ロシアの陸上連盟のように、世界のスポーツ界には薬物に汚染されているところが多いと言われて久しい。選手たちは常に「国家の栄誉」を背負わされているし、巨大な経済的な利益も付きまとっているから、ドーピングに走る。
こうした暗雲を吹き飛ばす快挙が日本で起きた。その舞台は日本人が「国技」と呼び、深く愛されている相撲。一時は暴行死や賭博などの不祥事に苦しんだが、今ではフェアでクリーンな競技として人気を博し、世界の注目を浴びている。その担い手たちも既に国際化して長い。
先月24日に琴奨菊が今年最初の賜杯を手にしたことで、10年ぶりに日本出身の力士が優勝となった。過去10年間に優勝の座を占めてきたのはモンゴル人とブルガリア人、そしてエストニア人。優勝こそ実現しなかったものの、ロシア人とエジプト人の奮戦も常に話題に上る。20年前には若乃花と貴乃花という日本人力士が国民的なヒーローになっていたが、彼らと互角に戦っていたのはハワイ出身の力士たちだった。
【参考記事】出場停止勧告を受けたロシア陸上界の果てしない腐敗
各国からの力士たちは流暢な日本語を操り、最も日本的な精神を演じて、相撲を一気に国際舞台に押し上げるのに成功した。国際化したのは力士だけではない。観客席にも終戦直後のプロレスのようなパフォーマンスを喜ぶ人はもはやいなくなった。レスラーの力道山(彼のルーツは大日本帝国の植民地だった朝鮮半島にあるが)が白人を投げ飛ばして、「日米代理戦争」ゲームで勝つ――というような演出だ。
日本は文明の吹きだまり
相撲の起源はユーラシアにあると言われている。紀元前から活躍していたスキタイという遊牧民が愛用していた青銅器には既に力士の取組をかたどった紋様があった。その後、10世紀にはヨーロッパまで名をとどろかせていた遊牧民契丹(キタイ)人の格闘技が日本に伝わって、相撲の原型になった。広大な草原で展開する競技を古代の日本人は限られた小さな土俵に集約することで洗練化し、格闘技を神前で演じて奉納する儀式化にも成功した。
「日本は東夷(とうい)の住む小さな島にすぎないし、モンゴル草原は北狄(ほくてき)の巣窟だ」、と孔子の思想をあがめる「中華の人々」は隣人を古くから見下してきたが、それは偏見でしかない。日本人は古くから南洋に進出して貿易を行い、契丹の地にも925年に使者を派遣していた事実は『遼史』に記録がある。スキタイの伝統が残るモンゴル高原の住人は古くからユーラシアとの一体感を求め、洋の東西を自由に行き来していた。
海上に船を浮かべた日本人は時に海賊行為を働くこともあったし、モンゴルの遊牧民も「征服者」を演じることが多々あった。古代から国際化に慣れ切った日本人とモンゴル人には狭量なナショナリズムは希薄で、スポーツを一国のみの国威発揚に利用しようとする精神もない。
かつて朝青龍が横綱として土俵をにぎわせていた頃は、草原の国モンゴルの首都ウランバートルでは夕刻になると車も止まり、官公庁も機能を停止して相撲を観戦していた。日本語のしこ名は草原にまで伝わっていた。
今回の大相撲初場所で大関琴奨菊は横綱白鵬と日馬富士、それに鶴竜らモンゴル人たちを次から次へと連破し、「21世紀の蒙古襲来を退治」した。やがて遊牧民の「騎士」たちも捲土重来するだろう、とモンゴルの新聞は書いている。
【参考記事】ラグビー嫌いのイギリス人さえ目覚めさせた日本代表
スポーツのルーツを探求するのはロマンを感じるが、「純血」にこだわるのはあまり意味がない。文化は高次元のところから低次元の地へ広がるものではなく、同時多発的に発展するのが一般的だ。日本列島はまさに文明の吹きだまりのように、ユーラシアのあらゆる文化が導入されて定着したところだ。いわば、太古の昔からグローバリゼーションを実践してきた民族だ。
政治化し、国威発揚と利益を優先してきた世界のスポーツ界は、海の民・日本と草原の民モンゴルの国際性に見習う必要があるかもしれない。
[2016.2. 9号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)
こうした暗雲を吹き飛ばす快挙が日本で起きた。その舞台は日本人が「国技」と呼び、深く愛されている相撲。一時は暴行死や賭博などの不祥事に苦しんだが、今ではフェアでクリーンな競技として人気を博し、世界の注目を浴びている。その担い手たちも既に国際化して長い。
先月24日に琴奨菊が今年最初の賜杯を手にしたことで、10年ぶりに日本出身の力士が優勝となった。過去10年間に優勝の座を占めてきたのはモンゴル人とブルガリア人、そしてエストニア人。優勝こそ実現しなかったものの、ロシア人とエジプト人の奮戦も常に話題に上る。20年前には若乃花と貴乃花という日本人力士が国民的なヒーローになっていたが、彼らと互角に戦っていたのはハワイ出身の力士たちだった。
【参考記事】出場停止勧告を受けたロシア陸上界の果てしない腐敗
各国からの力士たちは流暢な日本語を操り、最も日本的な精神を演じて、相撲を一気に国際舞台に押し上げるのに成功した。国際化したのは力士だけではない。観客席にも終戦直後のプロレスのようなパフォーマンスを喜ぶ人はもはやいなくなった。レスラーの力道山(彼のルーツは大日本帝国の植民地だった朝鮮半島にあるが)が白人を投げ飛ばして、「日米代理戦争」ゲームで勝つ――というような演出だ。
日本は文明の吹きだまり
相撲の起源はユーラシアにあると言われている。紀元前から活躍していたスキタイという遊牧民が愛用していた青銅器には既に力士の取組をかたどった紋様があった。その後、10世紀にはヨーロッパまで名をとどろかせていた遊牧民契丹(キタイ)人の格闘技が日本に伝わって、相撲の原型になった。広大な草原で展開する競技を古代の日本人は限られた小さな土俵に集約することで洗練化し、格闘技を神前で演じて奉納する儀式化にも成功した。
「日本は東夷(とうい)の住む小さな島にすぎないし、モンゴル草原は北狄(ほくてき)の巣窟だ」、と孔子の思想をあがめる「中華の人々」は隣人を古くから見下してきたが、それは偏見でしかない。日本人は古くから南洋に進出して貿易を行い、契丹の地にも925年に使者を派遣していた事実は『遼史』に記録がある。スキタイの伝統が残るモンゴル高原の住人は古くからユーラシアとの一体感を求め、洋の東西を自由に行き来していた。
海上に船を浮かべた日本人は時に海賊行為を働くこともあったし、モンゴルの遊牧民も「征服者」を演じることが多々あった。古代から国際化に慣れ切った日本人とモンゴル人には狭量なナショナリズムは希薄で、スポーツを一国のみの国威発揚に利用しようとする精神もない。
かつて朝青龍が横綱として土俵をにぎわせていた頃は、草原の国モンゴルの首都ウランバートルでは夕刻になると車も止まり、官公庁も機能を停止して相撲を観戦していた。日本語のしこ名は草原にまで伝わっていた。
今回の大相撲初場所で大関琴奨菊は横綱白鵬と日馬富士、それに鶴竜らモンゴル人たちを次から次へと連破し、「21世紀の蒙古襲来を退治」した。やがて遊牧民の「騎士」たちも捲土重来するだろう、とモンゴルの新聞は書いている。
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スポーツのルーツを探求するのはロマンを感じるが、「純血」にこだわるのはあまり意味がない。文化は高次元のところから低次元の地へ広がるものではなく、同時多発的に発展するのが一般的だ。日本列島はまさに文明の吹きだまりのように、ユーラシアのあらゆる文化が導入されて定着したところだ。いわば、太古の昔からグローバリゼーションを実践してきた民族だ。
政治化し、国威発揚と利益を優先してきた世界のスポーツ界は、海の民・日本と草原の民モンゴルの国際性に見習う必要があるかもしれない。
[2016.2. 9号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)