Infoseek 楽天

「ウクライナ」を創るプーチン

ニューズウィーク日本版 2015年12月28日 11時58分

 ゴーゴリ、ニジンスキー、ホロヴィッツ、そして大鵬と聞いて、共通項がロシアというよりもウクライナだと思う人は多くないだろう。もっとも作家のゴーゴリはウクライナに生まれたことは間違いないが、当時ウクライナは帝政ロシアの一部。ゴーゴリ自身もサンクトペテルブルクに移り、ロシア語で作品を執筆した。ロシアバレエ団で活躍したニジンスキーもキエフ生まれだが、両親ともポーランド人である。現在のウクライナ領西部は一四世紀以降ポーランドやリトアニア領で、その後ハプスブルク帝国の領土になった。ニジンスキーが学んだのはサンクトペテルブルクだし、活動の中心はむしろパリとみて良いかもしれない。ピアニストのホロヴィッツもウクライナ生まれで両親はユダヤ系である。だが一九二五年にはソ連を出国し、その後アメリカに移ったので、ピアニストとしての活動の大半はアメリカ人として行われた。大鵬の父は、樺太に入植したウクライナのコサック騎兵の将校である。ロシア革命後に当時日本領だった南樺太に亡命し、そこで日本人女性との間に生まれたのが後の横綱大鵬なのである。

 こういった人々の人生を見ると、ウクライナ人とは何か、そもそも国家や民族のアイデンティティとは何かと考えさせられる。上のそれぞれの人物にとって、「ウクライナ」が何を意味していたのかは様々だろうし、何かを意味していたのかどうかすら定かでないが、ウクライナとして今日存在している国に、多様なアイデンティティ、民族、宗教、歴史が交錯していることを思い出す。これについては本誌八一号でアンドリー・ポルトノフ氏が論じている通りである。

 実はウクライナゆかりの人物は、日本人が想像するよりずっと多くて、日本に馴染みの人々も少なくないが、そういった認識が希薄である。私もつい最近までホロヴィッツもニジンスキーもロシア人なのだろうと思っていた。それは、あまりに我々がロシアとの関連でしかウクライナのことを見ていないせいではないだろうか。だがそのウクライナは、決して小さな国ではない。国土は六〇万平方キロで日本の約一・六倍、これはEUで最大の面積を持つフランスよりもまだ大きい。四五〇〇万の人口は、イギリスやフランスの七割程度だから、ヨーロッパの基準では大国と呼ぶにふさわしい。ロシアと似たようなものなのだろうというのは、欧米の人たちが日本と中国の区別がつかないのに似ているかもしれない。マスコミも、災害、紛争といった劇的な惨事でもなければ、日本のことにあまり関心はない。ウクライナについても二〇〇四年のオレンジ革命、一昨年以降の一連の騒乱や政変、ロシアによるクリミヤ併合、そして東部ウクライナでの紛争といった事件は盛んに報じられたが、専門家でもなければウクライナそのものを定点的に観察したりはしない。おまけに善玉の親EU派と悪玉の親ロシア派の対立という欧米主要メディア報道の図式も、彼らの報道の常としてそのまま受け取るわけにはいかず、なかなかその実態がつかみにくい。専門家でもない私が、わずか三日だけだが七月末キエフを訪れたのは、ともかく自分の目で現地を見てみたいという思いからだった。

 キエフは思っていたよりずっと穏やかだった。昨年、欧米メディアも近くのホテルから実況中継までした一大反政府運動が繰り広げられた独立広場に行くと、モニュメントや狙撃されて亡くなった人たちの写真があったが、革命の臨場感はすでになかった。治安もキエフ市内を歩いていて不安になる経験はしなかった。警察のパトカーが日本の援助による新しいプリウスで統一されていたのが目につき、警官がニューヨーク市警のようなスマートないでたちなので、少なくとも見た目は信頼できそうだった。統計を見ると一人あたりのGDPは約四〇〇〇ドルで日本の一〇分の一程度、昨年以来マイナス成長で、IMFや欧米諸国からの支援でなんとか債務不履行を免れている。だがなにぶんにも豊かな穀倉地帯なので市場は農作物で一杯だったし、郊外のダーチャと呼ばれる別荘で家庭菜園をやりながら週末をのんびりと過ごす人も多いと聞いた。夏には多くの人が休暇を取っていなくなるので、現地の専門家とのアポ取りに少し苦労したくらいで、深刻な窮乏という感じにはほど遠かった。もちろんちょっと見てきたくらいで判ったような気持になるのは禁物だ。私はキエフにしか行かず、ロシアに併合されてしまったクリミヤや、東部の紛争地域を見ているわけではない。東部の紛争でもう少なくとも六〇〇〇人を超える人命が失われ、一四〇万人ほどが国内避難民となっている。実際今回の旅行の私の印象を一言で言えば、ロシアの力ずくの現状変更によって、ウクライナの反ロシア姿勢は後戻りの効かないところまで来たのかもしれないということだった。

 もっともだからといってウクライナがしっかり政治的に団結できるかどうかは別の問題だ。実はウクライナが独立国だった時代は歴史的に見てそう長くはない。現在のウクライナの領土は旧ソ連時代の共和国をそのまま引き継いだもので、領域内には多様な民族的、文化的、歴史的背景を持つ人々が住んでいる。とりわけロシアとの文化的・宗教的関係は長く重要かつ複雑で、これについても本誌八一号で下斗米伸夫氏が詳しく分析している。キエフ市内ではロシア語が当然のように通じるし、自分をロシア人だと思っている人々もクリミヤや東部では少なくないのは事実である。またクリミヤは特別だというロシアの主張にも根拠がないわけではない。欧米主要メディアは親ヨーロッパ派が穏健な自由主義者だというイメージで語りがちだが、第二次世界大戦中にドイツと組んだ勢力の流れをくむ、「ファシスト」だとロシアは非難する。確かにウクライナ独立を目指してソ連と執拗に戦いKGBに暗殺されたバンデラのような民族主義者は、ナチ・ドイツとも組んだし、急進的なウクライナ民族主義者の中に反ユダヤ主義的勢力がいるのも事実である。

 キエフの街は天気に恵まれ快適だったが、私はなぜか少し落ち着かなかった。どうやらそれはヨーロッパの首都なら必ずある王宮がないので、街の中心がどこなのかが了解しにくいせいではないかと思い始めた。国王はいなくとも権力者や成金ならいる。昨年の政変でロシアに逃亡したヤヌコヴィッチ前大統領の別荘は今や観光名所になっていて、観光客がやってきていた。広大な敷地内に贅を尽くした建物や庭が配され動物園まであった。だがこれは王宮ではなくそのパロディにすぎない。

 王室や王宮とともに、国家の統一感を確認するありきたりの装置が歴史である。興味深いのが、この国がソ連の一部として生きていた時代の評価である。ウクライナがソ連統治下で苛斂誅求にあい、とりわけスターリンが一九三〇年代にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉を引き起こしたことはよく知られている。第二次世界大戦中のウクライナは、誰もが認める悪玉のヒトラーとかのスターリンとの狭間で生きなくてはならなかった。この時代については、どう評価されているのか。そう思って「大祖国戦争史国立博物館」を訪れると、対独戦におけるウクライナの貢献が強調され、対日戦の勝利についても展示があった。だが私が見た限り、前述の民族主義者バンデラの展示はなかった。ソ連時代の展示がそのまま継承されているのかもしれないが、もしそうならばウクライナはソ連のやったこと、たとえば第二次世界大戦後の東欧での抑圧にも、責任の一端があるということになりはしないだろうか。なにせスターリンの後継者フルシチョフはウクライナ人なのだ。

 この国で継続的な国家の権威は可視化しにくいし、「正しい民族の物語」を語るにはあまりにも多数のウクライナがある。良く悪くもともに生きてきたし、今後もともに生きていくのだから政治的妥協も必要だという感覚がいささか弱いのがこの国の難しさなのではないか。もちろん民族的アイデンティティは、常に再生産の過程にある。マルクス主義なきソ連崩壊後のロシアがナショナリズムへの傾斜を強めると対抗的ナショナリズムがどうしても生ずるし、露骨な介入、紛争、戦死者、避難民は、この先長くこの国に住む人々の共通体験として記憶されそうである。プーチンはウクライナをそうとは知らず創りつつあるのではないか。そのことを象徴するかのように、「大祖国戦争史国立博物館」では、東部で戦死したウクライナ軍兵士たちを記憶する、真新しく入念な展示が一階正面のホールを占めていた。

 というわけでロシアは嫌われEUやNATOへの期待は高い。だが国際政治が好き嫌いだけでやっていけるはずはない。EUはウクライナ問題でロシアを非難はしても、ロシアとの決定的な関係悪化を望むまい。また仮にウクライナがNATOに加盟しても、アメリカ人は、組織だった抵抗もせずにクリミヤで屈したウクライナを守るために、はたして命をかけるだろうか。この国の人々は、国際政治の力学を見極めつつも、団結して独立と自由を守る覚悟はあるのだろうか。そんなことを心配しながら展示を見ていると、ふと安保法制で憲法論議に終始する日本のことを思い出した。

[筆者]
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)
1956年生まれ。京都大学大学院法学研究科中退。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授などを経て現職。専門は国際政治学。著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(編著、有斐閣)など。

※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。





<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『アステイオン83』
 特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授) ※アステイオン83より転載

この記事の関連ニュース