IMF(国際通貨基金)は先月末、特別引き出し権(SDR)の構成通貨に、来年10月から中国の人民元を加えることを決めた。これで構成通貨は、米ドル、ユーロ、英ポンド、円、そして元の5つになる。これは間違いなく中国外交の勝利と言っていい。中国政府はかねてから元のSDR入りを求めていたからだ。
ただ、目先の経済への影響は限定的だろう。SDR入りしたことで、各国の中央銀行は元建て資産を増やし、元での決済も世界的に増えるだろう。しかしそれが元の為替レートに影響を与える可能性は低いし、元がドルに代わる基軸通貨の地位に近づくわけでもない。
何しろ中国の政府高官たちは、まだ国際通貨の管理方法を猛勉強しているところだ。
そもそも元がSDRの構成通貨になったことを、過大評価するべきではない。SDRは国際資本市場が未発達だった69年に、外貨準備の不足を補うために設置された。だがここ数十年は、IMFと加盟国間の取引単位として使われているにすぎない。
SDRは市中に流通しているわけではなく、もっぱら中央銀行が保有・使用するだけで、その量も多くない。SDRが世界の外貨準備に占める割合は、わずか2%だ。このため構成通貨入りを目指す国もほとんどなく、15年前にユーロが導入されて以来、その構成に変化はなかった。
それでも中国がSDR入りを強く望んだのは、その象徴的意味合いに引かれたからだろう。実際、ドル、ユーロ、ポンド、円は、世界で最も重要な通貨だ。世界で1、2位を争う経済大国の中国としては、元がSDR構成通貨という「肩書」を得ることには、重要な意味がある。
元のSDR入りに、経済的な意味がないわけではない。かねてから中国は、国内の経済・金融の改革を実行に移すのに苦労してきた。だが今年は、SDR入りを目指すことを理由に、3つの金融改革を実現できた。
第1に、中国人民銀行(中央銀行)は外国の中銀に対して、元建て債券の取引規制を撤廃した。SDRを保有するのは各国の中銀だから、元がSDR入りすれば、これら中銀はSDRとの交換に備えて元建て資産を積み増す必要がある。債券市場の開放はそのための布石だ。
第2に、中国財務省は10月、3カ月物国債を初めて発行した。SDRの金利は、構成通貨の3カ月物国債の利回りに基づき決定される。このため元がSDRの構成通貨に採用されるためには、中国も3カ月物国債を発行することが不可欠だった。
第3の最も重要な改革は、元の基準値を実勢レートに近づけたことだ。元の対ドルレートは、中国人民銀行が決める基準値を中心とするレートと、実勢レートの2種類があり、2つの間にギャップが存在した。そこで中国人民銀行は8月、前日の市場の終値を参考基準値とすることで、このギャップを縮小した。
ドルの地位にはまだ遠い
外交的な成果や、金融改革以外にも、元がSDRの構成通貨になることで中国が得る恩恵はある。まず、外国人投資家における元の保有が広がり、元の国際化が期待できる。
中長期的には、各国の中銀の外貨準備で、元の占める割合が高まるだろう。ただしそれはSDR入りによって自動的に起きることではなく、世界経済における中国の位置付けの高まりと、国内の債券市場のさらなる開放を反映したものだ。
現在、世界の外貨準備に元が占める割合は1%にすぎない。これは中国経済の規模を考えると、著しく低い水準だ。中国経済は世界のGDPの約13%、世界の貿易の15%以上を占める。
IMFは今回、SDRにおける元の構成比率を10.92%とした。ポンド(8.09%)や円(8.33%)を上回る比率だ。しかしだからといって、各国の中銀が直ちに外貨準備の10%を元建てにするわけではない。
金融のテクニカルな問題として、元のSDR入りによって各国の中銀が元を入手する必要があるのは、IMFからの借り入れ(SDR建て)の為替リスクに備えるためであり、その規模は最小限(約70億ドル分)にとどまるだろう。
より現実的には、向こう5年間に世界の外貨準備に占める割合が、円やポンドと同程度の4%に達すれば大成功だろう。つまり、元はこれまでよりも世界(特にアジア)で広く使われるようになるが、ドルのレベル(約64%)には程遠い。
世界の外貨準備の4%ということは3000億ドル程度だが、それが5年で実現するとなると、中国にとっては毎月50億ドルの資本流入になる。これは現在中国の輸出業界がもたらす外貨獲得量の5%にも満たず、外為市場の短期的な市場心理にも、長期的な資本流入にも、まともなインパクトは与えられない。
実際、元の為替レートは、先進国の金融政策に大きく左右されているのが現状だ。アメリカが近く利上げに踏み切るとみられるなか、EUは主要政策金利の据え置きを決定。ドルはあらゆる通貨に対して強含んでおり、元はさらに下げ圧力にさらされている。中国人民銀行が元高・ドル安の基準値を設定しても、効果は一時的で、今のところ元は対ドルで6.40元前後と3カ月ぶりの安値水準にある。
為替相場が不安定化する
元がSDRの構成通貨に採用されたことで、中国は栄誉だけでなく、新たな責任と課題も担うことになった。中国人民銀行は当面、少なくとも2つの問題を解決する必要がある。
まず元のレートを一本化することだ。ギャップが小さくなったとはいえ、元には今も2つの為替レートが存在する。中国人民銀行が基準値を設定して変動幅を管理する、オンショア(中国本土)市場向けレートと、オフショア(中国本土以外)市場の実勢レートだ。
元相場は10年前に管理変動相場制を導入した後も、事実上緩やかにドルに連動されてきた。それを完全に廃止すれば、為替相場が不安定になるのは必至だ。中銀として、為替と金融を安定させる中国人民銀行の手腕が試されることになる。
次に、元が主要な国際通貨になれば、金融当局の方針や政策について、よりオープンな説明が求められる。中国人民銀行はIMFに対して、外貨の保有量やオペレーションについて情報公開を進めると約束したが、その約束はまだ果たされていない。
現に中国人民銀行は、情報公開が不十分なために、市場にパニックを引き起こしたことがある。8月に連日の「通貨切り下げ」に踏み切ったとき、元の基準値を実勢レートに近づけるためのテクニカルな調整だと事前に説明していなかったため、投資家がパニックに陥ったのだ。
以後3カ月間、中国人民銀行は、これ以上の切り下げはしないと市場を安心させるため、口頭で約束するだけでなく、相当な量の元買い・ドル売りの市場介入を余儀なくされた。高い授業料を払って、中央銀行の仕事を学ぶことになったわけだ。
こうした授業は、まだこれからも続きそうだ。
[2015.12.15号掲載]
陳龍(ガベカル・ドラゴノミクス社エコノミスト)
ただ、目先の経済への影響は限定的だろう。SDR入りしたことで、各国の中央銀行は元建て資産を増やし、元での決済も世界的に増えるだろう。しかしそれが元の為替レートに影響を与える可能性は低いし、元がドルに代わる基軸通貨の地位に近づくわけでもない。
何しろ中国の政府高官たちは、まだ国際通貨の管理方法を猛勉強しているところだ。
そもそも元がSDRの構成通貨になったことを、過大評価するべきではない。SDRは国際資本市場が未発達だった69年に、外貨準備の不足を補うために設置された。だがここ数十年は、IMFと加盟国間の取引単位として使われているにすぎない。
SDRは市中に流通しているわけではなく、もっぱら中央銀行が保有・使用するだけで、その量も多くない。SDRが世界の外貨準備に占める割合は、わずか2%だ。このため構成通貨入りを目指す国もほとんどなく、15年前にユーロが導入されて以来、その構成に変化はなかった。
それでも中国がSDR入りを強く望んだのは、その象徴的意味合いに引かれたからだろう。実際、ドル、ユーロ、ポンド、円は、世界で最も重要な通貨だ。世界で1、2位を争う経済大国の中国としては、元がSDR構成通貨という「肩書」を得ることには、重要な意味がある。
元のSDR入りに、経済的な意味がないわけではない。かねてから中国は、国内の経済・金融の改革を実行に移すのに苦労してきた。だが今年は、SDR入りを目指すことを理由に、3つの金融改革を実現できた。
第1に、中国人民銀行(中央銀行)は外国の中銀に対して、元建て債券の取引規制を撤廃した。SDRを保有するのは各国の中銀だから、元がSDR入りすれば、これら中銀はSDRとの交換に備えて元建て資産を積み増す必要がある。債券市場の開放はそのための布石だ。
第2に、中国財務省は10月、3カ月物国債を初めて発行した。SDRの金利は、構成通貨の3カ月物国債の利回りに基づき決定される。このため元がSDRの構成通貨に採用されるためには、中国も3カ月物国債を発行することが不可欠だった。
第3の最も重要な改革は、元の基準値を実勢レートに近づけたことだ。元の対ドルレートは、中国人民銀行が決める基準値を中心とするレートと、実勢レートの2種類があり、2つの間にギャップが存在した。そこで中国人民銀行は8月、前日の市場の終値を参考基準値とすることで、このギャップを縮小した。
ドルの地位にはまだ遠い
外交的な成果や、金融改革以外にも、元がSDRの構成通貨になることで中国が得る恩恵はある。まず、外国人投資家における元の保有が広がり、元の国際化が期待できる。
中長期的には、各国の中銀の外貨準備で、元の占める割合が高まるだろう。ただしそれはSDR入りによって自動的に起きることではなく、世界経済における中国の位置付けの高まりと、国内の債券市場のさらなる開放を反映したものだ。
現在、世界の外貨準備に元が占める割合は1%にすぎない。これは中国経済の規模を考えると、著しく低い水準だ。中国経済は世界のGDPの約13%、世界の貿易の15%以上を占める。
IMFは今回、SDRにおける元の構成比率を10.92%とした。ポンド(8.09%)や円(8.33%)を上回る比率だ。しかしだからといって、各国の中銀が直ちに外貨準備の10%を元建てにするわけではない。
金融のテクニカルな問題として、元のSDR入りによって各国の中銀が元を入手する必要があるのは、IMFからの借り入れ(SDR建て)の為替リスクに備えるためであり、その規模は最小限(約70億ドル分)にとどまるだろう。
より現実的には、向こう5年間に世界の外貨準備に占める割合が、円やポンドと同程度の4%に達すれば大成功だろう。つまり、元はこれまでよりも世界(特にアジア)で広く使われるようになるが、ドルのレベル(約64%)には程遠い。
世界の外貨準備の4%ということは3000億ドル程度だが、それが5年で実現するとなると、中国にとっては毎月50億ドルの資本流入になる。これは現在中国の輸出業界がもたらす外貨獲得量の5%にも満たず、外為市場の短期的な市場心理にも、長期的な資本流入にも、まともなインパクトは与えられない。
実際、元の為替レートは、先進国の金融政策に大きく左右されているのが現状だ。アメリカが近く利上げに踏み切るとみられるなか、EUは主要政策金利の据え置きを決定。ドルはあらゆる通貨に対して強含んでおり、元はさらに下げ圧力にさらされている。中国人民銀行が元高・ドル安の基準値を設定しても、効果は一時的で、今のところ元は対ドルで6.40元前後と3カ月ぶりの安値水準にある。
為替相場が不安定化する
元がSDRの構成通貨に採用されたことで、中国は栄誉だけでなく、新たな責任と課題も担うことになった。中国人民銀行は当面、少なくとも2つの問題を解決する必要がある。
まず元のレートを一本化することだ。ギャップが小さくなったとはいえ、元には今も2つの為替レートが存在する。中国人民銀行が基準値を設定して変動幅を管理する、オンショア(中国本土)市場向けレートと、オフショア(中国本土以外)市場の実勢レートだ。
元相場は10年前に管理変動相場制を導入した後も、事実上緩やかにドルに連動されてきた。それを完全に廃止すれば、為替相場が不安定になるのは必至だ。中銀として、為替と金融を安定させる中国人民銀行の手腕が試されることになる。
次に、元が主要な国際通貨になれば、金融当局の方針や政策について、よりオープンな説明が求められる。中国人民銀行はIMFに対して、外貨の保有量やオペレーションについて情報公開を進めると約束したが、その約束はまだ果たされていない。
現に中国人民銀行は、情報公開が不十分なために、市場にパニックを引き起こしたことがある。8月に連日の「通貨切り下げ」に踏み切ったとき、元の基準値を実勢レートに近づけるためのテクニカルな調整だと事前に説明していなかったため、投資家がパニックに陥ったのだ。
以後3カ月間、中国人民銀行は、これ以上の切り下げはしないと市場を安心させるため、口頭で約束するだけでなく、相当な量の元買い・ドル売りの市場介入を余儀なくされた。高い授業料を払って、中央銀行の仕事を学ぶことになったわけだ。
こうした授業は、まだこれからも続きそうだ。
[2015.12.15号掲載]
陳龍(ガベカル・ドラゴノミクス社エコノミスト)