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京都市の大胆な実験

ニューズウィーク日本版 2015年12月29日 7時45分

 京都市に四条通という道がある。平安京の条坊制の名残を今に伝える名前だが、市内中心部を東西に貫くこともあって、近代以降は京都随一の繁華街として賑わってきた。とりわけ八坂神社のある祇園(東大路通との交差点)から烏丸通と交差する四条烏丸までは、大阪方面と京都市内を結ぶ私鉄である京阪電鉄や阪急電鉄がすべての列車を停める大きな駅を構え、デパートや高級ブランド店、大規模書店、和装など京都ならではの老舗、さらにメガバンクの京都支店なども並ぶ。

 今年の春先から、この四条通で大規模な工事が始まった。それまで車道が東方向と西方向それぞれ二車線ずつであったのを、各一車線ずつに半減させ、その分を歩道にするための工事である。工事区間は鴨川にかかる四条大橋から四条烏丸までだから、繁華街として賑わう区間とほぼ重なることになる。

 この工事を進めているのは京都市役所である。市役所の説明では、現在の歩道幅は狭すぎ、国内外からの観光客が増加し、さらに今後も国際観光都市として発展することを目指すには不適切だという。また、京都市は観光スポットを中心に渋滞が激しいため、自動車の流入を抑止することを継続して目指している。今回あえて自動車の利便性を下げるのも、その一環という面も大きいようだ。

 それにしても、経済活動の心臓部で車道を減らし、歩道を拡幅するというのは、何とも大胆な実験である。京都市はもともと、実験的な政策を恐れない町であることは確かだ。明治維新後の東京奠都(てんと)に伴い衰退した市の復興のために、琵琶湖疎水とインクラインを建設し、水源とともに物流ルートや電力源を確保した。その電力を使って日本初の電車(市電)を走らせたことは、よく知られている。大学が集積し、学生や研究者が多いこともあって、新しいことを面白がり、「まずやってみる」という先取の気風が今日に至るまであることも事実だろう。

 その一方で、第二次世界大戦後の京都市が、東京都や大阪市に追従する動きを見せてきたことも否定できない。一九七〇年代には市電を順次廃止し、八〇年代に入ると地下鉄を開業した。寺院への拝観課税をめぐって行政と仏教会が激しく対立したのも、この時期である。八〇年代末のバブル期には、市内中心部における建物の高さ規制を大幅に緩和し、高層ビルの建築を容認した。この間、同志社や立命館といった主要大学は市外に第二キャンパスを置くようになり、所有者の代替わりや地価高騰などによって市内の町家(いわゆる「鰻の寝床」といわれる狭い間口の伝統家屋)は次々と小さなビルなどに建て替えられていった。京都は「よくある地方大都市」になろうとしており、市の政策もそれを追認していたのである。

 したがって、四条通の工事は明らかな政策転換を示す動きだといえる。一般にはほとんど知られていないと思われるが、近年の京都市は目指す都市像を大きく変えている。具体例としては、商店が掲出する屋外広告物に対して強い規制をかけたことや、大規模な交通規制を伴う祇園祭の「後祭」を復活させたこと、現在はいったん下火になっているようだが、市電の復活についても本格的な検討と社会実験を行ったことなどが挙げられる。

 嵐山や銀閣寺といった特定の観光スポットだけではなく、通常「洛中」として意識されているエリア、すなわちJR東海道線・新幹線より北で、おおむね東大路通・北大路通・西大路通に囲まれる地域については、東京や大阪との差異化を徹底して「京都ブランド」を前面に押し出し、その価値を最大化する政策をとっているように見える。

 なぜ、このような転換が図られたのだろうか。一つには、日本社会全体の理念の変化があるだろう。市電の廃止を決めた高度経済成長期やビル高層化を容認したバブル期は、東京を模倣することこそが大都市の目標だと考えられていた。道路や地下鉄の整備、土地の高度利用などは、その行政的手段だったのである。一九九〇年代以降の経済的停滞は、環境保護や伝統的な生活様式の価値を見直すことにもつながっており、経済成長を通じた「東京のような発展」への政策的オルタナティヴが準備されたのであろう。

 もう一つには、政策転換が経済にもプラスになる、という認識が生まれたことも大きいように思われる。市電や町家の価値を訴える人々は、高度経済成長期やバブル期にもそれなりに存在していた。彼らの主張が多数派に受け入れられなかったのは、結局のところ、それでは京都市は衰退してしまうではないか、という懸念に十分な反論ができなかったためであった。

 しかし、「東京のような発展」の挫折と停滞に加え、東京圏在住の富裕層などが京都に特別な価値を認めるようになったことは、事態を大きく変えた。東京の縮小相似形に過ぎない町は、東京の人々には魅力はない。彼らは「東京とは異なった大都市」を京都に見出すからこそ、観光に訪れ、さらにはセカンドハウスを購入するといった行動に出るのである。海外からの観光客にも同じことがいえる。短い日本滞在期間中に京都を訪問地として選んでもらうには、東京との差異化は明らかにプラスの効果を持つ。

 こうして、政策理念としてのオルタナティヴが形成され、それが経済的利害とも整合したときに、新しい政策を自らの強みにしようとする政治家が登場した。その中心にいるのが、現在の門川大作・京都市長である。ほとんどの公式行事に着物姿で登場するこの市長の下で、ここに述べてきた政策転換の多くは進められた。その大胆さは、市の教育畑を歩んできた堅実そうなキャリアからは想像しがたい。それに平仄(ひようそく)を合わせるように、京都市議会は「京都市清酒の普及の促進に関する条例」(通称・日本酒乾杯条例)を議員提案で成立させた。宴席での乾杯を日本酒でしましょう、という理念のみの条例だが、京都の独自価値を強めようとする志向においては共通する。

 とはいえ、良いことずくめの政策は存在しない、というのは政治学のイロハかも知れない。ある政策が選択されるということは、その政策を望ましいと考えた人々の意見が通り、望ましくないと考えた人々や他の政策が望ましいと考えた人々の意見が通らなかったことを意味するからである。自分の意見が容れられなかった人々にとって、採用された政策は望ましくないものである可能性は高い。ここに述べてきた京都市の政策転換の場合にも、それは例外ではない。時代の潮流や経済的メリットから考えて妥当に思われる政策も、負の影響を受けている人々は確実に存在する。

 その代表が、京都市域以外から京都市に通勤や通学をしている人々であろう。京都は歴史都市、観光都市であると同時に、それなりの経済圏や生活圏を持つ大都市である。「東京のような発展」を遂げた京都に毎日通っている、という人は多い。かく言う筆者もその一人である。このような立場からは、四条通の車線減は渋滞の原因であり、通勤・通学の足となるバスの遅れを意味する。祇園祭の山鉾巡行日が増えれば、同じように交通に大きな影響が出る。今回の政策転換が、京都市域外に住みながらも京都市の社会経済を支える人々の犠牲の上に行われたことは否定できない。

 京都市は全国の政令指定都市で唯一、市人口の所在都道府県内人口に占める割合が五〇%を超えている。つまり、京都府の人口の過半数は京都市民なのである。このことは恐らく、京都市が政策を展開する際に、京都市域外の人々の存在を意識しにくくしているであろう。また、京都市域外から通勤・通学する人々は、東京や海外からの観光客とは違い、宿泊もしなければ目立った消費もしない。彼らに少々不便があっても生み出す経済効果に大きな違いはないことも、市域外の人々を軽視することにつながりやすい。

 実のところ、この問題は先日まで注目を集めていた「大阪都構想」が本来扱おうとしていた課題の裏返しである。大阪の場合、大阪市の人口は府の人口の三〇%程度で、大阪市に市域外から通勤や通学する人が多数を占めていた。経済圏や生活圏は同じなのに、政治行政区画が異なるために疎遠になり、大阪市域外の人々が大阪市を見捨ててしまいかねない状況を打開したいというのが、都構想の基底にあった考えの一つであった。京都の場合には逆に、京都市が市域外の人々のことを十分に斟酌していないわけだが、根底にあるのは大都市における「圏域問題」、すなわち経済圏や生活圏と政治行政圏が重なっていないという制度的問題であることは共通する。

 政治行政区画が異なるために、選挙にも関与することができない人々ばかりがマイナスの影響を甘受せねばならないというのは、政策選択としてはあまり褒められたものではない。かといって、京都市に大阪府や滋賀県から通勤・通学する人も多いように、経済圏や生活圏と政治行政圏を完全に重ね合わせることは不可能だ。特徴や個性を打ち出さない限り、東京以外の日本の大都市には衰退しか待っていないことも間違いない。この状況で、どのような政策がありうるのか。京都市の大胆な実験から見えてくるのは、日本の大都市制度の根深い問題なのである。

[筆者]
待鳥聡史(京都大学大学院法学研究科教授)
1971年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士課程退学。博士(法学)。大阪大学大学院法学研究科助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て、現職。専門は比較政治・アメリカ政治。著書に『財政再建と民主主義』(有斐閣)、『首相政治の制度分析』(千倉書房、サントリー学芸賞)など。

※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。





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待鳥聡史(京都大学大学院法学研究科教授) ※アステイオン83より転載

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