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米爆撃機が中国の人工島上空を飛んだことの意味

ニューズウィーク日本版 2015年12月28日 15時45分

 2015年12月18日、米国防総省が、「米軍のB-52戦略爆撃機が、中国の人工島から2海里上空を飛行した」ことを明らかにした。中国は、外交ルートを通じて正式に抗議したが、米国は、今回の飛行は、「航行の自由」作戦ではなく、意図されたものではなかったとしている。天候が悪かったことが影響した可能性もあるとも言うのだ。本当に、意図したものではなかったのだろうか?

 飛行作業は、飛行ルート又は飛行する空域を決めてから行う。何の計画もなしに飛行することはあり得ない。どのような飛行方式であっても、飛行中は、常に自機位置を把握し、計画されたルート上を飛行しなければならない。このB-52は航法用コンピューターを使用し、自動飛行モードで飛行していたかもしれないが、パイロットは航法援助施設や風の計算等の他の手段も用いて自機位置を把握していたはずだ。

領空侵犯は領海侵犯より悪質

 では、米国は、故意に進入したと言いたくなかったということなのだろうか。報道によれば、多くの法学者が、「今回、米軍機が接近したクアテロン礁は、中国が埋め立てて人工島とする以前は「岩」であった」としている。もし、「岩」であったとするならば、「暗礁」とは異なり、その周囲12海里に領海を有する。B-52は、いずれの国が領有しているかはともかく、「誰かの領空」を侵犯したことになる。

 領海とは異なり、領空には「無害通航権」は認められない。故意に領空を侵犯するのは、悪質でさえある。国によっては、領空侵犯機の撃墜も辞さない。領空侵犯は、自国に対して危害を加える行為であると認識されるからだ。トルコが、領空を侵犯したとしてロシア軍機を撃墜したのは記憶に新しい。

 米国は、故意に人工島に接近したとしても、今回は、計画された作戦である、とは言えないということである。本当に、意図せずに進入したのだとすると、米軍のパイロットを初めとする搭乗員に全く緊張感がなく、よほどルーズなフライトをしたことになるが、故意にせよ、そうでないにせよ、中国を大いに苛立たせたことに間違いはない。

 さらに、国防総省のスポークスマンは、ご丁寧に「中国がスクランブル等の対応をした形跡はない」とも話している。中国は何もできなかった、と言ったのだ。中国のメンツは丸つぶれである。米国がいくら誤りだと釈明しようと、中国は、米国の軍事的圧力を強く感じているだろう。

 しかし、中国以上に国防総省の圧力を強く感じたのは、オバマ大統領かもしれない。米国防総省は、中国の急速な人工島建設を含む国際情勢の変化に米国が対応しないことに危機感を持ち、これまでも、軍事力の使用を躊躇するオバマ大統領に圧力をかけてきた。

 そして、ヘーゲル前国防長官もが、米国メディアのインタビューの中で、オバマ政権のシリア政策やホワイトハウスの安全保障チームの弱腰を批判した。ヘーゲル氏が批判したのは、シリア政策についてであるが、国防総省の批判は、軍事力の使用を躊躇するオバマ大統領の安全保障政策全般に向けられている。

 オバマ政権を批判したのは、ヘーゲル氏だけではない。ヘーゲル氏の前に国防長官を務めたゲーツ、パネッタ両氏も、退任後にオバマ政権を批判している。ヘーゲル氏の前々任者のゲーツ氏は、戦略のなさを指摘したし、その後任のパネッタ氏も「米国の影響力や国益を確保する態勢を作ることが二の次になっていた」と批判した。

 イラク及びアフガニスタン両戦争を終結させて米軍を撤退させることを公約に掲げ、米国内の厭戦気分に押されて大統領に就任したオバマ大統領が、他国への軍事的関与をただ減らそうとしてきたことへの批判である。

中国とオバマ両方に圧力をかけたB-52

 国防長官が3代連続で政権を批判するのは異例だ。オバマ大統領と国防総省の溝の深さを示すものでもある。さらに両者の溝を深めているのは、オバマ大統領の側近重視の姿勢であると言われる。国防総省は、オバマ大統領が自分たちの意見を聞かず、ごく限られた仲間だけで政策を決定していると考えている。

 軍事力を行使しないことによって米国が世界各地で影響力を低下させている状況に国防総省がいかに危機感を募らせても、側近以外の意見を聞かないオバマ大統領を動かす方法は多くはない。

 オバマ大統領の承認が必要な「航行の自由」作戦のさらなるステージ・アップは難しいとしても、「誤って」入ってしまったのなら仕方がない。B-52の飛行は、オバマ大統領の指示によるものではないにしても、国防総省あるいは太平洋軍が、中国とオバマ大統領の双方に圧力をかける目的で行った、と考えるのは邪推だろうか。

 いずれにしても、中国は、米国からの圧力は軽減しなければならない。米国に対して、譲歩しなければならないのだ。オバマ大統領は言うだけで何もしない、と見くびっていたが、当ては外れたのである。オバマ大統領の承認がなくとも、米軍の艦艇あるいは航空機が、南シナ海において中国が主権を主張する海域あるいは空域に進入することがあり得るとわかったからだ。

 中国にしてみれば、計画された作戦であるかどうかよりも、「米軍の主権侵害に対して中国が何もできない」と国内で批判されることが問題なのである。

「9月の米中首脳会談以後、中国が一方的に譲歩しているように見える」というのは、ワシントンにいる友人たちから届く声だ。サイバー・セキュリティーに関しても、中国が譲歩しているように見える。

 米国メディアは、9月の習近平国家主席の訪米を前に、中国当局が、米国の要請により数人のハッカーを逮捕していたと報じている。中国は、さらに、企業などを標的とするサイバー攻撃を実施しないと米国に約束し、12月1日及び2日には、初の米中閣僚級サイバー対話にも応じた。

 また、中国は、11月30日からパリで開催された「国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)」では、指導力を発揮したい米国に同調した。発展途上国の代表を自任する中国が、会議で発展途上国の非難を浴びることになっても、である。

 中国国内の大気汚染問題解決のために、外圧を利用したいという思惑があるにしても、中国独自の指導力を発揮しようとせず、米国に同調したのは、米国の圧力が関係していると考えれば納得がいく。

 オバマ大統領は、会議初日に行われた米中首脳会談で、習近平主席に対して、米国に同調するよう求めていたし、その直前の11月20日には、米海軍が、年内にも、再度、米海軍艦艇が中国人工島の12海里以内の海域に進入する可能性がある、と述べていたのだ。

 しかし、サイバー対話に関する、米司法省の発表を見る限り、中国の譲歩は見せかけのものに留まっているようだ。米司法省の発表によれば、米中双方は、サイバー犯罪対処のガイドラインの作成、机上演習の実施、米中首脳間のホットラインの設置、サイバー犯罪対処における協力の強化等について合意した。

予期せぬ軍事衝突の可能性も

 これら合意項目は米中協力の印象を与えるものではあるが、実際に合意したのは、これから協力を進める、ということだけである。そして、2回目の閣僚級サイバー対話の実施も合意された。次回以降、具体的な中身を話しましょう、ということだ。サイバー対話が行われたこと自体は、前向きに評価しつつも、米国務省幹部は、「中国には大きな期待をしないようになった」と話す。

 中国は、表面上、譲歩の姿勢を見せつつ、実際には、米国が満足できるような回答をしていない。国務省でさえ、いつまでも、誠実な対応を見せない中国の態度をみて、中国との議論に見切りをつけているということである。

 しかし、中国に、米国に対する譲歩を決心させないのは、米国自身かもしれない。オバマ大統領と国防総省の対立が、オバマ大統領が軍事力の行使を避けようとしていることを示しているからである。中国は、表面上、譲歩の姿勢を示しておけば、米国は、中国に対して軍事力を行使しないのではないかと考え、様子を見ているのだ。そして、中国は、米国が軍事力を行使しないと考える間は、軍事力等による影響力の拡大を継続する。

 意図的であるにしろ、ないにしろ、B-52の飛行は、米国は軍事力を使用しないだろうという中国の期待を、駆逐艦の航行に続き、再度、裏切るものになった。どういう理由であれ、米軍の戦略爆撃機が、中国が主張する領空を侵犯したのだ。中国は、今回のB-52の飛行が、単なる誤りであったとは考えないだろう。

 中国は、南シナ海でもサイバー空間でも、米国の出方を慎重に見ながら活動しなければならない。中国は、米軍の行動に対処できないという批判と、米国との軍事衝突の双方を避ける、という綱渡りを続ける。米国の対応も一貫しない。米国が中国に圧力をかけ、中国が譲歩するという構造自体は新しくないが、その様相は変化している。

 米国及び中国とも、国内の異なる意見が調整できない状況の下、米中間の落としどころが見つかる見通しは立っていない。米中間の緊張は解消できず、予期せぬ軍事衝突の可能性はゼロにはならないのである。

[執筆者]
小原凡司
1963年生まれ。85年防衛大学校卒業、98年筑波大学大学院修士課程修了。駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊司令などを歴任。東京財団研究員

小原凡司(東京財団研究員)

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