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日本の経済政策は、なぜ右派と左派でねじれているのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年2月9日 16時30分

 前回のエントリ「なぜ日本には『左派勢力の旗手』が出現しないのか?」には多くの反響をいただきました。その中であらためて考えさせられたのは、日本では「右派がリベラルな経済政策」を取り、「左派が保守的な経済政策」を取っているという「経済政策のねじれ」です。

 現在進行中のアベノミクスがいい例です。自国通貨の価値を毀損してまで流動性を供給するとか、公共投資を増やしてケインズ的な効果を狙うというのは、国際的な常識から見れば極めてリベラルな経済政策に属します。ですから、現在の安倍政権というのは政治的には保守ですが、経済政策は相当に左寄りだということが言えます。

 反対に、「目先の景気よりも、中長期的な財政規律」を心配する態度であるとか、自国の通貨を防衛しようという立場、あるいは公共投資などの支出を抑制しようと言う姿勢は、保守の経済政策になります。ですから、安倍政権と比較すると、その前の民主党政権というのは政治的にはリベラルでも、経済政策は保守ということになります。円高を放置したり、ハコモノ行政を「仕分け」しようとしたりしただけでなく、社会保障と税の一体改革を志向し、その際には給付増や再分配でなく財政規律を優先したというのは、明らかな保守政策です。

 なぜ日本の政治風土には、このような顕著な経済政策の「ねじれ」があるのでしょうか?

(1)まず歴史的経緯が大きなファクターとしてあると思います。日本の左派は、明治のキリスト教博愛主義に始まって、大正から昭和にかけての社会主義運動もそうですが、社会改良運動という高学歴の人々による、国際情勢にも通じた「上からの改革」だったわけです。戦後の革命論議や市民運動も、結局は都市型であり主導したのは富裕層が中心だったと思われます。

(2)戦後に急成長した「余裕のなさ」も大きな要素です。国際化しつつ中長期ビジョンが描けるというのは、「余裕のある層」に限られる一方で、困窮層、日々の経営に必死な中小企業経営者は「生き延びるためには目先の利害」にフォーカスするしかなかったし、また利権には敏感になるしかなかったのです。そんな途上国的なカルチャーが長く続き、今は反対に「縮小途上」ということで同様の「余裕のなさ」が保守思想と結びついて、政治勢力となっています。

(3)同じように島国特有の事情として、高学歴の富裕層は外貨建てでの国力や個人の財力を意識することから、通貨防衛に走ることになります。反対に、ドルで見れば国内のキャッシュも財産も何もかもが安くなる円安も、円で見て得になれば構わないという国内的な発想が保守思想と結びついています。この「ねじれ」については、戦前に大恐慌の影響が迫る中でも金解禁という円高政策に走った民政党政権が、幣原喜重郎の「協調外交」とのセットであったあたりに、そのルーツがあるのではないでしょうか。

【参考記事】「予備選」が導入できない日本政治の残念な現状

(4)それとは別に、日本の保守思想とはイコール現状維持のカルチャーであり、現在の産業構造、現在の社会全体のヒエラルキー維持が至上命題となるわけです。これは、困窮層や中小企業だけでなく、「民主化要求や社会主義の運動」に攻められて「守勢に回った」エスタブリッシュメントも同じでした。一方で現在の産業構造は競争力を失いつつあり、経済全体としては厳しい状況です。そんな中で現在のヒエラルキーを維持するには、小手先の延命措置が主となり、とても中長期的な展望は描けないわけです。また中長期展望を描くと、相当程度の破壊を伴う変革が必要となるわけですが、そうした変革は保守(現状維持)カルチャーでは取り組むことはできません。従って、後ろ向きでも現状維持のための短期的な施策でつなぐしかないというのが、保守の立場になっているのだと思います。

(5)そもそも、55年体制の左右対立というのは、どちらも大きな政府論であって、保守派は保守派としてのバラマキのパターンがあり、左派は左派としてのバラマキのパターンを持っていました。やがて、左派は労組などを通じた影響力を弱めていきましたが、その代わりに純粋に都市型の「アナーキーな経済合理性至上主義」が土着思想と短期的利害で動く保守政治への批判者として出てきたということもあると思います。

 この議論は、日本の政治経済の現状を打破するためには、避けて通れないと思います。背景となる問題も根深く、私としても現状で整理しきれていない部分もありますので、継続して取り上げていきたいと思います。

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