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デビッド・ボウイ、最後のアルバムに刻んだ死にざま

ニューズウィーク日本版 2016年1月12日 16時40分

 デビッド・ボウイががんでこの世を去った。ファンと崇拝者たちは衝撃を受けたが、その理由のひとつには、ごく親しい人以外、彼の病を知る者がほとんどいなかったことがある。

 しかし、死を匂わすヒントはあった。ボウイ自身がそれを遺している。本人は、死期が迫っていることを自覚していたのだ。亡くなる2日前にリリースされた最後のアルバム『★』(ブラックスター)は、彼がこの世を去ったいま、心を打つ新たな意味を帯びてくる。

 生前最後のシングル曲となった「ラザルス」の冒頭、鳴り響くギターの音にかぶせて自分は天国にいるとボウイは歌う。それに続く歌詞は、彼が人知れず患っていた病を描写しているようだ。曲の後半でも、迫り来る死を匂わせている。自由になるんだ、と。



評論家も気付かなかった辞世の歌

「ラザルス」は彼の死の直後、ベッドに寝たきりになったボウイの姿を映すビデオクリップと相まって、不気味なまでのニュアンスを帯びるようになった。『★』は、米国のラッパー、ケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』(2015年3月発売)から着想を得たと言われている。つまり、『★』のレコーディングは昨年だった可能性が高い。遺族の声明によると、ボウイのがんとの闘いは1年半におよんだというから、『★』制作時にはボウイは、死が近づきつつあることを知っていたのだろう。

 評論家たちは、ボウイががんで亡くなる数日前にすでに、『★』が持つ死の気配漂うイメージに着目し、同アルバムで展開される実験的なアシッドジャズを絶賛していた。『★』は、ここ数年のボウイの作品のなかで、聴く者の心を最も引きつけるとして高い評価を受けている(『ビルボード』誌のレビューでは、「死と運命についての曲で満ち溢れている」と称えられた)。ただし、『★』がボウイの辞世の歌だったということは見抜けなかった。

昨年3~5月にパリで開催された「デビッド・ボウイ展」では、過去のステージ衣装が展示された(中央のスクリーンには『愛しき反抗(Rebel Rebel)』当時の画像が映し出されている) Charles Platiau-REUTERS

 このアルバムでは、ほかの曲にも同様の示唆がちりばめられている。計り知れない奇妙さを帯びた長尺のタイトル曲「★」は、ある男の死を描写している。別の楽曲「ダラー・デイズ」では、俺も死に瀕している、と聞こえそうな歌詞の執拗なリフレインが続く。

 フェイスブックに寄せた追悼文で、『★』のプロデューサーであり、ボウイの長年のコラボレーターでもあるトニー・ヴィスコンティは、明白な事実を認めている。ボウイの最後の作品は、意図的な別れの言葉であり、「別れにあたっての贈り物」なのだ、と。

一昨年の夏にベルリンで開催された展示会でインスタレーションとして並べられたアルバムジャケット。右列、下から2番目の『英雄夢語り(ヒーローズ)』のジャケット写真は、写真家・鋤田正義氏の撮影によるもの Tobias Schwarz-REUTERS

「彼は常に自分がやりたいことをした」とヴィスコンティは記している。「彼は自分のやり方、最良のやり方を望んだ。彼にとっては、死も、生と変わりがない――アートとしての作品なのだ。彼はわたしたちのために『★』を残してくれた。別れのプレゼントとして」

 1月11日、ファンたちは、ボウイの死が『★』に悲しくもゾッとするような余韻を与えていることに気づいた。

 ボウイは最高のタイミングで死を迎えた。彼の死は69歳の誕生日に『★』をリリースした2日後に訪れた。

 彼は、これ以上にない、いかにもボウイらしい流儀でこの世を去った。40年以上にわたり、彼の人生とアートは切り離せないものだった。彼の死もまたそうであることは、当然のことだろう。

『アラジン・セイン』のジャケット写真のタトゥーを入れた女性が、ロンドンの街中に描かれた壁画の前で故人を追悼していた Stefan Wermuth-REUTERS

ザック・ションフェルド

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