各州の予備選が始まったアメリカの大統領選では、民主党のバーニー・サンダース候補に若者の支持が集まっています。今月1日のアイオワ党員集会では、盤石と言われたヒラリー・クリントン陣営に1%未満の差まで詰め寄る一方で、今月9日に予定されているニューハンプシャーの予備選では自身の選挙区バーモントの隣ということもあって、大差での1位が見込まれています。
このサンダースですが、60年代から「反戦・反格差」を主張として掲げており、自分は「民主的な社会主義者」という立場を一貫して通しています。さらに大統領選で「政治による革命を目指す」としています。政策としては「空前の大増税を行って富裕層の富を吐き出させ」、「スウェーデンや日本のような政府一元化の健康保険制度」を導入、さらには「公立大学はすべて無料化する」という公約を掲げています。
こうした主張は、2011年から数年間、北米で盛り上がった「オキュパイ(占拠)デモ」の運動や、欧州の新しい左派勢力、例えばイギリス労働党のジェレミー・コービン党首、スコットランド国民党のニコラ・スタージョン党首(スコットランド自治政府首相)、スペインのパブロ・イグレシアス(新しい左派政党「ポデモス」の党首)などの政治的主張に繋がっていると考えられます。
【参考記事】アイオワ州党員集会 共和党は正常化、民主党は異常事態へ
格差社会の中で、大きな政府論による「再分配」を主張して、右派や中道の「緊縮財政」にノーを突き付けるとともに、これに「反戦」や「反核兵器」などをセットメニューとして提供するというのは、まるで60年代の「旧左翼」です。ですが、カルチャーを含めて、若者の間で大きな支持を獲得しているのです。
もちろん、時代背景は60年代とは異なります。大量生産の製造業という競争力を新興国に譲り渡した後、先進国は知的労働による高付加価値創造の経済と、そのトリクルダウンとしての内需という経済の二重構造に入っています。ですから、格差の拡大という現象からは逃げられない構図がまずあります。その中で、より若い世代になればなるほど既得権益から見放されるわけで、彼らの怒りが「格差社会」そのものへ向かうのは一種の必然があると思います。
この点では、日本も似たような問題を抱えているはずです。ですが、若者を中心とした「反格差」の運動が、全国レベルで大きな勢力になるようなことは起きていません。これはどうしてなのでしょうか?
理由はいくつか考えられます。
(1)終身雇用の正社員という一種の身分制がある中で、その地位を獲得し、そこで昇進昇格昇給を得ていくというミクロの努力が優先され、制度全体を疑う視点が持ちにくい。また、労働法リテラシーを学ぶ場がなく、従って労働者の権利という概念が浸透していない。
(2)若者にとっては、日本の1人あたりGDPが大きかった世代との世代間格差の方が、現役世代のヨコの経済格差より切実。だが、その一方で世代間格差の強力な是正は、高齢者の生存権と衝突するうえ、そもそも多数決主義のもとでは勝てる見込みがない。
(3)現役世代同士のヨコの格差は、欧米に比べて大きくないので、経済的に困窮している層でも富裕層への敵意を持つことは少ない。嫉妬心は持つかもしれないが、多種多様な嫉妬心が顕在化している社会では、その中に紛れてしまう。
(4)単身者世帯が増えることで、家計の固定費は住居費に限られ、所得の低迷は消費の抑制で帳尻を合わせてしまうことになる。結果として、若者の経済的困窮が非婚少子化を後押ししている。
【参考記事】「同一労働・同一賃金」はどうして難しいのか?
(5)課税強化と再分配の恩恵を要求しようにも、国の経済が低迷する中では財源が限られることへの「物分りの良さ」があり、要求が前面に出てこない。個人の困窮の原因を突き詰めれば、人口減少と産業構造転換の失敗という問題の「根深さ」に行き着いてしまうため、大きく状況を変革することへの現実感を持ちにくい。
(6)旧左翼(50年代からの左翼政党や労働組合)は中高年の正社員の既得権益代表であり、現在の若者の利害を誠実に代表することはない。新左翼(60年代末以降の左派的思想)とその後継者は、「反戦」「環境やエネルギー」など「理念的テーマ」の追求にばかり関心を示し、個々の経済的困窮を束ねて社会改良に向けた運動にするという発想が薄い。そもそも左派カルチャー全般に「富裕層の自己実現」といった匂いがついてしまっていて、若い世代の困窮層にとっては違和感こそあれ親近感が持てない。
どれも根深い問題です。では、日本の現状は欧米に比べると「先進的」であって、これはこれで仕方がないのでしょうか? それでは、あまりにも悲観的に過ぎます。
やはり上記の理由の中では(5)に絞って、何とか産業構造の転換を実現して、これ以上の経済の縮小をストップすること、そこが重要なのだと思います。(1)の問題を改善するのは、「そのための手段」という位置付けになるでしょう。
そのためにも、日本の将来の経済状態により切実に関わる若い世代が、自身の持つ健全な反発心をもって、衰退する過去を切り捨てて新しい未来へと向かう変革の旗手となる――そんな動きに期待するしかないようにも思われます。そう考えれば、現在の日本には「サンダース」も「コービン」もあえて必要ないのかもしれません。
このサンダースですが、60年代から「反戦・反格差」を主張として掲げており、自分は「民主的な社会主義者」という立場を一貫して通しています。さらに大統領選で「政治による革命を目指す」としています。政策としては「空前の大増税を行って富裕層の富を吐き出させ」、「スウェーデンや日本のような政府一元化の健康保険制度」を導入、さらには「公立大学はすべて無料化する」という公約を掲げています。
こうした主張は、2011年から数年間、北米で盛り上がった「オキュパイ(占拠)デモ」の運動や、欧州の新しい左派勢力、例えばイギリス労働党のジェレミー・コービン党首、スコットランド国民党のニコラ・スタージョン党首(スコットランド自治政府首相)、スペインのパブロ・イグレシアス(新しい左派政党「ポデモス」の党首)などの政治的主張に繋がっていると考えられます。
【参考記事】アイオワ州党員集会 共和党は正常化、民主党は異常事態へ
格差社会の中で、大きな政府論による「再分配」を主張して、右派や中道の「緊縮財政」にノーを突き付けるとともに、これに「反戦」や「反核兵器」などをセットメニューとして提供するというのは、まるで60年代の「旧左翼」です。ですが、カルチャーを含めて、若者の間で大きな支持を獲得しているのです。
もちろん、時代背景は60年代とは異なります。大量生産の製造業という競争力を新興国に譲り渡した後、先進国は知的労働による高付加価値創造の経済と、そのトリクルダウンとしての内需という経済の二重構造に入っています。ですから、格差の拡大という現象からは逃げられない構図がまずあります。その中で、より若い世代になればなるほど既得権益から見放されるわけで、彼らの怒りが「格差社会」そのものへ向かうのは一種の必然があると思います。
この点では、日本も似たような問題を抱えているはずです。ですが、若者を中心とした「反格差」の運動が、全国レベルで大きな勢力になるようなことは起きていません。これはどうしてなのでしょうか?
理由はいくつか考えられます。
(1)終身雇用の正社員という一種の身分制がある中で、その地位を獲得し、そこで昇進昇格昇給を得ていくというミクロの努力が優先され、制度全体を疑う視点が持ちにくい。また、労働法リテラシーを学ぶ場がなく、従って労働者の権利という概念が浸透していない。
(2)若者にとっては、日本の1人あたりGDPが大きかった世代との世代間格差の方が、現役世代のヨコの経済格差より切実。だが、その一方で世代間格差の強力な是正は、高齢者の生存権と衝突するうえ、そもそも多数決主義のもとでは勝てる見込みがない。
(3)現役世代同士のヨコの格差は、欧米に比べて大きくないので、経済的に困窮している層でも富裕層への敵意を持つことは少ない。嫉妬心は持つかもしれないが、多種多様な嫉妬心が顕在化している社会では、その中に紛れてしまう。
(4)単身者世帯が増えることで、家計の固定費は住居費に限られ、所得の低迷は消費の抑制で帳尻を合わせてしまうことになる。結果として、若者の経済的困窮が非婚少子化を後押ししている。
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(5)課税強化と再分配の恩恵を要求しようにも、国の経済が低迷する中では財源が限られることへの「物分りの良さ」があり、要求が前面に出てこない。個人の困窮の原因を突き詰めれば、人口減少と産業構造転換の失敗という問題の「根深さ」に行き着いてしまうため、大きく状況を変革することへの現実感を持ちにくい。
(6)旧左翼(50年代からの左翼政党や労働組合)は中高年の正社員の既得権益代表であり、現在の若者の利害を誠実に代表することはない。新左翼(60年代末以降の左派的思想)とその後継者は、「反戦」「環境やエネルギー」など「理念的テーマ」の追求にばかり関心を示し、個々の経済的困窮を束ねて社会改良に向けた運動にするという発想が薄い。そもそも左派カルチャー全般に「富裕層の自己実現」といった匂いがついてしまっていて、若い世代の困窮層にとっては違和感こそあれ親近感が持てない。
どれも根深い問題です。では、日本の現状は欧米に比べると「先進的」であって、これはこれで仕方がないのでしょうか? それでは、あまりにも悲観的に過ぎます。
やはり上記の理由の中では(5)に絞って、何とか産業構造の転換を実現して、これ以上の経済の縮小をストップすること、そこが重要なのだと思います。(1)の問題を改善するのは、「そのための手段」という位置付けになるでしょう。
そのためにも、日本の将来の経済状態により切実に関わる若い世代が、自身の持つ健全な反発心をもって、衰退する過去を切り捨てて新しい未来へと向かう変革の旗手となる――そんな動きに期待するしかないようにも思われます。そう考えれば、現在の日本には「サンダース」も「コービン」もあえて必要ないのかもしれません。