『不死身の花――夜の街を生き抜いた元ストリート・チルドレンの私』(生島マリカ著、新潮社)は、在日2世として複雑な環境に生まれ育ち、ドラマティックな半生を送ってきた著者の自伝。ブログなどで発表してきたコラムに加筆修正したものだという。
「浮浪児」「借金」「結婚」「離婚」「癌」「レイプ」と、帯に並ぶ文字を目で追うだけでも、内容の濃密さをイメージできる。そんなこともあり、読む前から相応の期待感を持っていた。
なのに、この読後感の悪さはなんなのだろう? 先ほど読み終えたばかりなのだが、言葉に置き換えにくいいやな気分が、いまだ心の奥の方に淀んだまま消えない。「あたし」口調で語られるそのストーリーは、そのつど「この先どうなっていくんだろう?」と感じさせもしたが、期待しすぎた部分があったことを反省せざるを得ない。
両親から受けた教えなどという大層なものは何もないが、時折印象的な言動で、あたしの人間形成の礎(いしずえ)になったと思われる出来事はいくつかある。
普通の親なら認めないことを認め、子供を早くから一個人として扱い、世の中の建前も、親としての建前も取っ払ってあたしに晒した。良くも、悪くも。(中略)常に本音を晒すということは、傷つく時はダメージも大きいということを知らないで、十三歳から魑魅魍魎犇(ひし)めく世間に出たあたしには、現実の社会は厳しいものだった。それは、自分の身を守る術を知らないで直接大人と関わらねばならなくなったあたしには、無防備極まりない事実だった。(26ページより)
たしかに、そうなのかもしれない。事実、経済的に裕福でありながら、育った家庭は温かい場所ではなかったようだ。しかも若くして母親を亡くし、父親はその3カ月後に再婚。結果的には、金銭援助を受けられないまま家から追い出され、13歳にしてストリート・チルドレン生活を余儀なくされたというのだから、"本来なら背負わなくてもいいもの"を背負ってしまったが故の苦難ははかり知れない。
このころ本当にお腹が空き過ぎて、生命の危機を感じた時にひらめいたのが、オートロックのないハイツやアパートや団地に忍び込むことだった。(中略)入れそうな建物が見つかったら、まず、一旦その建物の一番上までエレベーターで昇ってから、一階ずつ階段で降りて見て回る。そして、探すのだ。食料を。(61ページより)
たとえば、出前の食べ残しを食べて生き延びたというこのエピソードはあまりに壮絶だ。それに、こののち打算や下心丸出しの大人たちがひしめく夜の街でしたたかに生きていく姿は立派であり、決して折れない強さも年齢以上のものだ。読みながら「もし同じ立場に立たされたとしたら、自分はここまでできただろうか」と何度か考えた。おそらく無理だろう。
つまり特筆すべきは、著者の負けん気の強さ、怖いもの知らずの大胆さである。それらが著者の原動力になっていたのは明らかな事実であり、だからこそ当時の彼女は無意識のうちに、さまざまなチャンスを呼び込んでもいた。最たる例が、東京へ向かう新幹線のなかで、偶然隣り合わせたワコール創業者の塚本幸一と出会ったことだ。
「あの、変なこと聞くけど、いやらしい意味とちゃうねんで? いいかな」
「はい、何でしょうか」
「君は、ブラジャーはどこのものを着けてる?」
(中略)
「ええと、今日はワコール」
「ええー、ほんまかいな」
「......ほんまですよ。それが何ですか」
「いやあ、ほならちょっと背中触らせてくれる? ホックのとこ」
「ホック? いいですよ」
その初老の男性は、ほんの一瞬セーターの上から背中のホックを撫でた。
「いやあ、ほんまやなあ」
穏やかな顔つきの男性は、莞爾としてあたしを眺めた。(104~105ページより)
かくして名刺を受け取った著者は、以後も塚本からかわいがられることになる。かといって助けを乞うでもなく、自分の力で銀座に働く店を見つけ、成功を勝ち取っていく。さらにモデル時代には荒木経惟に認められ(本書のカバー写真は荒木によるもの)、ホステスのころには、プロ野球選手として活躍していた清原和博と交際したりもしている。
話のスケールの大きさには驚かされるが、それは、著者に人を惹きつけるなにかがあったことの証だということ。
その点はまったく否定しないし、そこに本書の説得力があることも事実だ。だが同時に、その生きてきたプロセスにおいて何度も、自尊心の強さが裏目に出ている。こうして書く以上は、その点も指摘しなくてはフェアではないだろう。
たとえば3度におよぶ結婚についても克明に描かれているのだが、どれだけ美辞麗句を並べたところで、少なくとも私には「同じ失敗を何度も繰り返している」ようにしか思えなかった。基本的に頭のいい人であることに間違いはないが、その人生においては何度も、自ら火のなかに飛び込んでいくような危うさを露呈しているのである。
だから、「あたしにはこの離婚は自分だけでなく、自分の子供の幸せをも犠牲にしているのは解っていた」といいながら放浪生活をし、「一人で飲むのは寂しくてつまらないので」5歳の息子にも酒を飲ませたというような記述を目にしてしまうと、いまでは悔いていると書かれてはいても抵抗を禁じ得ない。
そして、そこにこそ本書の問題があると私は思う。先に触れたとおりたいへんな半生を送ってきたことはたしかだろうし、真似ができない強さもある。しかしその一方で、絶対的な自己肯定意識、そして相反する自己憐憫が露骨に出すぎているから、なかなか共感しづらいのだ。「まぁ......たいへんだったろうけど......でも、誰でもみんなたいへんだよね」といいたくなるような感じである。
しかし、そのぶん現在の著者が、とてもいい環境に落ち着くことができたらしいことはよくわかる。真言宗の寺に入り、そこで執筆を続けているのだという。
二〇〇九年、春。
偶然の出会いではなく、必然的に、あたしは岐阜のあるお寺に導かれた。そして、自分の人生を多くの人に知ってもらいたいという気持ちになった。(中略)
一度死にたい。死のう。死んで、生き返りたい。
そのためにも、あたしは自分の過去を書こうと決めた。いや、これ以上ここにいるためには、書かずにはおれなかったからだ。(270ページより)
少女時代から街を放浪し、成功をつかみ、失敗し、結婚と離婚を繰り返し、酒に溺れ、自傷行為をし、癌を2度経験してきた著者を、ものを書くことが救ったのだという。果たして今後、どのような著作が出てくるのかは予測できないが、著者にとってそこに大きな意味があったことは事実だろう。
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『不死身の花
――夜の街を生き抜いた元ストリート・チルドレンの私』
生島マリカ 著
新潮社
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)
「浮浪児」「借金」「結婚」「離婚」「癌」「レイプ」と、帯に並ぶ文字を目で追うだけでも、内容の濃密さをイメージできる。そんなこともあり、読む前から相応の期待感を持っていた。
なのに、この読後感の悪さはなんなのだろう? 先ほど読み終えたばかりなのだが、言葉に置き換えにくいいやな気分が、いまだ心の奥の方に淀んだまま消えない。「あたし」口調で語られるそのストーリーは、そのつど「この先どうなっていくんだろう?」と感じさせもしたが、期待しすぎた部分があったことを反省せざるを得ない。
両親から受けた教えなどという大層なものは何もないが、時折印象的な言動で、あたしの人間形成の礎(いしずえ)になったと思われる出来事はいくつかある。
普通の親なら認めないことを認め、子供を早くから一個人として扱い、世の中の建前も、親としての建前も取っ払ってあたしに晒した。良くも、悪くも。(中略)常に本音を晒すということは、傷つく時はダメージも大きいということを知らないで、十三歳から魑魅魍魎犇(ひし)めく世間に出たあたしには、現実の社会は厳しいものだった。それは、自分の身を守る術を知らないで直接大人と関わらねばならなくなったあたしには、無防備極まりない事実だった。(26ページより)
たしかに、そうなのかもしれない。事実、経済的に裕福でありながら、育った家庭は温かい場所ではなかったようだ。しかも若くして母親を亡くし、父親はその3カ月後に再婚。結果的には、金銭援助を受けられないまま家から追い出され、13歳にしてストリート・チルドレン生活を余儀なくされたというのだから、"本来なら背負わなくてもいいもの"を背負ってしまったが故の苦難ははかり知れない。
このころ本当にお腹が空き過ぎて、生命の危機を感じた時にひらめいたのが、オートロックのないハイツやアパートや団地に忍び込むことだった。(中略)入れそうな建物が見つかったら、まず、一旦その建物の一番上までエレベーターで昇ってから、一階ずつ階段で降りて見て回る。そして、探すのだ。食料を。(61ページより)
たとえば、出前の食べ残しを食べて生き延びたというこのエピソードはあまりに壮絶だ。それに、こののち打算や下心丸出しの大人たちがひしめく夜の街でしたたかに生きていく姿は立派であり、決して折れない強さも年齢以上のものだ。読みながら「もし同じ立場に立たされたとしたら、自分はここまでできただろうか」と何度か考えた。おそらく無理だろう。
つまり特筆すべきは、著者の負けん気の強さ、怖いもの知らずの大胆さである。それらが著者の原動力になっていたのは明らかな事実であり、だからこそ当時の彼女は無意識のうちに、さまざまなチャンスを呼び込んでもいた。最たる例が、東京へ向かう新幹線のなかで、偶然隣り合わせたワコール創業者の塚本幸一と出会ったことだ。
「あの、変なこと聞くけど、いやらしい意味とちゃうねんで? いいかな」
「はい、何でしょうか」
「君は、ブラジャーはどこのものを着けてる?」
(中略)
「ええと、今日はワコール」
「ええー、ほんまかいな」
「......ほんまですよ。それが何ですか」
「いやあ、ほならちょっと背中触らせてくれる? ホックのとこ」
「ホック? いいですよ」
その初老の男性は、ほんの一瞬セーターの上から背中のホックを撫でた。
「いやあ、ほんまやなあ」
穏やかな顔つきの男性は、莞爾としてあたしを眺めた。(104~105ページより)
かくして名刺を受け取った著者は、以後も塚本からかわいがられることになる。かといって助けを乞うでもなく、自分の力で銀座に働く店を見つけ、成功を勝ち取っていく。さらにモデル時代には荒木経惟に認められ(本書のカバー写真は荒木によるもの)、ホステスのころには、プロ野球選手として活躍していた清原和博と交際したりもしている。
話のスケールの大きさには驚かされるが、それは、著者に人を惹きつけるなにかがあったことの証だということ。
その点はまったく否定しないし、そこに本書の説得力があることも事実だ。だが同時に、その生きてきたプロセスにおいて何度も、自尊心の強さが裏目に出ている。こうして書く以上は、その点も指摘しなくてはフェアではないだろう。
たとえば3度におよぶ結婚についても克明に描かれているのだが、どれだけ美辞麗句を並べたところで、少なくとも私には「同じ失敗を何度も繰り返している」ようにしか思えなかった。基本的に頭のいい人であることに間違いはないが、その人生においては何度も、自ら火のなかに飛び込んでいくような危うさを露呈しているのである。
だから、「あたしにはこの離婚は自分だけでなく、自分の子供の幸せをも犠牲にしているのは解っていた」といいながら放浪生活をし、「一人で飲むのは寂しくてつまらないので」5歳の息子にも酒を飲ませたというような記述を目にしてしまうと、いまでは悔いていると書かれてはいても抵抗を禁じ得ない。
そして、そこにこそ本書の問題があると私は思う。先に触れたとおりたいへんな半生を送ってきたことはたしかだろうし、真似ができない強さもある。しかしその一方で、絶対的な自己肯定意識、そして相反する自己憐憫が露骨に出すぎているから、なかなか共感しづらいのだ。「まぁ......たいへんだったろうけど......でも、誰でもみんなたいへんだよね」といいたくなるような感じである。
しかし、そのぶん現在の著者が、とてもいい環境に落ち着くことができたらしいことはよくわかる。真言宗の寺に入り、そこで執筆を続けているのだという。
二〇〇九年、春。
偶然の出会いではなく、必然的に、あたしは岐阜のあるお寺に導かれた。そして、自分の人生を多くの人に知ってもらいたいという気持ちになった。(中略)
一度死にたい。死のう。死んで、生き返りたい。
そのためにも、あたしは自分の過去を書こうと決めた。いや、これ以上ここにいるためには、書かずにはおれなかったからだ。(270ページより)
少女時代から街を放浪し、成功をつかみ、失敗し、結婚と離婚を繰り返し、酒に溺れ、自傷行為をし、癌を2度経験してきた著者を、ものを書くことが救ったのだという。果たして今後、どのような著作が出てくるのかは予測できないが、著者にとってそこに大きな意味があったことは事実だろう。
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『不死身の花
――夜の街を生き抜いた元ストリート・チルドレンの私』
生島マリカ 著
新潮社
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)