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【台湾現地レポート】ミュージシャン出身委員も誕生させた民主主義の「成熟」

ニューズウィーク日本版 2016年1月18日 15時12分

「チャンズオ(昶佐)、チャンズオ、チャンズオ!」「ドンスワン(当選)、ドンスワン、ドンスワン!」

 台湾・台北市の一角でコール&レスポンスの声が響きわたった。2016年1月16日午後7時、私はフレディ・リム(林昶佐、リー・チャンズオ)の選挙事務所を訪れていた。台湾のメタルバンド「ソニック」のボーカリストから政治家へと転身した「素人政治家」の選挙事務所は「台湾で一番ボロい」(本人談)。小さなコンビニ程度の広さしかないが、その前に数百人もの人々がつめかけていた。

 この日は総統選、立法委員選の投票日だ。午後4時に投票が締め切られた後、ただちに開票が始まった。開票から3時間、すでに野党・民進党の圧勝が決まり、台湾初の女性総統誕生が報じられていた。

 だがフレディの選挙区・台北第6区ではなお激戦が続いていた。彼が所属する、結党1年の新興政党「時代力量」は民進党と選挙協力を組んでおり、追い風を受ける立場にある。ただし相手は連続4回当選のベテラン、与党・国民党の林郁方委員。資金力と組織力では負けている。開票から3時間、フレディは優勢だったが、その差は数百票という僅差だ。

 固唾を飲んで選挙速報を見つめる人々に話を聞いた。

「フレディはひまわり学生運動にかかわっていたんですが、私の職場はちょうど立法院の側だったんです。運動の熱気に感じるところがあって支持することを決めました」
「既存の政治家は腐っています。既得権益ばっかり。なにかを変えなければならない。そんな時、フレディの歌を聴いて彼なら信用できると思いました」
「林郁方が何も仕事しなかったからね。別の人間を当選させなければならなかった」
「フレディはアムネスティ台湾の事務局長も務めていて、人権問題に関心を持っています。今回の公約でも死刑廃止を掲げていますが、そこに共感しました」

 集まっているのは20代から30代前半の若者が中心だが、高齢の支持者もちらほら見える。話を聞くと、前回選挙では民進党候補を支持していたが勝負にならずに完敗。だが今回は勝てるかもしれないと笑顔を見せた。

計画開始から13年で進捗度はわずか4%と、現立法委員の林郁方が一向に進めなかった地下鉄建設の加速を訴えるフレディ・リムの選挙ポスター(筆者撮影)

 時がたつにつれ、フレディと林郁方の票差はじりじりと開いていく。1000票、1500票、2000票......。日本と違うのは台湾のメディアは「当選確実」を報じないという点だ。候補者自らが開票状況を見て判断し、勝利を宣言する。慎重な性格なのか、なかなかその時は訪れない。

 午後9時すぎ、ついに選挙事務所前は歓声に包まれた。勝利宣言だ。支持者の前に姿を現したフレディは、「アジア初のロックミュージシャン出身の政治家が誕生しました」と宣言し、選挙区である中正区・萬華区の発展に尽力すると語っていた。

新興政党「時代力量」の議席数以上のインパクト

 すでに報じられているとおり、今回の選挙では野党が圧勝した。総統選では蔡英文候補が689万4744票を獲得。2012年に馬英九総統が獲得した票数を約3600票上回り、台湾史上最多となった。

 蔡英文候補の勝利はある程度予測されていたものだったが、立法委員選挙の結果はサプライズと言えるかもしれない。民進党は113議席中68議席と単独過半数を獲得。蔡英文氏と民進党は改革のためにフリーハンドの権力を得たことになる。

 また、新興政党の躍進もトピックとなった。フレディも所属する「時代力量」は比例区で2議席、個人区で3議席を獲得。一躍、第三党に躍り出た。個人区ではいずれも国民党のベテラン議員と一騎打ちを制しての勝利となっただけに、そのインパクトは議席数以上のものがある。

15日の民進党集会で、会場に入りきらず脇から声援を送る人々(高口健也撮影)

 野党勢力の雪崩式圧勝という結果だけを見ると、熱狂的ムードでの選挙だったかのように思われる。しかし不思議なことに投票率は65%と前回から約10ポイントの低下で史上最低だった。台湾総統選の投票率は年々低下している。今回は歯止めがかかるのではとの観測もあったが、むしろ落ち込み幅は過去最大だ。

 勝ち目がないとあきらめた国民党支持者が投票に行かなかったという要因もあるが、それだけではない。圧勝の裏にあったのは熱狂ではなく成熟だったのではないか。「国民党の対中接近に怒り」といった紋切り型の理解とは異なる姿がそこにはある。

 冒頭で紹介したフレディの支持者へのインタビューでも、中国という問題はあまり出てこなかった。むしろ既存の政治に対する不信感であったり、地元をよりよく変えてくれるのではないかという期待感だった。

 総統選でも同様だ。ワンイシューに意識が集中する熱狂ではなく、さまざまな個別具体的問題が意識される成熟が印象的だった。日本で大きく取り上げられる中国問題だけではなく、格差是正、成長確保、既得権益集団に対する不満、原発など他にも多くの論点があがっている。

 印象的だったのが1月2日に実施された総統選候補による討論会だ。国民党の朱立倫候補は基本給の大幅引き上げを約束し、給与アップが経済成長にもつながると力説した。蔡英文候補は「それが実現すればあなたはノーベル経済学賞を取れるでしょう」とピシャリ反論。給与をどれだけあげる、GDP(国内総生産)をどれだけ増やすといった数字目標は示さなかった。討論会の評価は蔡英文候補に軍配があがった。人気取りのための空手形が見透かされたと言える。

かつて台湾選挙といえばお祭り騒ぎだったが

 台湾現地を取材して強く感じたのは「成熟」だった。台湾の選挙といえばお祭り騒ぎで、なにか大変なことが起きるのではないかというムードが漂っている......。これは先輩から伝えられた話だが、今や状況は大きく変わった。台湾のメディアは相変わらず熱狂を演じているが、人々から聞く話や政策からは落ち着きが感じられる。

 印象的だったエピソードを最後にあげたい。それは投票所でのこと。一人の女性がスマートフォンを片手にじっと開票作業を見守っていた。話を聞くと、NGO「監票者連盟」のボランティアスタッフだという。台湾全土で4000人以上がボランティアスタッフとして従事しており、開票作業に不正がないかチェックしているという。

 まだ20代前半だというその女性は、ひまわり学生運動で民主主義の重要性を強く意識したと話す。ただ彼女の行き先は民進党でも新興政党でもなく、民主主義の枠組みを守るNGOだった。

 政治の成熟に伴い投票率が低下するのは当然だ。だがその先にあるのはたんなる無関心ではない。成熟した政治意識に基づく新たな動きが根付いていることを感じた。

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。

高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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