思えない」と吐き捨てた。
彼の友人や家族も、ベネズエラから逃げ出す方法を探しているらしい。彼の姉は公務員で給与もよかったが、職場では定期的に、マドゥロ政権支持のデモ行進への参加を求められたという。今は彼女も国を離れることを考えている。
「みんな、なんとかしてベネズエラを出たいんだ」と、この男性は言う。「そのためなら犠牲をいとわない覚悟だ」
[2015.12.15号掲載]
ブリアナ・リー
祖国ベネズエラでの彼女は人材関連の会社で働き、結構な給与をもらっていた。しかし1年前に家も車も家財道具も売り払い、子供2人も連れてエクアドルに移り住んだ。
何カ月も前から何千、何万というベネズエラ人が国を逃げ出している。ニコラス・マドゥロ大統領の率いる社会主義政権の下で、同国が深刻な経済危機に陥っているからだ。
原油の埋蔵量は世界一とされるベネズエラだが、今は世界で最も景気の悪い国の1つだ。インフレ率は3桁台で、生活必需品も手に入らず、おまけに暴力犯罪がはびこっている。国民が逃げたくなるのは当然だ。
それでも今月6日には注目の議会選挙が行われる。国民が待ち望んでいた選挙で、99年に故ウゴ・チャベスが大統領に就任して以来初めて、野党が議席の過半数を制する可能性が高いとされている。
野党連合はベネズエラを持続可能な成長路線に戻すことを公約に掲げた。野党の勝利となれば、それは過去16年にわたって同国を支配してきた「チャベス主義」(石油で稼いだ外貨と強硬な反米姿勢で国民の人気を取る政策)の終わりの始まりになるとの期待もある。
だが投票日の直前になっても、現在の状況に絶望した国民の流出は続いていた。中には着の身着のまま、具体的な仕事の当てもないのに国を出て近隣諸国に逃げ込む人もいる。
この1年、ベネズエラ経済の見通しは悪くなる一方だった。同国は外貨収入の95%を石油に依存しているが、原油価格の下落で外貨は底を突き、通貨ボリバルの為替レートは史上最低の水準にある。
米ドルの欠乏で輸入業者は代金を払えず、国内ではミルクやトイレットペーパーのような必需品の不足も深刻を極めている。だから庶民は毎日の買い物でも、スーパーで何時間もの行列を覚悟しなければならない。
30%が国外移住を検討
IMF(国際通貨基金)によれば、同国のインフレ率は今年、平均で約159%。中南米地域の成長率は低迷している(今年の予想成長率は0.5%)が、ベネズエラのGDPは10%ものマイナス成長となる見込みだ。
マドゥロ政権は11月に、最低給与を月9649ボリバルへと30%引き上げた。公定為替レートの1ドル=199ボリバルで計算すると、約48ドルになる。
だがボリバルの購買力の最も的確な指標とされる闇ドル市場の為替レートは現状で1ドル=890ボリバルくらい。これで計算すると、改定後の最低給与でも約11ドルにすぎない。
これでは生活が成り立たない。だからトティのように教養のある中産階級の人たちでも、財産のほとんどを売り払って現金に換え、別な国に移って一からやり直したくなる。ちなみにトティの店はまだ客足が伸びないが、それでも家族が暮らしていくだけの収入はあるという。
ベネズエラの首都カラカスにある世論調査会社ダタナリシスによれば、国外への移住を具体的に考えている国民の割合は、10年前は4%だったが、現在は約30%と推定される。そして最近、渡航費用をできるだけ抑えたい人の間で人気の高まっている国の1つがエクアドルだ。
エクアドルはたいていの国からの入国者に事前のビザ取得を求めていない。だから渡航費用さえ工面できれば、いったん入国してからビザを申請すればいい。今年の移住者数はまだ発表されていないが、同国に入国したベネズエラ人は昨年実績で8万8000人超。13年の6万4000人よりだいぶ増えた。
もちろん、誰もが国外移住に賭けるわけではない。移住など「見果てぬ夢」だという人もたくさんいる。
エクアドルに移った親戚の元を訪ね、バスでカラカスに帰る途中だという男性ホアン(58)は、今のベネズエラは「ひどい状況だ」と語った(身の安全のため姓は伏せてくれとの要望があった)。食料品店の長い行列や官僚たちの腐敗、そして日常化した暴力犯罪の恐怖。これじゃ国は悪くなるばかりだ、とホアンは嘆く。
ホアンはブリーフケースを開けて、ベネズエラでの暮らしに必要な大量の札束を見せてくれた。50ボリバル札の分厚い札束は、バスターミナルから自宅までのタクシー代(米ドルで5ドルに満たない)だという。
移住を考えたこともあるが、国を離れるリスクは大き過ぎるとホアンは言う。カラカスにいれば家があるし、経営するイベント会社も安定している。全財産を売り払っても今の為替レートではろくな金にならず、移住先で路頭に迷いかねない。
議会無視の政権運営も
だが国内に「守るべきもの」がある高齢世代と違って、若い世代はさっさと国を出ていく。
レイナ・チャン(25)は今年エクアドルに移住した。知人や友人の大部分も、既にオーストラリアやコスタリカ、香港などに移ったという。
そんなチャンも、6日の議会選挙には一時帰国して参加し、野党に票を投じるつもりだと語っていた。何しろ国の未来が懸かる歴史的な選挙だ。投票前の全国世論調査では野党が63%の支持を集めており、議席の過半数を占めるのは確実。マドゥロ罷免を求める国民投票が行われる公算が強い。
しかし、それがチャベス主義からの完全な脱却につながるのか、さらなる混乱を招くだけなのかは不明だ。シンクタンク「ラテンアメリカに関するワシントン・オフィス」のデービッド・スミルド上級研究員によれば、野党が首尾よく議会を制しても、マドゥロ政権は大統領令の連発などで議会無視の政治を続ける可能性がある。
ビザなしでエクアドルに入ったばかりという33歳の男性は、今後のさらなる混乱に対する恐れが国を捨てたそもそもの理由だと語り、「事態が良くなるとは思えない」と吐き捨てた。
彼の友人や家族も、ベネズエラから逃げ出す方法を探しているらしい。彼の姉は公務員で給与もよかったが、職場では定期的に、マドゥロ政権支持のデモ行進への参加を求められたという。今は彼女も国を離れることを考えている。
「みんな、なんとかしてベネズエラを出たいんだ」と、この男性は言う。「そのためなら犠牲をいとわない覚悟だ」
[2015.12.15号掲載]
ブリアナ・リー