書名からもわかるとおり、『中国残留孤児 70年の孤独』(平井美帆著、集英社インターナショナル)は、中国残留孤児の過去、そして現在にも焦点を当てた優れたノンフィクション。「人」に寄り添う徹底した取材によって、表に出る機会の少ない問題の本質を見事に突いた内容になっている。人と向き合って取材することの大切さを、改めて思い知らされた。
ストーリーの中心となっているのは、東京・御徒町の一角にある「NPO法人 中国帰国者・日中友好の会」が運営する「中国残留孤児の家」だ。著者はそこに集う残留孤児たちと話をし、一緒に行動して距離を縮め、彼らの本音を引き出すことに成功している。
一日に入れ代わり立ち代わり、四十人から五十人が「中国残留孤児の家」にやってきて、仲間との時間を楽しむ。(中略)集いの場の誕生は、孤児たちの長い闘いにさかのぼる。
政府による帰国支援が遅れ、多くの日本人孤児が日本に帰国できたのは、四十歳、五十歳を超えてからだった。日本語の習得は難しく、社会の仕組みもわからない。せっかく帰国した祖国で人びとは低賃金の重労働に追いやられ、人並みの生活すらままならなかった。(28ページより)
中国残留孤児とは、旧厚生省(現厚生労働省)の定義によれば、1945年8月9日のソ連の対日参戦時に旧満州国で肉親と離別し、身元がわからなくなった12歳以下の日本人児童のこと。これまでに日中両政府が日本人孤児と認めた数は2818人で、うち日本に永住帰国した孤児は2556人。家族を含めた孤児の帰国総数は9377人となっているという(2016年1月31日現在)。
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80年代には、肉親を求めて日本を訪れる彼らの姿がテレビの画面に頻繁に映し出された。当時まだ20代だった私も、映像を見ながら「気の毒だな」というような思いを漠然と抱いていた。しかし、そもそも「気の毒」とか「かわいそう」というような言葉がいかに空虚なものであるかは、いまになってみれば痛いほどわかる。なぜならその苦悩は、そんな単純な言葉に置き換えられるものではないはずだから。考え方をあえて単純化し、「実の親と離れ離れになってしまったとしたら......」とイメージしてみれば、多くの人がその思いに近づけるのではないか。
事実、本書の第一章と第二章には、中国での、あるいは日本に戻ってきてからの彼らに襲いかかる過酷な現実が描写されている。中国からの帰国者はまず埼玉県所沢市にある「中国帰国者定着促進センター」で日本語や社会習慣について学ぶというが、そのために与えられた期間はわずか4カ月間。以後、各地に「中国帰国者支援交流センター」が設置されたことから8カ月間に伸びたとはいうものの、その程度で言葉や文化の壁をクリアできるはずもない。
ましてや帰国者の大半は40〜50代が中心である。若いならまだしも、その年齢で未知の言語や文化を習得することが、いかに困難であるかはすぐに理解できる。そして結果的に、彼らの多くは職に就くことができず、生活保護を受けるしかなく、社会に同化できないまま生きていかざるを得なくなるのである。
いまでは70代になった彼らの言動や物腰は、少なくとも本書で見る限り穏やかに思える。しかしそれは「現在」から彼らを見た結果でしかなく、笑顔の裏側に理不尽な現実があったことを私たちは少しでも理解する必要がある。
ところで本書のもうひとつのポイントは、中国残留孤児二世にも焦点を当てていることだ。私たちにとって、二世は一世よりもさらに知る機会が限られた存在であり、そもそも彼らの現実が明らかにされることも少ない。一世と二世の違いを見極めることも容易ではないが、だからこそ、ここで彼らのことを取り上げていることには大きな意義がある。
「一世と二世では、日本で体験することも考えることも違う。一世は恵まれているよ。生活保護(現在では生活支援金)を貰える。国がなんとかしてくれると思っている。大変なのは、二世。なじめないし、仕事がない。二世は自分の努力。それで全部、決まる。二世で生活保護を受けている人もいるけども、普通は恥ずかしいからと受けない」(100ページより)
二世を取り巻く現実が引き起こした悲劇として、本書でクローズアップされているのが、2012年4月29日に群馬県藤岡市の関越自動車道で起きた高速バス事故だ。7名が死亡し、運転手を含む39名が重軽傷を負ったその事故は大きな衝撃を与えたが、運転していた河野化山(こうのかざん)容疑者が中国残留孤児二世だったことに注目し、著者はそこから二世の現実を掘り下げているのである。
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たとえば、居眠り運転をした河野が、居眠りを描写する「うとうと」という日本語自体を知らなかったという事実ひとつとっても、この事件と、中国残留孤児二世の置かれた現実を間接的に描写しているように思える。
完ぺきに日本語を理解してはいないが、言葉のニュアンスや日本人の受け止め方は会得している。中国人らしいようで日本人らしい。日本人のようでいて中国人のよう――。このつかみどころのなさこそが、彼の二重のメンタリティーを表しているようだった。(105ページより)
1993年12月、24歳のときに両親の永住帰国に伴い日本にやって来た河野は、大型第二種免許を取得してバス会社で働いたのちに独立。「まじめに事業をしたかった」という思いから中古バス5台を購入し、バス事業をはじめようとする。しかし結果的には、日本人に騙されてチャンスを失ってしまうことに。そしてその後も幾つかのプロセスを経て、そのバスに乗ることになったのだった。
事故を起こした際の運転は、忙しいので無理ですと断ったというが、世話になっていた人から「しっかり働かないと、借金を返せないよ」と説得されたため断りきれなかったのだという。だからといって彼を擁護することはできないけれども、中国残留孤児二世の現実がもたらす裏側の部分にも、私たちは目を向ける必要があるだろう。こちらが考えている以上に、残留孤児問題は根深く、そして複雑なのだ。
さらにいまは、「おじいちゃんは残留孤児なんだよ、としか聞いたことない。だから、『へえー、そうなんだー』って思っただけ」というような残留孤児三世も育っている。70年もの時間が経過すればそれはむしろ自然なことで、だから「中国残留孤児の家」で帰国者と日本人の橋渡しをしているという宮崎慶文氏は、自ら創作した三部作の舞踏劇を通じ、中国残留孤児たちの体験を語り継いでいきたいのだという。
「戦後百年のときにはもう残留孤児はいないよ。生きていないよ。七十年の今年が最後のチャンスですよ。だから、日本でも、中国でもやりたいんですね」
慶文はそう語った。いつもの少し怒ったような、少し悲しいような没法子(メイファーズ ※筆者注:中国語で「仕方がない」の意)の顔つきで――。(297ページより)
戦後百年のときにはもう残留孤児はいない。シンプルなその言葉は、「考えるべきことをきちんと考えろよ」と頬を叩かれたような衝撃を私に与えた。まだまだ考えが足りない部分を、鋭く指摘されたような気分だったのである。
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『中国残留孤児 70年の孤独』
平井美帆 著
集英社インターナショナル
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)
ストーリーの中心となっているのは、東京・御徒町の一角にある「NPO法人 中国帰国者・日中友好の会」が運営する「中国残留孤児の家」だ。著者はそこに集う残留孤児たちと話をし、一緒に行動して距離を縮め、彼らの本音を引き出すことに成功している。
一日に入れ代わり立ち代わり、四十人から五十人が「中国残留孤児の家」にやってきて、仲間との時間を楽しむ。(中略)集いの場の誕生は、孤児たちの長い闘いにさかのぼる。
政府による帰国支援が遅れ、多くの日本人孤児が日本に帰国できたのは、四十歳、五十歳を超えてからだった。日本語の習得は難しく、社会の仕組みもわからない。せっかく帰国した祖国で人びとは低賃金の重労働に追いやられ、人並みの生活すらままならなかった。(28ページより)
中国残留孤児とは、旧厚生省(現厚生労働省)の定義によれば、1945年8月9日のソ連の対日参戦時に旧満州国で肉親と離別し、身元がわからなくなった12歳以下の日本人児童のこと。これまでに日中両政府が日本人孤児と認めた数は2818人で、うち日本に永住帰国した孤児は2556人。家族を含めた孤児の帰国総数は9377人となっているという(2016年1月31日現在)。
【参考記事】路上生活・借金・離婚・癌......ものを書くことが彼女を救った
80年代には、肉親を求めて日本を訪れる彼らの姿がテレビの画面に頻繁に映し出された。当時まだ20代だった私も、映像を見ながら「気の毒だな」というような思いを漠然と抱いていた。しかし、そもそも「気の毒」とか「かわいそう」というような言葉がいかに空虚なものであるかは、いまになってみれば痛いほどわかる。なぜならその苦悩は、そんな単純な言葉に置き換えられるものではないはずだから。考え方をあえて単純化し、「実の親と離れ離れになってしまったとしたら......」とイメージしてみれば、多くの人がその思いに近づけるのではないか。
事実、本書の第一章と第二章には、中国での、あるいは日本に戻ってきてからの彼らに襲いかかる過酷な現実が描写されている。中国からの帰国者はまず埼玉県所沢市にある「中国帰国者定着促進センター」で日本語や社会習慣について学ぶというが、そのために与えられた期間はわずか4カ月間。以後、各地に「中国帰国者支援交流センター」が設置されたことから8カ月間に伸びたとはいうものの、その程度で言葉や文化の壁をクリアできるはずもない。
ましてや帰国者の大半は40〜50代が中心である。若いならまだしも、その年齢で未知の言語や文化を習得することが、いかに困難であるかはすぐに理解できる。そして結果的に、彼らの多くは職に就くことができず、生活保護を受けるしかなく、社会に同化できないまま生きていかざるを得なくなるのである。
いまでは70代になった彼らの言動や物腰は、少なくとも本書で見る限り穏やかに思える。しかしそれは「現在」から彼らを見た結果でしかなく、笑顔の裏側に理不尽な現実があったことを私たちは少しでも理解する必要がある。
ところで本書のもうひとつのポイントは、中国残留孤児二世にも焦点を当てていることだ。私たちにとって、二世は一世よりもさらに知る機会が限られた存在であり、そもそも彼らの現実が明らかにされることも少ない。一世と二世の違いを見極めることも容易ではないが、だからこそ、ここで彼らのことを取り上げていることには大きな意義がある。
「一世と二世では、日本で体験することも考えることも違う。一世は恵まれているよ。生活保護(現在では生活支援金)を貰える。国がなんとかしてくれると思っている。大変なのは、二世。なじめないし、仕事がない。二世は自分の努力。それで全部、決まる。二世で生活保護を受けている人もいるけども、普通は恥ずかしいからと受けない」(100ページより)
二世を取り巻く現実が引き起こした悲劇として、本書でクローズアップされているのが、2012年4月29日に群馬県藤岡市の関越自動車道で起きた高速バス事故だ。7名が死亡し、運転手を含む39名が重軽傷を負ったその事故は大きな衝撃を与えたが、運転していた河野化山(こうのかざん)容疑者が中国残留孤児二世だったことに注目し、著者はそこから二世の現実を掘り下げているのである。
【参考記事】バス事故頻発の背景にある「日本式」規制緩和の欠陥
たとえば、居眠り運転をした河野が、居眠りを描写する「うとうと」という日本語自体を知らなかったという事実ひとつとっても、この事件と、中国残留孤児二世の置かれた現実を間接的に描写しているように思える。
完ぺきに日本語を理解してはいないが、言葉のニュアンスや日本人の受け止め方は会得している。中国人らしいようで日本人らしい。日本人のようでいて中国人のよう――。このつかみどころのなさこそが、彼の二重のメンタリティーを表しているようだった。(105ページより)
1993年12月、24歳のときに両親の永住帰国に伴い日本にやって来た河野は、大型第二種免許を取得してバス会社で働いたのちに独立。「まじめに事業をしたかった」という思いから中古バス5台を購入し、バス事業をはじめようとする。しかし結果的には、日本人に騙されてチャンスを失ってしまうことに。そしてその後も幾つかのプロセスを経て、そのバスに乗ることになったのだった。
事故を起こした際の運転は、忙しいので無理ですと断ったというが、世話になっていた人から「しっかり働かないと、借金を返せないよ」と説得されたため断りきれなかったのだという。だからといって彼を擁護することはできないけれども、中国残留孤児二世の現実がもたらす裏側の部分にも、私たちは目を向ける必要があるだろう。こちらが考えている以上に、残留孤児問題は根深く、そして複雑なのだ。
さらにいまは、「おじいちゃんは残留孤児なんだよ、としか聞いたことない。だから、『へえー、そうなんだー』って思っただけ」というような残留孤児三世も育っている。70年もの時間が経過すればそれはむしろ自然なことで、だから「中国残留孤児の家」で帰国者と日本人の橋渡しをしているという宮崎慶文氏は、自ら創作した三部作の舞踏劇を通じ、中国残留孤児たちの体験を語り継いでいきたいのだという。
「戦後百年のときにはもう残留孤児はいないよ。生きていないよ。七十年の今年が最後のチャンスですよ。だから、日本でも、中国でもやりたいんですね」
慶文はそう語った。いつもの少し怒ったような、少し悲しいような没法子(メイファーズ ※筆者注:中国語で「仕方がない」の意)の顔つきで――。(297ページより)
戦後百年のときにはもう残留孤児はいない。シンプルなその言葉は、「考えるべきことをきちんと考えろよ」と頬を叩かれたような衝撃を私に与えた。まだまだ考えが足りない部分を、鋭く指摘されたような気分だったのである。
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『中国残留孤児 70年の孤独』
平井美帆 著
集英社インターナショナル
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。
印南敦史(書評家、ライター)