『テロリストの息子』(ザック・エブラヒム、 ジェフ・ジャイルズ著、佐久間裕美子訳、朝日出版社)の著者は、わずか7歳で、いちばんの近親者が突如テロリストに変貌してしまう(少なくとも、幼い目にはそう映っただろう)という現実に直面する。
実の父親であるエル・サイード・ノサイルが、ユダヤ防衛同盟の創設者であるラビ・メイル・カハネを殺害したのである。本書の冒頭には、その直後の混乱した状況が生々しく描写されている。が、ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズのパジャマを着た子どもにとって、それは理解不能な出来事でしかなかったのではないだろうか?
1990年11月5日に父が行なったことは、僕の家族をめちゃめちゃにした。おかげで僕らの家族は、殺害の脅迫とメディアからの嫌がらせ、遊牧民のような生活と恒常的な貧困にさらされることになった。(中略)父がやったことは、まったく新しいタイプの不名誉で、僕らはその巻き添えだった。父は、知られているかぎり、アメリカ本土で初めて人の命を奪った最初のジハーディスト(イスラム教の聖戦主義者)だったのだ。父は、最終的にアルカイダを名乗ることになる海外のテロ組織の支援を受けて活動していた。(28~29ページより)
しかも父親は服役中の刑務所の監房のなかから、1993年の世界貿易センターの爆破計画に加わる。家族を崩壊させてもなお、著者の言葉を借りるなら「テロリストとしてのキャリアはまだ終わっていなかった」というわけだ。
かくして彼を含む家族は以後、さまざまな悪意から身を守るために住居を転々とし、それぞれの場所で迫害を受ける。著者は12歳になるころには、学校でのいじめに遭いすぎて自殺を考えたという。父親との離婚後に母親が招いた新しい父親からは、虐待されることにもなる。自分に価値があると思えるようになったのは、20代の中盤になってからのことだそうだ。
僕はこれまでの人生を、何が父をテロリズムに惹きつけたのかを理解しようとすることに費やしてきた。そして、自分の体の中に父と同じ血が流れているという事実と格闘してきた。(31ページより)
いわば、ここに描かれているのは、自分の意思とはまったく異なる大きな力によって捻じ曲げられてしまった人生を、なんとか取り戻そうともがく主人公の姿だ。そして、その原動力になっているものはおそらく知性だ。どんなにひどい目にあっても荒ぶるわけではなく、ただ冷静に現実を見つめ、そこでどうあるべきかをきちんと考え、その時々における最良の答えを導き出そうとしているように見える。
彼は現在、自分の体験をさまざまな場所で語り続けている。本書も、各界の著名人がプレゼンテーションを行うことで知られる「TEDトーク」で語ったことをもとにしたものである。
不名誉なストーリーを自ら語る理由については、「希望を与えるような、誰かのためになるようなことをしたいからだ」と記している。そして、その内容は多くの共感を呼んでもいる。父親に人生を破壊されたことは、予想外の可能性を生み出しもしたのだ。
つまり時間がかかったとはいえ、著者は最終的に、父親が植えつけたトラウマや、刑務所のなかから連絡し続けてくる父親の呪縛から逃れることができたのだった。18歳で、父親からの一切の連絡を受けるのをやめたことは、彼が大人への階段を登りはじめたことの証明でもあったのだろう。
本書のクライマックスには、まるで映画のように感動的な情景が映し出されている。2012年4月に、著者がフィラデルフィアのFBI本部で、数百人の捜査員を前にスピーチをしたときのことだ。イスラム教徒のコミュニティと親密な関係を築きたいと望む捜査局が、息子の学校で平和を提唱する著者の講演を聞いたことから実現したものだという。
スピーチ終了後、著者は父親の事件を担当した捜査員のひとりだったという女性から声をかけられる。彼女は泣きながら、「エル・サイード・ノサイルの子どもたちがどうなったのか、いつも気になっていました。あなたたちが、彼の道に続くのではないかと恐れていたんです」と打ち明ける。
それに対し、著者はこう答える。力強いその言葉は、本書の読後感を最良のものにしてくれる。
僕は自分が選んだ道を誇りに思っている。父親の過激主義を拒絶したことが、僕らの生活を救い、人生を生きる価値のあるものにしてくれた。(中略)彼女の質問、「エル・サイード・ノサイルの子どもたちがどうなったのか」に対する答えは、ここにある。
僕らはもう彼の子どもじゃない。(175ページより)
本書が読者に叩きつけるのは、テロリストへの反感だろうか? もちろん、それもあるだろう。しかし、さらに強烈なメッセージは、考えうる限り最悪の事態が起こったとしてもなお、人はそれを乗り越えていけるのだという希望だ。
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『テロリストの息子』
ザック・エブラヒム、 ジェフ・ジャイルズ 著
佐久間裕美子 訳
朝日出版社
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)
実の父親であるエル・サイード・ノサイルが、ユダヤ防衛同盟の創設者であるラビ・メイル・カハネを殺害したのである。本書の冒頭には、その直後の混乱した状況が生々しく描写されている。が、ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズのパジャマを着た子どもにとって、それは理解不能な出来事でしかなかったのではないだろうか?
1990年11月5日に父が行なったことは、僕の家族をめちゃめちゃにした。おかげで僕らの家族は、殺害の脅迫とメディアからの嫌がらせ、遊牧民のような生活と恒常的な貧困にさらされることになった。(中略)父がやったことは、まったく新しいタイプの不名誉で、僕らはその巻き添えだった。父は、知られているかぎり、アメリカ本土で初めて人の命を奪った最初のジハーディスト(イスラム教の聖戦主義者)だったのだ。父は、最終的にアルカイダを名乗ることになる海外のテロ組織の支援を受けて活動していた。(28~29ページより)
しかも父親は服役中の刑務所の監房のなかから、1993年の世界貿易センターの爆破計画に加わる。家族を崩壊させてもなお、著者の言葉を借りるなら「テロリストとしてのキャリアはまだ終わっていなかった」というわけだ。
かくして彼を含む家族は以後、さまざまな悪意から身を守るために住居を転々とし、それぞれの場所で迫害を受ける。著者は12歳になるころには、学校でのいじめに遭いすぎて自殺を考えたという。父親との離婚後に母親が招いた新しい父親からは、虐待されることにもなる。自分に価値があると思えるようになったのは、20代の中盤になってからのことだそうだ。
僕はこれまでの人生を、何が父をテロリズムに惹きつけたのかを理解しようとすることに費やしてきた。そして、自分の体の中に父と同じ血が流れているという事実と格闘してきた。(31ページより)
いわば、ここに描かれているのは、自分の意思とはまったく異なる大きな力によって捻じ曲げられてしまった人生を、なんとか取り戻そうともがく主人公の姿だ。そして、その原動力になっているものはおそらく知性だ。どんなにひどい目にあっても荒ぶるわけではなく、ただ冷静に現実を見つめ、そこでどうあるべきかをきちんと考え、その時々における最良の答えを導き出そうとしているように見える。
彼は現在、自分の体験をさまざまな場所で語り続けている。本書も、各界の著名人がプレゼンテーションを行うことで知られる「TEDトーク」で語ったことをもとにしたものである。
不名誉なストーリーを自ら語る理由については、「希望を与えるような、誰かのためになるようなことをしたいからだ」と記している。そして、その内容は多くの共感を呼んでもいる。父親に人生を破壊されたことは、予想外の可能性を生み出しもしたのだ。
つまり時間がかかったとはいえ、著者は最終的に、父親が植えつけたトラウマや、刑務所のなかから連絡し続けてくる父親の呪縛から逃れることができたのだった。18歳で、父親からの一切の連絡を受けるのをやめたことは、彼が大人への階段を登りはじめたことの証明でもあったのだろう。
本書のクライマックスには、まるで映画のように感動的な情景が映し出されている。2012年4月に、著者がフィラデルフィアのFBI本部で、数百人の捜査員を前にスピーチをしたときのことだ。イスラム教徒のコミュニティと親密な関係を築きたいと望む捜査局が、息子の学校で平和を提唱する著者の講演を聞いたことから実現したものだという。
スピーチ終了後、著者は父親の事件を担当した捜査員のひとりだったという女性から声をかけられる。彼女は泣きながら、「エル・サイード・ノサイルの子どもたちがどうなったのか、いつも気になっていました。あなたたちが、彼の道に続くのではないかと恐れていたんです」と打ち明ける。
それに対し、著者はこう答える。力強いその言葉は、本書の読後感を最良のものにしてくれる。
僕は自分が選んだ道を誇りに思っている。父親の過激主義を拒絶したことが、僕らの生活を救い、人生を生きる価値のあるものにしてくれた。(中略)彼女の質問、「エル・サイード・ノサイルの子どもたちがどうなったのか」に対する答えは、ここにある。
僕らはもう彼の子どもじゃない。(175ページより)
本書が読者に叩きつけるのは、テロリストへの反感だろうか? もちろん、それもあるだろう。しかし、さらに強烈なメッセージは、考えうる限り最悪の事態が起こったとしてもなお、人はそれを乗り越えていけるのだという希望だ。
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『テロリストの息子』
ザック・エブラヒム、 ジェフ・ジャイルズ 著
佐久間裕美子 訳
朝日出版社
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)