ドナルド・トランプは昨年12月、イスラム教徒を入国禁止にするべきだと主張して、世界中を憤慨させた。イギリスでは、「トランプのイギリスへの入国禁止」を政府に求める請願に約50万人が署名した。アメリカでも、民主党員や共和党員、メディア、宗教団体が、そろってトランプを非難した。
しかし、最近の世論調査では、有権者の37%が、支持政党に関係なく、イスラム教徒の入国を「一時的に禁止」することに賛成した。
トランプが傲慢で怒りっぽい点には、大半の有権者が呆れている。そんなトランプが、共和党支持者のかなりの部分を押さえ、支持を固めているように見えるのはどういうことなのだろう。
トランプは一部から、デマゴーグ(扇動政治家)でありファシストだといわれている。政治評論家がトランプを歴史上の人物にたとえる場合も、出てくるのは「人種隔離を永遠に!」と叫んだ元アラバマ州知事ジョージ・ウォレスや、共産主義者を弾圧する赤狩り(レッドパージ)で知られるジョセフ・マッカーシー上院議員(当時)、さらにはヒトラーなどの偏向した人物ばかり。そんなトランプが、根強く支持され続けているのはなぜだろう。
筆者は、「アメリカ政治における修辞技法」の研究者として、トランプの修辞技法を分析することで彼の人気の一端を説明できると考えている。
デマゴーグの修辞技法
デマゴーグはギリシャ語であり、「民衆の指導者」(demos=民衆、aggos=導く者)を意味する。しかし現在では、民衆の偏見を利用して、間違った主張や約束をし、理性ではなく感情に訴える議論を駆使する指導者を指す表現になっている。
トランプは、国家の危機を訴えて有権者の不安を煽り、自らを国家を救うヒーローとして位置づける。敵を打ち破り、国境を守り、「米国を再び偉大な国にする」ことができる唯一の存在というわけだ。
トランプには、そうした目標を「どのように」成し遂げるかという具体性はない。だがそれは問題にならない。巧みで自信に満ちた演説のほうがはるかに説得力があるからだ。彼は聴衆に「私を信じよ」と言う。自分は「極めて優秀だ」と約束し、予言の力があるかのように振る舞う(例:「私は9.11の攻撃を予見していた」)。
トランプは自画自賛が激しく傲慢な人物に見える。研究によると、傲慢さはしばしば、指導者を目指す者にとって最も好ましくない資質なのだが、トランプはその傲慢さがあまりに徹底しているため自信過剰ではなく本物であるかのように見える。トランプの偉大さこそがアメリカの偉大さなのだ。
従って、トランプはデマゴーグだと言って間違いないだろう。デマゴーグは、実際に実権を握ると、法律や憲法を顧みない危険がある。ヒトラーはもちろんその最悪の例だ。
驚くべきことに、トランプは自ら、自分は何者の支配も受けないと言っている。
トランプは遊説で、自分が大統領にふさわしいことを証明するために、タフなビジネスマンとしてのペルソナを強調している。これは、ソーシャルメディアと長年のテレビ出演を通じて作られたものだ。そのペルソナは束縛を拒絶する。トランプは、所属する共和党にも、メディアにも、ほかの候補にも、政治的公正にも、事実にも、まさにあらゆるものに縛られていないと語る。ある意味、制御不能な指導者としての自分を、自ら演出しているのだ。
敵対者は人身攻撃
ほとんどの有権者は、「制御不能な大統領」を望まないだろう。ではなぜ、これほど多くの人たちがトランプを支持し続けているのだろう。
まず彼は、「アメリカ例外論」という神話を利用している。トランプは、アメリカを世界一の希望として描き出す。世界唯一の選ばれし国だ。そしてトランプの判断はすべて、アメリカを偉大な国にすることに向けられる。自分をアメリカという例外的な国に結びつける一方で、自分を悪く言う者を「弱虫」「でくの坊」などと呼ぶことで、批判者たちを、米国の「偉大さ」を信じず、またそれに貢献することもしない人物だと決めつけることができる。
次にトランプは、疑問を向けられ、コーナーに追い込まれないようにするため、論理的に間違った、あつれきを生む修辞技法を使う。
例えば、大衆に訴えかけやすい「多数論証」を駆使することが多い(例:「世論調査が示している」「我々はあらゆるところで勝利している」)。
対立候補がトランプの考えや立場に異議を唱えると、トランプは、議論する代わりに人身攻撃、すなわち相手の人格を批判する(典型的な批判は「でくの坊」「弱虫」「退屈」)。
最も悪名高いのは、共和党の最初の討論後の世論調査で支持が高まり始めた米コンピューター大手ヒューレット・パッカードの元CEO、カーリー・フィオリーナの外見を嘲笑したことだろう「あの顔を見ろ!」「あんな顔に投票するやつがいるか? 次の大統領の顔だなんて信じられるか?」
最後に、トランプの演説は「脅迫論証」、すなわち「威力に訴える論証」がちりばめられていることが多い(「私に刃向かう者はボロボロになる」)。
(後編へ続く)
Jennifer Mercieca, Associate Professor of Communication and Director of the Aggie Agora, Texas A&M University
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
ジェニファー・マルシエカ(テキサスA&M大学コミュニケーション学教授)
しかし、最近の世論調査では、有権者の37%が、支持政党に関係なく、イスラム教徒の入国を「一時的に禁止」することに賛成した。
トランプが傲慢で怒りっぽい点には、大半の有権者が呆れている。そんなトランプが、共和党支持者のかなりの部分を押さえ、支持を固めているように見えるのはどういうことなのだろう。
トランプは一部から、デマゴーグ(扇動政治家)でありファシストだといわれている。政治評論家がトランプを歴史上の人物にたとえる場合も、出てくるのは「人種隔離を永遠に!」と叫んだ元アラバマ州知事ジョージ・ウォレスや、共産主義者を弾圧する赤狩り(レッドパージ)で知られるジョセフ・マッカーシー上院議員(当時)、さらにはヒトラーなどの偏向した人物ばかり。そんなトランプが、根強く支持され続けているのはなぜだろう。
筆者は、「アメリカ政治における修辞技法」の研究者として、トランプの修辞技法を分析することで彼の人気の一端を説明できると考えている。
デマゴーグの修辞技法
デマゴーグはギリシャ語であり、「民衆の指導者」(demos=民衆、aggos=導く者)を意味する。しかし現在では、民衆の偏見を利用して、間違った主張や約束をし、理性ではなく感情に訴える議論を駆使する指導者を指す表現になっている。
トランプは、国家の危機を訴えて有権者の不安を煽り、自らを国家を救うヒーローとして位置づける。敵を打ち破り、国境を守り、「米国を再び偉大な国にする」ことができる唯一の存在というわけだ。
トランプには、そうした目標を「どのように」成し遂げるかという具体性はない。だがそれは問題にならない。巧みで自信に満ちた演説のほうがはるかに説得力があるからだ。彼は聴衆に「私を信じよ」と言う。自分は「極めて優秀だ」と約束し、予言の力があるかのように振る舞う(例:「私は9.11の攻撃を予見していた」)。
トランプは自画自賛が激しく傲慢な人物に見える。研究によると、傲慢さはしばしば、指導者を目指す者にとって最も好ましくない資質なのだが、トランプはその傲慢さがあまりに徹底しているため自信過剰ではなく本物であるかのように見える。トランプの偉大さこそがアメリカの偉大さなのだ。
従って、トランプはデマゴーグだと言って間違いないだろう。デマゴーグは、実際に実権を握ると、法律や憲法を顧みない危険がある。ヒトラーはもちろんその最悪の例だ。
驚くべきことに、トランプは自ら、自分は何者の支配も受けないと言っている。
トランプは遊説で、自分が大統領にふさわしいことを証明するために、タフなビジネスマンとしてのペルソナを強調している。これは、ソーシャルメディアと長年のテレビ出演を通じて作られたものだ。そのペルソナは束縛を拒絶する。トランプは、所属する共和党にも、メディアにも、ほかの候補にも、政治的公正にも、事実にも、まさにあらゆるものに縛られていないと語る。ある意味、制御不能な指導者としての自分を、自ら演出しているのだ。
敵対者は人身攻撃
ほとんどの有権者は、「制御不能な大統領」を望まないだろう。ではなぜ、これほど多くの人たちがトランプを支持し続けているのだろう。
まず彼は、「アメリカ例外論」という神話を利用している。トランプは、アメリカを世界一の希望として描き出す。世界唯一の選ばれし国だ。そしてトランプの判断はすべて、アメリカを偉大な国にすることに向けられる。自分をアメリカという例外的な国に結びつける一方で、自分を悪く言う者を「弱虫」「でくの坊」などと呼ぶことで、批判者たちを、米国の「偉大さ」を信じず、またそれに貢献することもしない人物だと決めつけることができる。
次にトランプは、疑問を向けられ、コーナーに追い込まれないようにするため、論理的に間違った、あつれきを生む修辞技法を使う。
例えば、大衆に訴えかけやすい「多数論証」を駆使することが多い(例:「世論調査が示している」「我々はあらゆるところで勝利している」)。
対立候補がトランプの考えや立場に異議を唱えると、トランプは、議論する代わりに人身攻撃、すなわち相手の人格を批判する(典型的な批判は「でくの坊」「弱虫」「退屈」)。
最も悪名高いのは、共和党の最初の討論後の世論調査で支持が高まり始めた米コンピューター大手ヒューレット・パッカードの元CEO、カーリー・フィオリーナの外見を嘲笑したことだろう「あの顔を見ろ!」「あんな顔に投票するやつがいるか? 次の大統領の顔だなんて信じられるか?」
最後に、トランプの演説は「脅迫論証」、すなわち「威力に訴える論証」がちりばめられていることが多い(「私に刃向かう者はボロボロになる」)。
(後編へ続く)
Jennifer Mercieca, Associate Professor of Communication and Director of the Aggie Agora, Texas A&M University
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
ジェニファー・マルシエカ(テキサスA&M大学コミュニケーション学教授)