アメリカのレストランで食事をして、会計の際に立ちはだかる壁と言えば――チップだ。年末年始のアメリカ旅行で、気持ち良く酔っ払っているところ「何パーセント掛けると合計いくら?」という計算を強いられ目が覚めた、という人も多いはず。だが最近、チップ大国アメリカでこの非情な慣習に廃止の動きが見え始めている。
ニューヨークでは2013年、寿司の名店「スシ・ヤスダ」が日本式を掲げてチップ制を廃止し、大きな注目を集めた。これに続くようにいくつかの日系店がチップ廃止に踏み切っていたが、昨年10月にはグルメバーガー・チェーン「シェイク・シャック」の創業者ダニー・マイヤーが、自身が率いるユニオン・スクエア・ホスピタリティー・グループ(USHG)系列の全13店舗で段階的にチップを廃止すると発表。今年に入ってからは、ニューヨークのラーメンブームの火付け役「モモフク・ヌードル・バー」の創業者デービッド・チャンが新店舗「ニシ」でチップ制を廃止し、ついに非日系店も「チップなし」に乗り出した。
ということは、アメリカ人もようやく「おもてなし」を無料にする気になったのか? 残念ながらこの国にそんなに甘い話があるはずもなく、USHGのマイヤーはチップを廃止すると同時にメニュー単価の大幅値上げを宣言している。上げ幅は店舗やメニューによって異なるが、例えば2月からチップを廃止する人気イタリアンの「マイアリーノ」では22~28%の値上げを検討中だという。
そもそもチップとは、客がサービスの満足度によって支払うはずのものではなかったか。アメリカでは、レストランのチップの相場は15~20%と言われている。満足度に応じてもっと幅があっていいはずなのに、「悪いサービスを受けても勝手に20%が上乗せされるなんて」といきり立つ人もいるだろう。
だがチップ廃止をめぐる議論を見ていると、実際にはこの考え――客にチップの額を決める権限がある――こそが「非情」だったと思えてくる。見方を変えれば、チップ制は客にとってではなく、レストランで働く従業員にとって容赦のないシステムとも言えるのだ。
時給は約2ドル、チップは収入源の「すべて」である
まずアメリカでは、チップというのは実は、サーバー(ウエーターやウエートレス)の収入源の「すべて」だという大前提がある。チップ制で働くサーバーはほとんどの場合、店からは最低賃金しかもらっていない。連邦法はチップ制のある職種の最低賃金を時給2.13ドルと定めていて、通常の最低賃金7.25ドルよりも低く抑えられている。ニューヨーク州での規定では時給7.5ドルだ(昨年末まではなんと時給5ドルだった)。
この最低賃金はほぼ納税で消えてしまい、彼らの収入は全額チップでまかなわれていると言っても過言ではない。つまり客は、レシートのチップ欄に額を書くたびにサーバーの給与そのものをはじき出していることになる。
このチップ制がサーバーにとって最も「非情」になるのは、客の側が「チップの額を決める権限」について曲解した場合だ。例えば、最低のサービスを受けた場合はチップをあげなくてもいいという言説。これはレストラン側にしてみれば「都市伝説」レベルの誤解であり、あげなければ客がそのサーバーに「数時間ただ働きさせた」ことになるため、店を出た後に店員が追いかけて来ることさえある。
サービスに不満がある場合は、最低限のチップを支払った上で、サーバーやマネージャーに満足できなかった理由を伝えるのが大人のやり方だろう。理由を言わないままチップを置かない、もしくは15%を少しでも下回る額に減らせば「無知、もしくはケチな客」と思われるだけなので要注意だ。
また、サービスの良し悪しによってチップの額を極端に増減させて、サーバーに大盤振る舞いした気になったり、逆に鉄槌を下した気になっていたとしたら、それもいささか勘違いのようだ。多くの場合、客が払ったチップはそっくりそのままサーバーの懐に入るわけではない。店によってそのやり方は千差万別だが、ニューヨークではチップを一度すべてプールし、営業時間終了後に各種スタッフたちの間で分配するケースが多いという。
チップの分配比率は店の規模やスタッフの人数、サーバーのキャリアや勤務時間などによってさまざまだというが、例えばマンハッタンの中心地にある某有名レストランの場合、その分配比率は65%がサーバー(ウエーターもしくはウエートレス)、15%はバッサー(テーブルを片付ける人)、12%はランナー(食事を持ってくる人)、8%はバーテンダーと決められている。
つまり、すばらしいサーバーに当たってチップの額をはずんだとしても、サーバーの取り分としてはそれほどのボーナスにはならない。逆にサーバーに怒り狂ってチップを減らせば、関係のないスタッフたちにまで連帯責任を強いることになる。ちなみにサーバー個人に感謝の気持ちを直接届けたい場合は、カードなり現金なりでチップを(他のスタッフの分け前分も)満額支払った上で、サーバーにさらなる現金をこっそり渡すのがスマートらしい。
チップは山分けするが、厨房スタッフへの分配は違法
一方で、一部のレストランがチップ制廃止に踏み切ったのは、1つにはサーバーというよりキッチンで働く厨房スタッフを考えてのことだという。
アメリカの連邦法はプールされたチップを厨房スタッフやマネージャーと分配することを禁じており、客が「料理に満足」してチップを上乗せした場合でもシェフの懐には入らない(これは少なくとも建前上で、実際には違法な分配もまかり通っているようだが)。特にチップが高額になる高級レストランでは接客職の収入が厨房スタッフの収入をはるかに上回ることがあるため、収入格差を是正する意味でもすべてのスタッフを時給制に変えたいそうだ。
またもう1つの理由は、ニューヨーク州が定めるファストフード業界の最低賃金が2018年までに15ドルに上がるなか、高級レストランの厨房スタッフの時給がその額に追いつかなくなること。例えばマイヤーの店の1つで昨年ミシュラン2つ星を獲得した「ザ・モダン」では、厨房スタッフの平均時給はなんと11.75ドル。チップ制を廃止してスタッフ総時給制にすることで、これをファストフードと肩を並べる15.25ドルに上げていくという。
気になるチップ廃止の動き、今後はニューヨークで加速し、さらには全米へと広がっていくのだろうか。
マンハッタンで行列のできるモツ鍋の人気店「博多トントン」を経営するヒミ・オカジマ氏は、「この街で、チップ廃止は根付かない」と予想する。博多トントンでは一度チップ制を廃止し、昨年秋にまたチップ制に戻した。チップというアメリカ文化には「長所も短所もある」が、サーバーにとってはチップ制のほうががんばった分だけ報われるというアメリカ流のやりがいがあるし、客にとっては「これ(サービス)に対してお金を払う」というのが見えやすくていいからだ。
いずれにせよ、今すぐアメリカでチップ制が全廃されることはないだろう。客はしばらくチップと付き合っていかなければいけないとして、スマートなチップの払い方というのはあるのだろうか。
●チップは現金払いのほうが喜ばれる?
サーバーに言わせればこれはイエス。カードで支払われるとサーバーの収入のうちチップにも課税されるし、カードの手数料を店側に引かれることもあるからだ。
●カードで支払う場合にチップを含めた合計額を「丸める」、つまりゼロで終わる額に計算するべき?
飲食業界関係者に聞いてみたところ、店側にとってはどちらでも良く、客にとってカードの明細上がすっきりするだけだそうだ。逆に「迷惑」なのは、チップの欄に何も書かずに「チップを加算した合計金額だけを書く客」。これだと店側がチップの額をわざわざ算出してレジで打ち込む手間がかかるので、客には頑張って計算してほしいとか。
●チップの相場は15~20%で正しい?
特にニューヨークのレストランで気を付けたいことだが、この街ではチップの相場自体が値上がりしている。ガイドブックには「15~20%」と書かれているが、物価の上昇を背景に今やちょっとしたレストランでは「最低でも20%」「高級店では25%」が常識となりつつある。
私は3年前にニューヨークに赴任した際、チップの額は「タックス(8.875%)を2倍にする(=約18%)」という「ダブル・タックス」という計算方法を教わった。それが今では、フルサービスのレストランでは「20%が当たり前」で、「15%は不満足の意思表示」らしい(アメリカ人は20%出すのに対し、観光客は15%しか出さないから、観光客のテーブルにはつきたくないというサーバーの声もある)。
そんななか、最近ニューヨーカーが教えてくれたのは「チップ前の合計額(タックス込み)を5で割る」という方法。5で割って算出した20%分を、チップとして加算する――少なくともチップが全廃されるまで、覚えていて損はないだろう。
小暮聡子(ニューヨーク支局)
ニューヨークでは2013年、寿司の名店「スシ・ヤスダ」が日本式を掲げてチップ制を廃止し、大きな注目を集めた。これに続くようにいくつかの日系店がチップ廃止に踏み切っていたが、昨年10月にはグルメバーガー・チェーン「シェイク・シャック」の創業者ダニー・マイヤーが、自身が率いるユニオン・スクエア・ホスピタリティー・グループ(USHG)系列の全13店舗で段階的にチップを廃止すると発表。今年に入ってからは、ニューヨークのラーメンブームの火付け役「モモフク・ヌードル・バー」の創業者デービッド・チャンが新店舗「ニシ」でチップ制を廃止し、ついに非日系店も「チップなし」に乗り出した。
ということは、アメリカ人もようやく「おもてなし」を無料にする気になったのか? 残念ながらこの国にそんなに甘い話があるはずもなく、USHGのマイヤーはチップを廃止すると同時にメニュー単価の大幅値上げを宣言している。上げ幅は店舗やメニューによって異なるが、例えば2月からチップを廃止する人気イタリアンの「マイアリーノ」では22~28%の値上げを検討中だという。
そもそもチップとは、客がサービスの満足度によって支払うはずのものではなかったか。アメリカでは、レストランのチップの相場は15~20%と言われている。満足度に応じてもっと幅があっていいはずなのに、「悪いサービスを受けても勝手に20%が上乗せされるなんて」といきり立つ人もいるだろう。
だがチップ廃止をめぐる議論を見ていると、実際にはこの考え――客にチップの額を決める権限がある――こそが「非情」だったと思えてくる。見方を変えれば、チップ制は客にとってではなく、レストランで働く従業員にとって容赦のないシステムとも言えるのだ。
時給は約2ドル、チップは収入源の「すべて」である
まずアメリカでは、チップというのは実は、サーバー(ウエーターやウエートレス)の収入源の「すべて」だという大前提がある。チップ制で働くサーバーはほとんどの場合、店からは最低賃金しかもらっていない。連邦法はチップ制のある職種の最低賃金を時給2.13ドルと定めていて、通常の最低賃金7.25ドルよりも低く抑えられている。ニューヨーク州での規定では時給7.5ドルだ(昨年末まではなんと時給5ドルだった)。
この最低賃金はほぼ納税で消えてしまい、彼らの収入は全額チップでまかなわれていると言っても過言ではない。つまり客は、レシートのチップ欄に額を書くたびにサーバーの給与そのものをはじき出していることになる。
このチップ制がサーバーにとって最も「非情」になるのは、客の側が「チップの額を決める権限」について曲解した場合だ。例えば、最低のサービスを受けた場合はチップをあげなくてもいいという言説。これはレストラン側にしてみれば「都市伝説」レベルの誤解であり、あげなければ客がそのサーバーに「数時間ただ働きさせた」ことになるため、店を出た後に店員が追いかけて来ることさえある。
サービスに不満がある場合は、最低限のチップを支払った上で、サーバーやマネージャーに満足できなかった理由を伝えるのが大人のやり方だろう。理由を言わないままチップを置かない、もしくは15%を少しでも下回る額に減らせば「無知、もしくはケチな客」と思われるだけなので要注意だ。
また、サービスの良し悪しによってチップの額を極端に増減させて、サーバーに大盤振る舞いした気になったり、逆に鉄槌を下した気になっていたとしたら、それもいささか勘違いのようだ。多くの場合、客が払ったチップはそっくりそのままサーバーの懐に入るわけではない。店によってそのやり方は千差万別だが、ニューヨークではチップを一度すべてプールし、営業時間終了後に各種スタッフたちの間で分配するケースが多いという。
チップの分配比率は店の規模やスタッフの人数、サーバーのキャリアや勤務時間などによってさまざまだというが、例えばマンハッタンの中心地にある某有名レストランの場合、その分配比率は65%がサーバー(ウエーターもしくはウエートレス)、15%はバッサー(テーブルを片付ける人)、12%はランナー(食事を持ってくる人)、8%はバーテンダーと決められている。
つまり、すばらしいサーバーに当たってチップの額をはずんだとしても、サーバーの取り分としてはそれほどのボーナスにはならない。逆にサーバーに怒り狂ってチップを減らせば、関係のないスタッフたちにまで連帯責任を強いることになる。ちなみにサーバー個人に感謝の気持ちを直接届けたい場合は、カードなり現金なりでチップを(他のスタッフの分け前分も)満額支払った上で、サーバーにさらなる現金をこっそり渡すのがスマートらしい。
チップは山分けするが、厨房スタッフへの分配は違法
一方で、一部のレストランがチップ制廃止に踏み切ったのは、1つにはサーバーというよりキッチンで働く厨房スタッフを考えてのことだという。
アメリカの連邦法はプールされたチップを厨房スタッフやマネージャーと分配することを禁じており、客が「料理に満足」してチップを上乗せした場合でもシェフの懐には入らない(これは少なくとも建前上で、実際には違法な分配もまかり通っているようだが)。特にチップが高額になる高級レストランでは接客職の収入が厨房スタッフの収入をはるかに上回ることがあるため、収入格差を是正する意味でもすべてのスタッフを時給制に変えたいそうだ。
またもう1つの理由は、ニューヨーク州が定めるファストフード業界の最低賃金が2018年までに15ドルに上がるなか、高級レストランの厨房スタッフの時給がその額に追いつかなくなること。例えばマイヤーの店の1つで昨年ミシュラン2つ星を獲得した「ザ・モダン」では、厨房スタッフの平均時給はなんと11.75ドル。チップ制を廃止してスタッフ総時給制にすることで、これをファストフードと肩を並べる15.25ドルに上げていくという。
気になるチップ廃止の動き、今後はニューヨークで加速し、さらには全米へと広がっていくのだろうか。
マンハッタンで行列のできるモツ鍋の人気店「博多トントン」を経営するヒミ・オカジマ氏は、「この街で、チップ廃止は根付かない」と予想する。博多トントンでは一度チップ制を廃止し、昨年秋にまたチップ制に戻した。チップというアメリカ文化には「長所も短所もある」が、サーバーにとってはチップ制のほうががんばった分だけ報われるというアメリカ流のやりがいがあるし、客にとっては「これ(サービス)に対してお金を払う」というのが見えやすくていいからだ。
いずれにせよ、今すぐアメリカでチップ制が全廃されることはないだろう。客はしばらくチップと付き合っていかなければいけないとして、スマートなチップの払い方というのはあるのだろうか。
●チップは現金払いのほうが喜ばれる?
サーバーに言わせればこれはイエス。カードで支払われるとサーバーの収入のうちチップにも課税されるし、カードの手数料を店側に引かれることもあるからだ。
●カードで支払う場合にチップを含めた合計額を「丸める」、つまりゼロで終わる額に計算するべき?
飲食業界関係者に聞いてみたところ、店側にとってはどちらでも良く、客にとってカードの明細上がすっきりするだけだそうだ。逆に「迷惑」なのは、チップの欄に何も書かずに「チップを加算した合計金額だけを書く客」。これだと店側がチップの額をわざわざ算出してレジで打ち込む手間がかかるので、客には頑張って計算してほしいとか。
●チップの相場は15~20%で正しい?
特にニューヨークのレストランで気を付けたいことだが、この街ではチップの相場自体が値上がりしている。ガイドブックには「15~20%」と書かれているが、物価の上昇を背景に今やちょっとしたレストランでは「最低でも20%」「高級店では25%」が常識となりつつある。
私は3年前にニューヨークに赴任した際、チップの額は「タックス(8.875%)を2倍にする(=約18%)」という「ダブル・タックス」という計算方法を教わった。それが今では、フルサービスのレストランでは「20%が当たり前」で、「15%は不満足の意思表示」らしい(アメリカ人は20%出すのに対し、観光客は15%しか出さないから、観光客のテーブルにはつきたくないというサーバーの声もある)。
そんななか、最近ニューヨーカーが教えてくれたのは「チップ前の合計額(タックス込み)を5で割る」という方法。5で割って算出した20%分を、チップとして加算する――少なくともチップが全廃されるまで、覚えていて損はないだろう。
小暮聡子(ニューヨーク支局)