戦後71年目の年が明けた。
年頭にあたって、今の日本社会が直面する課題について考えてみたい。その課題とは世代間の分裂だ。
現在の日本社会を形成する代表的な3つの世代(団塊世代、団塊ジュニア世代、デジタル・ネイティブ世代)が、どのような時代を生きてきたかを振り返って比較する、「ジェネレーショングラム」を作成した。
世代とは、同じ時期に生まれ、育った時代環境を共有するグループを指す。世代が違えば、考え方や価値観は異なる。戦後の短期間に激しい社会変化を経験した日本では、とくに世代間の価値観のギャップが顕著だ。
それがもとで世代間に葛藤(断絶)が生じ、社会の様々なトラブルにつながっている。異文化理解ならぬ、異世代の相互理解が必要な時代だ。そのためには、それぞれの世代が生きてきた軌跡を振り返ってみるのが有効な手段だろう。
横軸に年齢、縦軸に時代(年)をとった座標上に、3つの世代の軌跡線を引いてみた<図1>。人数が多い団塊世代(1948年生まれ)、その子どもの団塊ジュニア世代(1972年生まれ)、そしてデジタル・ネイティブ世代(1995年生まれ)だ。図中には、おもな出来事や教育政策などが書き込まれている。縦の点線は、20歳(成人)のラインを示している。
団塊世代が生まれたのは1948年。この年の出生数は268万人で現在の2.7倍もある(厚労省『人口動態統計』)。人口統計上、最も人数が多い世代だ。幼少期は戦後混乱期に重なるが、小学校に上がる頃から日本経済には成長の兆しが見え始める。8歳の時、1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」と謳われ、高度経済成長期に突入した。以後、「イケイケムード」の中で児童期から青年期までを過ごす。自身の成長と社会の成長がピッタリ重なった、幸運な世代だ。
しかし若気の至りに社会成長の追い風が加わったためか、ハイティーンの頃は非行に走って改造バイクを乗り回し(カミナリ族)、大学に入ったら学生運動で大暴れする。最近になって、高齢者の暴力犯罪が激増しているが、ちょうどこの世代にあたる。90年代半ばから最近にかけて、60歳以上の高齢者の暴行犯検挙人数は25.9倍になっている<表1>。当該年齢人口が1.6倍しか増えていないことを考慮すれば、凄まじい増加率だ。定年退職したことで、若い頃の血気が再燃しているのだろうか。
この団塊世代は、中高年期に逆風に遭遇する。50歳になった1998年に日本経済は急激に失速し、年間自殺者数が3万人に達する。その多くがリストラの憂き目にあった中高年、つまりこの世代の男性だった。定年間際の2007年には「消えた年金」が発覚し、翌年にはリーマンショックが起きるなど、老後の生活は幸先の良くないスタートを切る。「暴走老人」の増加は、そんな現状への反発とも受け取れる。
その団塊世代の子どもたちにあたるのが1972年生まれの団塊ジュニア世代。高度経済成長が終わった後に生まれた、生まれながらの「消費者」だ。幼少期からテレビを見て育ち、テレビゲーム(ファミコン)に興じた。荒れる学校や戦後の非行ピークを担ったのは少し上の世代だが、中学生の時にいじめが社会問題化した、いじめ第一世代だ。
同世代の人口が多いため、激しい受験競争も経験した。この世代が18歳だった1990年の大学入試では、受験者の45%が不合格になっていたとみられる(「大学入試9割は合格の時代」『日経デュアル』)。それだけに、競争のメンタリティが強く刻印された世代でもある。
成人期はバブル崩壊と共に始まり、就職・結婚・出産といったイベントが、不況の深刻化した時期と重なっている。こうした人生のイベントを乗り越えた人もいれば、そうでない人もいる。その格差が拡大したのがこの世代だ。親世代(団塊世代)との軋轢を抱えている人も少なくない。
最後の1995年生まれの世代には、いろいろなネーミングがある。ゆとり学習指導要領(2002年施行)で育った「ゆとり世代」、不況期で育ったことから欲を持たない「さとり世代」など。しかし最大の特徴は、幼少期からITに慣れ親しんだ「デジタル・ネイティブ世代」であること。ネットでコミュニケーションをする世代で、スマホを四六時中眺めている。その一方、固定電話でのやり取りの作法を知らぬ人もいて、上の世代を驚かせる。
この世代は現在20歳で、これから社会に参入してくる層だ。ITを駆使した、新たな働き方を提案してくれるだろう。就労の世界だけでなく、家族や世帯の形態を変えてくれるかもしれない(事実婚、同性婚、シェアハウスの広がりなど)。この世代の力をどれだけ引き出せるかに、今後の日本の命運はかかっている。
以上、3世代の生きた軌跡を見てみたが、もし全世代が一緒に集まったら、おそらく軋轢は避けられない。しかし、それでは社会は成り立たない。それぞれの世代は、考え方や価値観を異にしながらも、共に日本社会を支える存在なのだ。
今年2016年が、世代間の理解が深まる年になることを願いたい。
≪著者の記事一覧はこちら≫
舞田敏彦(武蔵野大学講師)
年頭にあたって、今の日本社会が直面する課題について考えてみたい。その課題とは世代間の分裂だ。
現在の日本社会を形成する代表的な3つの世代(団塊世代、団塊ジュニア世代、デジタル・ネイティブ世代)が、どのような時代を生きてきたかを振り返って比較する、「ジェネレーショングラム」を作成した。
世代とは、同じ時期に生まれ、育った時代環境を共有するグループを指す。世代が違えば、考え方や価値観は異なる。戦後の短期間に激しい社会変化を経験した日本では、とくに世代間の価値観のギャップが顕著だ。
それがもとで世代間に葛藤(断絶)が生じ、社会の様々なトラブルにつながっている。異文化理解ならぬ、異世代の相互理解が必要な時代だ。そのためには、それぞれの世代が生きてきた軌跡を振り返ってみるのが有効な手段だろう。
横軸に年齢、縦軸に時代(年)をとった座標上に、3つの世代の軌跡線を引いてみた<図1>。人数が多い団塊世代(1948年生まれ)、その子どもの団塊ジュニア世代(1972年生まれ)、そしてデジタル・ネイティブ世代(1995年生まれ)だ。図中には、おもな出来事や教育政策などが書き込まれている。縦の点線は、20歳(成人)のラインを示している。
団塊世代が生まれたのは1948年。この年の出生数は268万人で現在の2.7倍もある(厚労省『人口動態統計』)。人口統計上、最も人数が多い世代だ。幼少期は戦後混乱期に重なるが、小学校に上がる頃から日本経済には成長の兆しが見え始める。8歳の時、1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」と謳われ、高度経済成長期に突入した。以後、「イケイケムード」の中で児童期から青年期までを過ごす。自身の成長と社会の成長がピッタリ重なった、幸運な世代だ。
しかし若気の至りに社会成長の追い風が加わったためか、ハイティーンの頃は非行に走って改造バイクを乗り回し(カミナリ族)、大学に入ったら学生運動で大暴れする。最近になって、高齢者の暴力犯罪が激増しているが、ちょうどこの世代にあたる。90年代半ばから最近にかけて、60歳以上の高齢者の暴行犯検挙人数は25.9倍になっている<表1>。当該年齢人口が1.6倍しか増えていないことを考慮すれば、凄まじい増加率だ。定年退職したことで、若い頃の血気が再燃しているのだろうか。
この団塊世代は、中高年期に逆風に遭遇する。50歳になった1998年に日本経済は急激に失速し、年間自殺者数が3万人に達する。その多くがリストラの憂き目にあった中高年、つまりこの世代の男性だった。定年間際の2007年には「消えた年金」が発覚し、翌年にはリーマンショックが起きるなど、老後の生活は幸先の良くないスタートを切る。「暴走老人」の増加は、そんな現状への反発とも受け取れる。
その団塊世代の子どもたちにあたるのが1972年生まれの団塊ジュニア世代。高度経済成長が終わった後に生まれた、生まれながらの「消費者」だ。幼少期からテレビを見て育ち、テレビゲーム(ファミコン)に興じた。荒れる学校や戦後の非行ピークを担ったのは少し上の世代だが、中学生の時にいじめが社会問題化した、いじめ第一世代だ。
同世代の人口が多いため、激しい受験競争も経験した。この世代が18歳だった1990年の大学入試では、受験者の45%が不合格になっていたとみられる(「大学入試9割は合格の時代」『日経デュアル』)。それだけに、競争のメンタリティが強く刻印された世代でもある。
成人期はバブル崩壊と共に始まり、就職・結婚・出産といったイベントが、不況の深刻化した時期と重なっている。こうした人生のイベントを乗り越えた人もいれば、そうでない人もいる。その格差が拡大したのがこの世代だ。親世代(団塊世代)との軋轢を抱えている人も少なくない。
最後の1995年生まれの世代には、いろいろなネーミングがある。ゆとり学習指導要領(2002年施行)で育った「ゆとり世代」、不況期で育ったことから欲を持たない「さとり世代」など。しかし最大の特徴は、幼少期からITに慣れ親しんだ「デジタル・ネイティブ世代」であること。ネットでコミュニケーションをする世代で、スマホを四六時中眺めている。その一方、固定電話でのやり取りの作法を知らぬ人もいて、上の世代を驚かせる。
この世代は現在20歳で、これから社会に参入してくる層だ。ITを駆使した、新たな働き方を提案してくれるだろう。就労の世界だけでなく、家族や世帯の形態を変えてくれるかもしれない(事実婚、同性婚、シェアハウスの広がりなど)。この世代の力をどれだけ引き出せるかに、今後の日本の命運はかかっている。
以上、3世代の生きた軌跡を見てみたが、もし全世代が一緒に集まったら、おそらく軋轢は避けられない。しかし、それでは社会は成り立たない。それぞれの世代は、考え方や価値観を異にしながらも、共に日本社会を支える存在なのだ。
今年2016年が、世代間の理解が深まる年になることを願いたい。
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舞田敏彦(武蔵野大学講師)