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【拷問】プーチンが牛耳るウクライナ東部で捕虜の身に起こったこと

ニューズウィーク日本版 2015年12月24日 18時0分

 ウクライナからの分離独立を求める親ロシア派とウクライナ政府軍が戦闘を繰り広げる東部ドンバス地方で、親ロシア派武装勢力の捕虜になったウクライナ兵の87%以上と市民のざっと50%が、拷問や虐待を受けていたと、ウクライナの人権団体が明らかにした。しかも、そうした「取り調べ」の約40%では、表向きは紛争に関与していないはずのロシア出身の傭兵や自称ロシア軍兵士が主要な役割を果たしていたという。

 地元の人権団体「ドンバスの平和のための正義連合(以下、「正義連合」)」は、「地獄を生き延びた人々」というタイトルの報告書を発表した。主に、親ロシア派武装勢力の捕虜になった兵士と市民165人への聞き取り調査に基づいている。

 悲痛なことに、拷問を免れた者も、他の者が拷問されるのを目撃したり耳にしたと報告している。また調査対象になったウクライナ兵の3分の1と市民の16%は、拷問死を直に目撃した。

医者も拷問に参加

 報告書の作成者の一人であるオレフ・マルティネンコは、捕虜や人質が置かれてきた状況は、捕虜や一般人を人道的に扱うべきとするジュネーブ条約に違反だと述べている。

 監禁場所の3分の2では医療設備も医者もいない。だが忌まわしいことに、医者がいるほうが危険な場合もあった。医者が拷問に加わっていたのだ。拷問を続けられるように、気絶した捕虜の意識を回復させていたという。

 拷問の加害者にロシアの軍人と傭兵が多かったのは予想外だったと、マルティネンコはいう。これは戦争犯罪でロシアを告発する根拠になるという。

 捕虜交換を請け負う団体によれば、2015年2月の停戦合意を受け、7月1日までに約25万人のウクライナ人捕虜が解放されたが、500人がまだ囚われの身のままだ。ウクライナ内務省は、6000人以上が捕虜になったか行方不明になり、1500人がまだ安否不明だと発表している。

 今回の調査によると、親ロシア派勢力の捕虜になった人々の大半は、親ロシア派が支配下に置いた地域の住民だ。正当な理由もなく自宅や職場から連れ出され、略奪に遭うケースも多い。誰もが標的にされかねない、と「正義連合」は指摘している。

 ある男性は、親ロシア派のシンボルである「聖ジョージのリボン」を飾った迷彩服姿の男6人が、カラシニコフ銃を振りかざしながら家に乱入し、年老いた母親を殴り倒したという。男性は後ろ手に縛られ、兵士たちは男性のパソコンや電話、財布を奪い、ウォッカのボトルまで持ち去ったという。

 報告書の作成者の一人、アレクサンドラ・マトヴィチュクによると、尋問の理由はたいてい、ウクライナ寄りの「誤った意見を持っている」こと。あるいは「ウクライナ語を話す」、「ウクライナの旗を掲げている」など、ウクライナであることすべてが攻撃の理由になる。親ロシア派のヤヌコービッチ前大統領を政権の座から引きずり下ろした反政府デモ「ユーロマイダン」に参加したことや、ウクライナ統一を呼びかけるデモ行進に参加したことも、もちろん立派な理由になる。

 高齢の祖母の世話をするためにウクライナ東部のルガンスクに滞在していたジャーナリストのマリア・ヴァルフォロメイエヴァ(30歳)は、1月から人質にされている。親ロシア派勢力は、ヴァルフォロメイエヴァがウクライナ軍のために親ロシア派勢力の拠点を撮影していたと主張し、15年の「刑」に処すると脅している。

 調査対象者のうち、18%以上は殴られたり蹴られたりしたことがあり、約22%は親ロシア派勢力のライフルで殴られた。約6%は、電気ショック、手や足の指を毛抜きで強く挟むなどの拷問を受け、スタンガンのような武器による複数の傷、あるいは刃物による切り傷を負っている者もいる。捕虜となった市民のうち約75%は、銃やその他の武器で脅された。

 捕虜になったある女性は、自身の体験について次のように語っている。「オレッグ・クブラクと名乗る男に殴られた。レイプするぞと脅され、ナイフで腕や脚、首を切りつけられた」

 別の捕虜もこう話す。「親ロシア派勢力は、私の頭や背中、腕をマシンガンの台尻で殴り始めた。私を後ろ手にして、皆で殴ろうとしたり、髪をつかもうとしたりした」

「ギリシャ人」というあだ名のロシア兵

 捕虜にされたウクライナ兵と義勇兵のうち83%は、交戦、拘束にはロシア軍が直接関与していたと報告した。「ギリシャ人」というあだ名で呼ばれていたあるロシア兵は、モスクワ出身の特殊部隊「スペツナズ」の将校であることを示す書類まで見せた。別のロシア兵は、プスコフ州のパラシュート部隊の司令官だった。これが本当なら、いわばウラジーミル・プーチン大統領の配下の者だ。

 今回の調査によると、捕虜になったウクライナ兵と義勇兵のうち87%以上が、肉体的暴力や手足等の切断、辱めなど残忍な扱いを受けている。

 親ロシア派勢力は、捕虜にした男性たちを外で行進させた。捕虜を「トロフィー」として見せびらかしたりなぶったりするためだ。最も悪名高いのは、2014年8月24日、ウクライナの独立記念日の行進だ。「ドネツク人民共和国」の樹立を宣言した親ロシア派勢力が、捕虜のウクライナ兵に行進をさせてさらし者にし、物や罵声を浴びせた。2015年1月にも、捕虜をさらし者にする同様の行進があった。

 こうした扱いの多くは、裁判もなく死刑が確認された捕虜の例や拉致の事例とともに、国際刑事裁判所が扱うべき犯罪だ。ウクライナの人権活動家は、ウクライナ政府の最優先事項として「国際刑事裁判所に関するローマ規程」を批准し、戦争犯罪を犯した者たちの責任を問えるようにすることを強く主張している。

*著者は「ハルキフ人権保護グループ」のメンバー
*この記事はAtlantic Councilから転載したものです

ハルヤ・コイナッシュ

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