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テロ捜査の地裁命令にアップルが抵抗する理由 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年2月18日 16時10分

 アップル社はiPhoneなどに使用されているOS(iOS)のセキュリティに関しては、バージョンアップのたびに強化を進めています。例えば、現在のiOS9にバージョンアップする際、パスコードが6桁化されたというのは、その一例です。

 そのiOSのセキュリティの高さを象徴するような事態が起きています。昨年12月にカリフォルニア州サンベルナルディーノで14人が殺害された銃乱射事件をめぐって、死亡した実行犯の1人であるサイード・ファルーク容疑者が保有していたiPhone(報道によれば「5C」だそうです)のプロテクトされている内容について、現時点でFBIは全面的に解明ができていないというのです。

 報道の内容を総合しますと、FBIとしてはクリスマスパーティーの会場から、ファルーク容疑者が抜けだして「一旦帰宅し、武装して会場に戻るまで」の「空白の時間帯」の解明に、このデバイスの内容解析が重要だとしているようです。これに対して、アップルは必要なデータは提供したと主張し、その他にもSNSの運営企業や携帯回線の提供業者などがログの提供などを通じて全面的に協力しているそうです。

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 ですがFBIとしては、「帰宅して襲撃を決定し、準備を行ったプロセスで外部と交信していた可能性、しかも通信ログからは容易に分からないような特殊なアプリを使い、特殊な暗号を使ってのコミュニケーションがあった可能性」などを考えているのでしょう。それならば、デバイスの中身を100%検証したい、しかも法的な証拠能力という点からも、アップルに依頼して得た間接情報ではなく、自分たちで解析したいという動機を持っているというのは理解できます。

 そのために、FBIはカリフォルニアの連邦地裁に要請して、アップルに対する「命令」を出させました。詳細に関してはアップル側の主張しか報じられていませんが、それによれば、FBIは押収したiPhoneに対して自動生成したパスコード候補を入力し続けた結果、「10回の誤入力により自動的にデバイスがロックされた」らしいのです。

 そこでFBIが要請したのは「自分たちが高速なマシンでランダムに生成したパスコードを、ヒットするまで無限に入力できるようにして欲しい」ということで、アップルによれば「現在はまだ存在しないiOSの別バージョンを作って、このデバイスだけロック解除がされるようにせよ」というのが、地裁命令の内容だというのです。

 アップルのティム・クックCEOは同社のウェブサイトに「An important message to our customers」という声明を発表し、「政府はアップルに対して、ユーザーのセキュリティを脅かす措置を取るように要求している」、「我々はこの命令に反対する。この事例をはるかに超えた影響が発生するおそれがあるからだ」と述べています。あわせて、国内外のユーザーに対して広範な議論を提起したいとしています。

 もちろん、クックCEOとしては「この事件に関しては、これまでも十分な捜査協力をしてきたし、自分たちにはテロリストに味方するという意図はまったくない」ということはハッキリさせての上です。

 クックCEOが特に強調しているのは「iPhoneへのバックドア(セキュリティを破って不正侵入するための裏口)を作るように要請」がされている点で、これは「危険」だと強く訴えています。「FBIや裁判所は、この事件に関する、そしてこの1台のiPhoneにアクセスするためだけの措置」としていますが、アップルは「それでは済まない」というのです。

 専門家によれば「このバックドアというのは、一旦コードが書かれてしまえば、それが悪用される危険性は巨大」だというのです。セキュリティの関係者の中には、ピンポイントの目的であっても「伝染性のある強毒性の生物兵器の株を使用することで、パンデミックの危険が発生するのと一緒」という声もあるそうです。

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 一見すると、FBIのことをアップルは信じていないようにも聞こえます。ですが、他でもないエドワード・スノーデンが「CIAやNSA」に「民間人SEとして派遣」されていたように、FBIのIT環境のセキュリティのレベルを信じろというのは難しいわけです。

 アップルの立場からすれば、現在のiOSというのは、単にコミュニケーションやウェブサーフィンの道具だけではなく、「Apple Pay」を使った非接触式の金融取引デバイス化が急速に普及しています。そして「Apple Watch」という腕時計型のデバイスを通じて、心拍数やエクササイズ記録の管理から将来的には血圧などのメディカル情報も扱うという「高度なプライバシー情報のマネジメント」を担うような開発も同時に進められているわけです。

 この戦略においては「政府の要請にも全面的には屈しない」というセキュリティの強さが、そのまま信頼につながるし、一旦その信頼が崩れたら、同社の今後のサービス提供計画のロードマップだけでなく、これからの人類におけるITの利便性も犠牲になってくる、そのぐらいの覚悟が背景にあると考えられます。

 また、仮にFBIと連邦地裁の命令に屈したとすると、例えば他国、それこそ中国やロシアの政府の命令に対して拒否することも難しくなるのだというのです。また、仮に今回の令状による命令が「判例化」してしまうと、アップルだけでなく、同業他社にも「一般論として政府にバックドアを提供する」ことが強制できることになります。この点に関しては、業界全体に強い警戒感があります。

 この問題は現在進行中の大統領選にも影響が出ています。例えば共和党のドナルド・トランプ候補は、アップルが声明を出した直後にコメントして「(アップルは)何様だと思っているんだ。裁判所の命令には従え」と吠えていましたし、共和党の候補の中では、すでに選挙戦から撤退したランド・ポール上院議員(リバタリアンの立場から個人のプライバシーへの政府の介入には反対)以外は、裁判所支持でまとまっているようです。

 一方で、民主党は割れており、下院議員の中にはアップル支持が多い一方で、上院の重鎮たち(例えばダイアン・ファインスタイン議員)は裁判所の命令を支持しています。ヒラリー・クリントン候補は、これまでの発言を総合するとファインスタイン議員の立場に近いはずですが、そう言明してしまうと「ただでさえ反発を受けている」若者票が完全に逃げてしまうので困っているようです。

 グーグルのピチャイCEOは17日に、アップルの姿勢に賛同するとツイートしていますが、その中で「この重要な問題については、思慮深く、そしてオープンな議論を期待したい」というメッセージを発信しています。賛否両論のある中で、広範な議論が持たれることを期待したいと思います。

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