『ルポ 老人地獄』(朝日新聞経済部著、文春新書)は、2014年1月から15年3月にかけ、朝日新聞の経済面に掲載されていた連載を加筆修正した書籍。その連載には「報われぬ国」というタイトルがついていたが、たしかにこれは、"どう考えても報われそうにないこの国"で暮らすすべての人が読んでおくべき内容だといえる。なぜなら私たちは例外なく、誰もがやがて老いていくからだ。
二月の深夜は底冷えがする。老人たちは分厚いふとんにくるまり、頭だけを出して目をつぶっている。そこには、六十代から百歳近い男女十人が同じ部屋に雑魚寝状態で横になっていた。
......自分だったら、こんな部屋で寝ることができるだろうか。本当は起きている人がいるのではないか。(16ページより)
本書は、記者のこのような思いからスタートする。埼玉県東部の住宅街にある、築40年近い二階建て一軒家についての描写。東京の介護サービス会社が借り上げ、日中は高齢者が通う「デイサービス(通所介護)」の施設だ。しかし夕方に帰る利用者は少なく、大半はそのまま「お泊まり」するのだという。
「お泊まりデイ」と呼ばれるシステムだが、先の文章に明らかなとおり、そこに安堵できる環境はない。その証拠に、ここから先に描かれているのは、施設内でのノロウイルスの蔓延(職員まで感染したというのだから、考えただけで恐ろしい)、11針を縫う怪我など、読んでいるだけで気が滅入ってくるような現実だ。
民間の有料老人ホームは、一般の人には敷居が高い。入居時に払う一時金は必要がない施設から億円単位までかかる施設まで幅広いが、通常、数百万円はかかる。(中略)それらに比べれば、お泊まりデイは安い。丸一日親を預かってもらって、介護保険の自己負担分と食費などを合わせて三千円ほど。(中略)そのため、お泊まりデイにはほとんど家に帰っていない高齢者も多くいるというわけだ。(22~23ページより)
しかし、安さの裏側には理由があって当然だ。人手不足はサービスの低下に結びつき、やがては虐待にもつながっていくのかもしれない。事実、この施設のような介護保険外のサービスや無届けの老人ホームだけでなく、自治体のチェックが働いているはずの有料老人ホームでも虐待が確認されているという。
ちなみに高齢者に対する虐待は、①身体的な暴力②脅したり侮蔑したりする心理的虐待③生活に必要な介護をしない④預貯金などの財産を奪う経済的虐待⑤性的な虐待などがあるという。⑤に至っては理解することすら難しいが、問題はそれだけではないはずだ。
たとえば本書でも「私はあんな施設には二度と入りたくない。もう歌を歌うのが嫌で嫌で」という90代男性の言葉が紹介されている。「お年寄りは歌を歌うもの」という前提でいる側との価値観の違いも、どこかで確実に事態を深刻化しているはずだ。
しかも当然のことながら、問題は介護施設のなかだけにあるわけではない。以後もさまざまなケースが紹介されるが、高額医療費のせいで経済的に追い詰められる老夫婦の、「人生の終盤にこんな苦痛が待っているとは思いませんでした」という言葉は、現在の老人医療の不備を突いているといえよう。
自宅で暮らすのが難しく、しかし入居待ちが多い特養(特別養護老人ホーム)にも入れないため、老健(介護老人保健施設=介護を必要とする老人を対象とした施設)をわたり歩く90代女性も登場する。そうした行為を「老健わたり」というそうだが、90を越えたお年寄りがそんなことをしなければならないとは、あまりに過酷である。
また、原発被災地に焦点が当てられ、そこに2025年の日本があると指摘されている点にも、強く共感した。いわれてみれば、そのとおりだからだ。
少子高齢化が進む日本の将来を暗示しているのは、福島県の原発被災地だ。被災地では若い世代は放射能の影響を心配して避難した人が多いが、高齢者は残った人が多い。介護職員や看護師も避難したため、介護や医療の現場は深刻な人材不足に悩んでいる。(127ページより)
そんななか、南相馬市の特養へ約65キロの道のりを車で通い続けるケアマネージャーなどが紹介されるが、たしかにこれは、指摘されない限り気づきにくい問題ではないか。いやな表現ではあるが、このままでは、被災地がまずダメージを受け、その余波が全国へ広がっていくというような図式も容易に想像できる。
2025年には団塊世代が75歳以上の後期高齢者になるため、高齢者医療や介護の問題がより深刻化するといわれている。いわゆる「2025年問題」だが、現時点ですでに、仕事を失ったり給料が減ったりしたことから保険料を払えなくなった中高年が続出しているのだという。
そんななか、財政難に悩まされる国や自治体は、保険料の徴収を辞さない。なかでも市町村が運営する国保は、保険料を滞納した人の財産の差し押さえや、給料からの強制徴収に踏み切るケースが急増し、経済的に追い詰められる人も多いという。
いわば、現時点ですでに、八方ふさがりなのだ。2025年からさらに10数年もすれば、次は現在50代前半である私の世代が同じようなことになる。しかもそのとき、自体はさらに悪化している可能性が大きい。にもかかわらず、少なくとも現時点では、抜本的な解決策が見えない状態だといわざるを得ない。
が、だからこそ本書を通じて現実を直視し、考えられることだけでも考えておいた方がいい気はするのだ。
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『ルポ 老人地獄』
朝日新聞経済部 著
文春新書
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)
二月の深夜は底冷えがする。老人たちは分厚いふとんにくるまり、頭だけを出して目をつぶっている。そこには、六十代から百歳近い男女十人が同じ部屋に雑魚寝状態で横になっていた。
......自分だったら、こんな部屋で寝ることができるだろうか。本当は起きている人がいるのではないか。(16ページより)
本書は、記者のこのような思いからスタートする。埼玉県東部の住宅街にある、築40年近い二階建て一軒家についての描写。東京の介護サービス会社が借り上げ、日中は高齢者が通う「デイサービス(通所介護)」の施設だ。しかし夕方に帰る利用者は少なく、大半はそのまま「お泊まり」するのだという。
「お泊まりデイ」と呼ばれるシステムだが、先の文章に明らかなとおり、そこに安堵できる環境はない。その証拠に、ここから先に描かれているのは、施設内でのノロウイルスの蔓延(職員まで感染したというのだから、考えただけで恐ろしい)、11針を縫う怪我など、読んでいるだけで気が滅入ってくるような現実だ。
民間の有料老人ホームは、一般の人には敷居が高い。入居時に払う一時金は必要がない施設から億円単位までかかる施設まで幅広いが、通常、数百万円はかかる。(中略)それらに比べれば、お泊まりデイは安い。丸一日親を預かってもらって、介護保険の自己負担分と食費などを合わせて三千円ほど。(中略)そのため、お泊まりデイにはほとんど家に帰っていない高齢者も多くいるというわけだ。(22~23ページより)
しかし、安さの裏側には理由があって当然だ。人手不足はサービスの低下に結びつき、やがては虐待にもつながっていくのかもしれない。事実、この施設のような介護保険外のサービスや無届けの老人ホームだけでなく、自治体のチェックが働いているはずの有料老人ホームでも虐待が確認されているという。
ちなみに高齢者に対する虐待は、①身体的な暴力②脅したり侮蔑したりする心理的虐待③生活に必要な介護をしない④預貯金などの財産を奪う経済的虐待⑤性的な虐待などがあるという。⑤に至っては理解することすら難しいが、問題はそれだけではないはずだ。
たとえば本書でも「私はあんな施設には二度と入りたくない。もう歌を歌うのが嫌で嫌で」という90代男性の言葉が紹介されている。「お年寄りは歌を歌うもの」という前提でいる側との価値観の違いも、どこかで確実に事態を深刻化しているはずだ。
しかも当然のことながら、問題は介護施設のなかだけにあるわけではない。以後もさまざまなケースが紹介されるが、高額医療費のせいで経済的に追い詰められる老夫婦の、「人生の終盤にこんな苦痛が待っているとは思いませんでした」という言葉は、現在の老人医療の不備を突いているといえよう。
自宅で暮らすのが難しく、しかし入居待ちが多い特養(特別養護老人ホーム)にも入れないため、老健(介護老人保健施設=介護を必要とする老人を対象とした施設)をわたり歩く90代女性も登場する。そうした行為を「老健わたり」というそうだが、90を越えたお年寄りがそんなことをしなければならないとは、あまりに過酷である。
また、原発被災地に焦点が当てられ、そこに2025年の日本があると指摘されている点にも、強く共感した。いわれてみれば、そのとおりだからだ。
少子高齢化が進む日本の将来を暗示しているのは、福島県の原発被災地だ。被災地では若い世代は放射能の影響を心配して避難した人が多いが、高齢者は残った人が多い。介護職員や看護師も避難したため、介護や医療の現場は深刻な人材不足に悩んでいる。(127ページより)
そんななか、南相馬市の特養へ約65キロの道のりを車で通い続けるケアマネージャーなどが紹介されるが、たしかにこれは、指摘されない限り気づきにくい問題ではないか。いやな表現ではあるが、このままでは、被災地がまずダメージを受け、その余波が全国へ広がっていくというような図式も容易に想像できる。
2025年には団塊世代が75歳以上の後期高齢者になるため、高齢者医療や介護の問題がより深刻化するといわれている。いわゆる「2025年問題」だが、現時点ですでに、仕事を失ったり給料が減ったりしたことから保険料を払えなくなった中高年が続出しているのだという。
そんななか、財政難に悩まされる国や自治体は、保険料の徴収を辞さない。なかでも市町村が運営する国保は、保険料を滞納した人の財産の差し押さえや、給料からの強制徴収に踏み切るケースが急増し、経済的に追い詰められる人も多いという。
いわば、現時点ですでに、八方ふさがりなのだ。2025年からさらに10数年もすれば、次は現在50代前半である私の世代が同じようなことになる。しかもそのとき、自体はさらに悪化している可能性が大きい。にもかかわらず、少なくとも現時点では、抜本的な解決策が見えない状態だといわざるを得ない。
が、だからこそ本書を通じて現実を直視し、考えられることだけでも考えておいた方がいい気はするのだ。
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『ルポ 老人地獄』
朝日新聞経済部 著
文春新書
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)