遠く太平洋を望む横浜市みなとみらいの横浜美術館で、中国出身のアーティスト蔡國強(ツアイ・グオチヤン)の個展「帰去来」が開かれた。
蔡國強は、何よりもその独創的な「火薬絵画」によって、国際的にも広く知られている。「火薬絵画」とは、文字通り、絵の具の代りに火薬によって描かれた作品のことをいう。床の上に拡げた紙の上に火薬を撒き、爆発させると、その痕跡が玄妙不可思議な造形世界を浮かび上らせる。もちろん、当初火薬を撒く時に、全体の図柄を想定し、予じめ用意した下絵に沿って火薬を置いてゆくのだが、火力の強さや燃焼時間によって微妙な差異が生じるので、最終結果は必ずしも予測し難い。その点では、同じく火による造形である焼物の場合とよく似ていると言えるかもしれない。
火薬の利用はそれだけにとどまらない。もともと火薬は遠く古代中国において発明され、長い歴史のあいだ、破壊の手段や戦争の武器として用いられて来た。十三世紀末の「蒙古襲来絵詞」には、日本の武士たちを悩ませた元軍の鉄砲が描き出されている。しかしそれと同時に、爆竹や花火など、祭礼や年中行事に欠かせない景物として、現在も広く用いられている。この伝統を踏まえて、二〇〇八年の北京オリンピック・パラリンピック開会式に、蔡國強が特別アート・ディレクターとして光と音の壮麗なスペクタクルを実現して見せたことは、多くの人々の記憶にとどめられているだろう。
一九五七年、中国福建省泉州市に生まれた蔡は、早くから火薬を造形表現に利用することを試みていたが、火薬作品をまとまった展覧会として発表したのは、一九八六年の来日後のことである。一九九一年、東京で開かれた個展「原初火球――さまざまのプロジェクトのためのプロジェクト」は、屏風状に折り曲げた火薬ドローイング七点を画廊内部に放射状に配置した展示で、それ自体強い衝撃力を持つものであったが、個々の作品は、展覧会題名にも明示されている通り、火薬を用いたプロジェクトのための企画案なのである。火薬をその本来の姿で表現媒体として使うとするならば、爆発の痕跡ではなく、爆発そのもの、つまり火の作用を演出して見せなくてはならない。それは必然的に、一種のパフォーマンスとならざるを得ない。
実際、蔡國強は、展覧会に先立って、東京・多摩川の川辺で「人類の家:外星人のためのプロジェクトNo.1」を実現している。これは、さまざまの動物の毛や羽を貼りつけた帆布と、木の枝、縄で作ったテント(人類の家)を火薬で爆発させたものである。後に蔡自身このプロジェクトについて、爆発は「戦争、あるいは人類によるこの星の生態系や自然環境に対する破壊を暗示し(......)、爆発が生むエネルギーには、人類の生命の起源であるビッグ・バンや、世代の永続性を象徴させた」と語っている。つまり爆発は、破壊、消滅をもたらすと同時に、そのエネルギーによって新しい生命を生じさせ、世代を越えてその継続性を保証するものである。そこには、火は土を生じさせ、土は金を、金は水を、水は木を、そして木はまた火を生じさせるという東洋古来の五行相生の思想の反映を読み取ることも可能であるかもしれない。もともと蔡國強は風水や五行思想に強い関心を持ち、火薬作品を実現するにあたってもしばしば専門の風水師の助言を得ている。(北京オリンピックの際にも、メインの競技場である北京国家体育館(通称「鳥の巣」)から見て「木」の方角にあたる東北部が「最も良い」という風水師の託宣にしたがって聖火台の位置を決めたという)。その結果、爆発は、破壊と生成、死と再生を繰り返す大いなる自然の循環のなかに位置づけられる。人類の生命もまた、その自然の一部である。この循環する自然を時間を遡ってもとを尋ねて行けば、それは人類の登場や地球の誕生をもはるかに超えて、遠く宇宙のはじまりである「ビッグ・バン」にまでいたる。東京での蔡の個展が「原初火球」すなわち「ビッグ・バン」と題されていたのは、そのためである。
このような思想的背景に支えられている蔡國強の数多くの火薬パフォーマンスのうち、特に注目すべきものは、一九九三年に実現された「万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト」であろう。これは、万里の長城の西端からさらに西の方に二本の導火線を一万メートル延ばし、途中一キロごとに火薬の袋を配置した壮大な企画で、着火すると総体は、ところどころ火を吐く巨大な光り輝く龍となって、うねりながら這い進んで行ったという。この場合、「光り輝く龍」というのは、単なる比喩ではない。導火線は、事前の調査によって、風水思想でいう「龍脈」、すなわち地中を流れる気のルートとつながるように配置されていた。蔡の火薬の帯は、文字通り「龍脈」を伝えていたのである。
もともと龍(ドラゴン)は、西欧世界では邪悪の化身、悪魔の象徴で、闇のなかにうごめくおぞましい存在である。それ故に、絵画においても、龍は英雄や騎士に退治される恐ろしい怪物として表現されて来た。だが東洋、特に東アジアにおいては、蔡國強が繰り返し述べているように、龍は、「宇宙のエネルギーの象徴」であり、「人類、宇宙、超自然界を結びつける存在」として、昔から畏敬と尊崇の対象であった。中国や日本で数多く描かれた龍の図像が、そのことをはっきりと示している。われわれのよく知っている例では、富士山を越えて天高く昇って行く龍を描き出した北斎晩年の名作「富士越龍図」がある。このような視点から見て興味深いものとして、蔡による「昇龍:外星人のためのプロジェクトNo.2」を挙げることができる。これは、二〇〇メートルの導火線を使って、空飛ぶ龍がサント・ヴィクトワール山を登って行く跡を表現しようという奇想天外なプロジェクトである。サント・ヴィクトワール山は、言うまでもなく、晩年のセザンヌが繰り返し取り組んだ対象である。もしこのプロジェクトが実現していたら、それは西洋と東洋の優れた芸術家による異色の対話ともなったであろうと思われるが、残念ながらこの計画は、さまざまの理由により、結局実現されなかった。しかしそのために蔡が残した火薬ドローイングを見てみると、黒々とした山肌に、不意にきらめく閃光のような白い光跡が麓から山頂まで稲妻型に延びていて、見る者に鮮烈な、ほとんど脅かすような強い印象を与える。
東洋出自の龍と西欧世界とを対話させるというこの大胆な構想は、まったく違ったかたちで、一九九九年、ハプスブルク家以来の長い伝統を保ち続ける町ウィーンにおいて実現された。「龍がウィーンを観光する:外星人のためのプロジェクトNo.32」がそれである。この火薬パフォーマンスが行われたのは、多くの文化施設が集中する美術館地区で、このエリアは「歴史的な雰囲気に満ちており、文化の〝気〞が凝縮していた」と蔡は言う。そこで展開された「観光する龍」の姿は、記録写真で見るかぎり、まだ夕暮には間のある午後の青空を背景に、何台かの大型クレーンに捲きつけた導火線が、ほとんど優雅と言ってもよいほどの巨大な龍の姿を描き出している。火薬が生み出す色彩と形態の見事な調和の感覚は、造形作家として蔡の卓越した才能を充分に物語るものと言ってよいだろう。
以上に述べた作品例は、蔡の多面的な活動のほんの一部に過ぎないが、その他の作例も含めて、そこに見られる共通した特色は、宇宙的とも言える構想の壮大さと、それに見合う作品スケールの大きさであろう。今回の展覧会でも、会場正面の壁を飾る火薬絵画「夜桜」は、縦八メートル横二四メートルという巨大なスケールであり、また、ベルリンの壁崩壊の記憶に触発されたというインスタレーション作品「壁撞き」では、九九頭の等身大の狼が激しく空中を飛翔し、透明なガラスの壁にぶつかって引き返すという動物たちの無言のドラマが、幅八メートル、奥行き三二メートルの空間いっぱいに展開されている。
しかし、江戸期の春画に想を得た最新作「人生四季」四部作では、四季折々の草花や鳥、あるいは季節を暗示する花札模様に覆われた抱き合う男女の姿は、外部の世界からは隔絶されて、二人だけの官能の充足に沈潜している。技法的には、火薬絵画にはじめて色彩を導入して移りゆく季節の風情をも漂わせたその見事な成果は、この画家が、大いなる自然と呼応する人間内部の奥深い世界への探究にも強く惹かれていることを示しているように思われる。
[筆者]
高階秀爾(大原美術館館長、西洋美術振興財団理事長)
1932年生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ大学付属美術研究所およびルーブル学院で西洋近代美術史を専攻。東京大学文学部教授、国立西洋美術館館長などを経て現職。東京大学名誉教授。著書に『名画を見る眼』(岩波書店)、『近代美術の巨匠たち』(岩波現代文庫)、『近代絵画史』(中央公論新社)、『日本の美を語る』(青土社)など多数。
※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。
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『アステイオン83』
特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
高階秀爾(大原美術館館長、西洋美術振興財団理事長) ※アステイオン83より転載
蔡國強は、何よりもその独創的な「火薬絵画」によって、国際的にも広く知られている。「火薬絵画」とは、文字通り、絵の具の代りに火薬によって描かれた作品のことをいう。床の上に拡げた紙の上に火薬を撒き、爆発させると、その痕跡が玄妙不可思議な造形世界を浮かび上らせる。もちろん、当初火薬を撒く時に、全体の図柄を想定し、予じめ用意した下絵に沿って火薬を置いてゆくのだが、火力の強さや燃焼時間によって微妙な差異が生じるので、最終結果は必ずしも予測し難い。その点では、同じく火による造形である焼物の場合とよく似ていると言えるかもしれない。
火薬の利用はそれだけにとどまらない。もともと火薬は遠く古代中国において発明され、長い歴史のあいだ、破壊の手段や戦争の武器として用いられて来た。十三世紀末の「蒙古襲来絵詞」には、日本の武士たちを悩ませた元軍の鉄砲が描き出されている。しかしそれと同時に、爆竹や花火など、祭礼や年中行事に欠かせない景物として、現在も広く用いられている。この伝統を踏まえて、二〇〇八年の北京オリンピック・パラリンピック開会式に、蔡國強が特別アート・ディレクターとして光と音の壮麗なスペクタクルを実現して見せたことは、多くの人々の記憶にとどめられているだろう。
一九五七年、中国福建省泉州市に生まれた蔡は、早くから火薬を造形表現に利用することを試みていたが、火薬作品をまとまった展覧会として発表したのは、一九八六年の来日後のことである。一九九一年、東京で開かれた個展「原初火球――さまざまのプロジェクトのためのプロジェクト」は、屏風状に折り曲げた火薬ドローイング七点を画廊内部に放射状に配置した展示で、それ自体強い衝撃力を持つものであったが、個々の作品は、展覧会題名にも明示されている通り、火薬を用いたプロジェクトのための企画案なのである。火薬をその本来の姿で表現媒体として使うとするならば、爆発の痕跡ではなく、爆発そのもの、つまり火の作用を演出して見せなくてはならない。それは必然的に、一種のパフォーマンスとならざるを得ない。
実際、蔡國強は、展覧会に先立って、東京・多摩川の川辺で「人類の家:外星人のためのプロジェクトNo.1」を実現している。これは、さまざまの動物の毛や羽を貼りつけた帆布と、木の枝、縄で作ったテント(人類の家)を火薬で爆発させたものである。後に蔡自身このプロジェクトについて、爆発は「戦争、あるいは人類によるこの星の生態系や自然環境に対する破壊を暗示し(......)、爆発が生むエネルギーには、人類の生命の起源であるビッグ・バンや、世代の永続性を象徴させた」と語っている。つまり爆発は、破壊、消滅をもたらすと同時に、そのエネルギーによって新しい生命を生じさせ、世代を越えてその継続性を保証するものである。そこには、火は土を生じさせ、土は金を、金は水を、水は木を、そして木はまた火を生じさせるという東洋古来の五行相生の思想の反映を読み取ることも可能であるかもしれない。もともと蔡國強は風水や五行思想に強い関心を持ち、火薬作品を実現するにあたってもしばしば専門の風水師の助言を得ている。(北京オリンピックの際にも、メインの競技場である北京国家体育館(通称「鳥の巣」)から見て「木」の方角にあたる東北部が「最も良い」という風水師の託宣にしたがって聖火台の位置を決めたという)。その結果、爆発は、破壊と生成、死と再生を繰り返す大いなる自然の循環のなかに位置づけられる。人類の生命もまた、その自然の一部である。この循環する自然を時間を遡ってもとを尋ねて行けば、それは人類の登場や地球の誕生をもはるかに超えて、遠く宇宙のはじまりである「ビッグ・バン」にまでいたる。東京での蔡の個展が「原初火球」すなわち「ビッグ・バン」と題されていたのは、そのためである。
このような思想的背景に支えられている蔡國強の数多くの火薬パフォーマンスのうち、特に注目すべきものは、一九九三年に実現された「万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト」であろう。これは、万里の長城の西端からさらに西の方に二本の導火線を一万メートル延ばし、途中一キロごとに火薬の袋を配置した壮大な企画で、着火すると総体は、ところどころ火を吐く巨大な光り輝く龍となって、うねりながら這い進んで行ったという。この場合、「光り輝く龍」というのは、単なる比喩ではない。導火線は、事前の調査によって、風水思想でいう「龍脈」、すなわち地中を流れる気のルートとつながるように配置されていた。蔡の火薬の帯は、文字通り「龍脈」を伝えていたのである。
もともと龍(ドラゴン)は、西欧世界では邪悪の化身、悪魔の象徴で、闇のなかにうごめくおぞましい存在である。それ故に、絵画においても、龍は英雄や騎士に退治される恐ろしい怪物として表現されて来た。だが東洋、特に東アジアにおいては、蔡國強が繰り返し述べているように、龍は、「宇宙のエネルギーの象徴」であり、「人類、宇宙、超自然界を結びつける存在」として、昔から畏敬と尊崇の対象であった。中国や日本で数多く描かれた龍の図像が、そのことをはっきりと示している。われわれのよく知っている例では、富士山を越えて天高く昇って行く龍を描き出した北斎晩年の名作「富士越龍図」がある。このような視点から見て興味深いものとして、蔡による「昇龍:外星人のためのプロジェクトNo.2」を挙げることができる。これは、二〇〇メートルの導火線を使って、空飛ぶ龍がサント・ヴィクトワール山を登って行く跡を表現しようという奇想天外なプロジェクトである。サント・ヴィクトワール山は、言うまでもなく、晩年のセザンヌが繰り返し取り組んだ対象である。もしこのプロジェクトが実現していたら、それは西洋と東洋の優れた芸術家による異色の対話ともなったであろうと思われるが、残念ながらこの計画は、さまざまの理由により、結局実現されなかった。しかしそのために蔡が残した火薬ドローイングを見てみると、黒々とした山肌に、不意にきらめく閃光のような白い光跡が麓から山頂まで稲妻型に延びていて、見る者に鮮烈な、ほとんど脅かすような強い印象を与える。
東洋出自の龍と西欧世界とを対話させるというこの大胆な構想は、まったく違ったかたちで、一九九九年、ハプスブルク家以来の長い伝統を保ち続ける町ウィーンにおいて実現された。「龍がウィーンを観光する:外星人のためのプロジェクトNo.32」がそれである。この火薬パフォーマンスが行われたのは、多くの文化施設が集中する美術館地区で、このエリアは「歴史的な雰囲気に満ちており、文化の〝気〞が凝縮していた」と蔡は言う。そこで展開された「観光する龍」の姿は、記録写真で見るかぎり、まだ夕暮には間のある午後の青空を背景に、何台かの大型クレーンに捲きつけた導火線が、ほとんど優雅と言ってもよいほどの巨大な龍の姿を描き出している。火薬が生み出す色彩と形態の見事な調和の感覚は、造形作家として蔡の卓越した才能を充分に物語るものと言ってよいだろう。
以上に述べた作品例は、蔡の多面的な活動のほんの一部に過ぎないが、その他の作例も含めて、そこに見られる共通した特色は、宇宙的とも言える構想の壮大さと、それに見合う作品スケールの大きさであろう。今回の展覧会でも、会場正面の壁を飾る火薬絵画「夜桜」は、縦八メートル横二四メートルという巨大なスケールであり、また、ベルリンの壁崩壊の記憶に触発されたというインスタレーション作品「壁撞き」では、九九頭の等身大の狼が激しく空中を飛翔し、透明なガラスの壁にぶつかって引き返すという動物たちの無言のドラマが、幅八メートル、奥行き三二メートルの空間いっぱいに展開されている。
しかし、江戸期の春画に想を得た最新作「人生四季」四部作では、四季折々の草花や鳥、あるいは季節を暗示する花札模様に覆われた抱き合う男女の姿は、外部の世界からは隔絶されて、二人だけの官能の充足に沈潜している。技法的には、火薬絵画にはじめて色彩を導入して移りゆく季節の風情をも漂わせたその見事な成果は、この画家が、大いなる自然と呼応する人間内部の奥深い世界への探究にも強く惹かれていることを示しているように思われる。
[筆者]
高階秀爾(大原美術館館長、西洋美術振興財団理事長)
1932年生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ大学付属美術研究所およびルーブル学院で西洋近代美術史を専攻。東京大学文学部教授、国立西洋美術館館長などを経て現職。東京大学名誉教授。著書に『名画を見る眼』(岩波書店)、『近代美術の巨匠たち』(岩波現代文庫)、『近代絵画史』(中央公論新社)、『日本の美を語る』(青土社)など多数。
※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。
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『アステイオン83』
特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
高階秀爾(大原美術館館長、西洋美術振興財団理事長) ※アステイオン83より転載