中国の著名企業家で3700万人ものフォロワーがいる任志強氏のアカウントが、党と政府の批判を続けているとして閉鎖された。任氏は中国共産党員。党員としての発言の自由は、どこまで認められるのか? 彼の真意は?
当局がアカウントを閉鎖した理由
2月28日、国家インターネット情報弁公室は、新浪や騰訊など中国の大手ウェブサイトに対して、任志強氏のアカウントを閉鎖するよう命じた。「ユーザーは法と社会主義制度、国家利益の限度を守らなければならない」というのが理由だ。
【参考記事】習近平が振り回す「絶対権力」の危うさ
任志強氏は不動産会社の社長であると同時に、中国共産党員でもある。
しかし彼は常に中国共産党と中国政府の現状を激しく批判する言論を「微博(ウェイボー)」(中国式ツイッター)や「微信(ウェイシン)」(ウィーチャット、WeChat)などで展開してきた。
2月25日付の本コラム「メディア管理を強める中国――筆者にも警告メールが」に書いたように、習近平国家主席は中国共産党の総書記として、2月19日に党と政府の宣伝機関である人民日報社、新華社、中央テレビ局を訪問したあと、「重要講話」を発表している。
これに対しても任志強氏は咬みついた。
人民と党が二つの陣営に分かれてしまったのか? すべてのメディアには「党」という姓名があり、しかもそれは人民の利益を代表していない。人民は(党によって)忘れ去られ、捨て去られていく存在なのか? メディアは人民の利益を代表すべきだ。
おおむね、こういう趣旨の内容だが、ネットが燃え上がり次々に転載されていった。彼はネットユーザーに好まれ、「任大砲」というニックネームがついているほどだ。
すると官製メディアは「新メディア時代に、党のメディアが党の姓を名乗るのは政治の基本原則だ」として任志強氏の言論を攻撃。
【参考記事】香港「反中」書店関係者、謎の連続失踪──国際問題化する中国の言論弾圧
中国青年網なども、「任志強を党員の隊列から排除しなければならない」として論陣を張り、任志強氏の党籍を剥奪すべきだという主張がネットに数多く表れ始めた。これはまさに政府側に立ってコメントをネットに書き込む「五毛党」の仕業だろう。
こういう流れの中で2月28日に当局は任志強氏のアカウントを強制閉鎖させたわけである。
その夜、中央テレビ局微信が「言論の自由には法律の境界がなければならない」という見出しの評論を発表。それによれば――。
(概要)共産党員としての任志強のインターネットにおける言行は、党の紀律と規定による検査を受けなければならない。このことに関して主体的責任を有する党組織の関係者は、その職責を果たすよう期待する。
中国にはどのような組織にも「党組織」というのがあり、その組織が「正しく」運営されているか否かを常に検閲する義務を負っている。その長は、各組織の党書記だ。「各民営ウェブサイトの経営者も党紀を守らないと、どういうことになるか分かっているな?」という警告でもある。
年一回開催される全人代(全国人民代表大会、日本の国会に相当する立法機関)が目前に迫っている今、全人代を無事に開催閉幕まで持っていこうというのが、現時点での中国の最大の関心事だ。なんといっても、習近平政権になってからの初めての5カ年計画が始まる。だから言論空間は党と政府を擁護するものでなければ困る。
筆者に警告メールが来たのも、こういった流れの中の一環だろう。
党員として党の批判はどこまで許されるのか?
日本でも同じようなことが言えると思うが、ある党の党員が、自分が所属する党の批判をネットという公けの場で公開していくということが、どこまで許されるのだろうか?
【参考記事】中国の党と政府のメディアがSMAP解散騒動を報道する理由
たとえば我が国の自民党の場合を例に挙げてみよう。
自民党党員が自民党内の集まりで自民党のあり方に関する批判をするのは、これは「あり」だろう。そういう批判を受け入れる度量がなければ、その党は向上していかない。
しかし、その党員が自民党内部における集まりではなく、ネット空間で自民党の批判を公開したとしたら、どうだろうか?
きっと自民党本部から批判されて、「そういうことは党内でやってくれ。党外の一般国民に対して自民党の批判を広めていくのなら、党を脱退しろ」と言われるだろう。
任志強氏の場合も、中国共産党を脱退すればいいだろうと思うが、脱退せずに反政府反党言動を続けたのは、なぜなのだろうか?
中国には特殊な事情がある。一党支配体制にあること以外に、党の特殊な事情があるのだ。
江沢民は、総書記を辞任しなければならない時期に来た2002年、「三つの代表」を党規約の中に入れさせて、企業経営者(資本家)でも党員になっていいという規則を制定した。改革開放により人民は誰でも金儲けをしていいことになったので、中国経済の中枢を担う企業経営者を中国共産党側に引きつけなければ一党支配体制は危なくなると考え たわけだ。
そのときから「金と権力」の癒着が激化し、こんにちの腐敗天国を生むに至っているのだが、それを逆利用しようとしている資本家たちが中国にはいる。
中国のネット空間に出現した「資本翻天派」
その一派を「資本翻天派」と称する。
これはどういう意味かというと、企業経営者として大量の資本を集めたのちに、その資本を用いて政権に影響を与え、欧米型の「憲政の道」を歩ませようと世論を導いていく一派のことだ。「翻天」は文字通り「天を翻(ひるがえ)す」=「政権をひっくり返す」という意味である。
不動産会社社長である任志強氏は、まさにこの「資本翻天派」の一人だと、政府寄りのメディアは断罪している。
もし任志強氏が「資本翻天派」であるなら、それはそれで歓迎すべきだろう。
しかし、もう一つの見方ができる。
党に留まって党を批判するのは、中国共産党の本来あるべき姿を党員として求めているからであり、こういう人こそ、本当に党を愛し国を愛しているのではないかという見方だ。党規約や憲法に「人民のために服務」とか「人民こそが主人公」などと書いているが、それがいかに「空々しいスローガン」であるか、真の良心を持った党員としての彼の叫びではないだろうか。
党内で叫べば、必ず握りつぶされるので、新メディアという媒体を通して8900万人におよぶ中国共産党員に発信する。「三つの代表」によって資本家に権利を与えたのは、ほかならぬ党であるということを逆手に取っているのだ。
彼の主張は「中国共産党とは何か」という、最も根本的な問いでもある。
党籍をはく奪されるというインパクトも含めて、彼は中国という国と勝負しているのだと筆者には見える。
任志強氏の反骨精神を応援したい。
[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
≪この筆者の記事一覧はこちら≫
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
当局がアカウントを閉鎖した理由
2月28日、国家インターネット情報弁公室は、新浪や騰訊など中国の大手ウェブサイトに対して、任志強氏のアカウントを閉鎖するよう命じた。「ユーザーは法と社会主義制度、国家利益の限度を守らなければならない」というのが理由だ。
【参考記事】習近平が振り回す「絶対権力」の危うさ
任志強氏は不動産会社の社長であると同時に、中国共産党員でもある。
しかし彼は常に中国共産党と中国政府の現状を激しく批判する言論を「微博(ウェイボー)」(中国式ツイッター)や「微信(ウェイシン)」(ウィーチャット、WeChat)などで展開してきた。
2月25日付の本コラム「メディア管理を強める中国――筆者にも警告メールが」に書いたように、習近平国家主席は中国共産党の総書記として、2月19日に党と政府の宣伝機関である人民日報社、新華社、中央テレビ局を訪問したあと、「重要講話」を発表している。
これに対しても任志強氏は咬みついた。
人民と党が二つの陣営に分かれてしまったのか? すべてのメディアには「党」という姓名があり、しかもそれは人民の利益を代表していない。人民は(党によって)忘れ去られ、捨て去られていく存在なのか? メディアは人民の利益を代表すべきだ。
おおむね、こういう趣旨の内容だが、ネットが燃え上がり次々に転載されていった。彼はネットユーザーに好まれ、「任大砲」というニックネームがついているほどだ。
すると官製メディアは「新メディア時代に、党のメディアが党の姓を名乗るのは政治の基本原則だ」として任志強氏の言論を攻撃。
【参考記事】香港「反中」書店関係者、謎の連続失踪──国際問題化する中国の言論弾圧
中国青年網なども、「任志強を党員の隊列から排除しなければならない」として論陣を張り、任志強氏の党籍を剥奪すべきだという主張がネットに数多く表れ始めた。これはまさに政府側に立ってコメントをネットに書き込む「五毛党」の仕業だろう。
こういう流れの中で2月28日に当局は任志強氏のアカウントを強制閉鎖させたわけである。
その夜、中央テレビ局微信が「言論の自由には法律の境界がなければならない」という見出しの評論を発表。それによれば――。
(概要)共産党員としての任志強のインターネットにおける言行は、党の紀律と規定による検査を受けなければならない。このことに関して主体的責任を有する党組織の関係者は、その職責を果たすよう期待する。
中国にはどのような組織にも「党組織」というのがあり、その組織が「正しく」運営されているか否かを常に検閲する義務を負っている。その長は、各組織の党書記だ。「各民営ウェブサイトの経営者も党紀を守らないと、どういうことになるか分かっているな?」という警告でもある。
年一回開催される全人代(全国人民代表大会、日本の国会に相当する立法機関)が目前に迫っている今、全人代を無事に開催閉幕まで持っていこうというのが、現時点での中国の最大の関心事だ。なんといっても、習近平政権になってからの初めての5カ年計画が始まる。だから言論空間は党と政府を擁護するものでなければ困る。
筆者に警告メールが来たのも、こういった流れの中の一環だろう。
党員として党の批判はどこまで許されるのか?
日本でも同じようなことが言えると思うが、ある党の党員が、自分が所属する党の批判をネットという公けの場で公開していくということが、どこまで許されるのだろうか?
【参考記事】中国の党と政府のメディアがSMAP解散騒動を報道する理由
たとえば我が国の自民党の場合を例に挙げてみよう。
自民党党員が自民党内の集まりで自民党のあり方に関する批判をするのは、これは「あり」だろう。そういう批判を受け入れる度量がなければ、その党は向上していかない。
しかし、その党員が自民党内部における集まりではなく、ネット空間で自民党の批判を公開したとしたら、どうだろうか?
きっと自民党本部から批判されて、「そういうことは党内でやってくれ。党外の一般国民に対して自民党の批判を広めていくのなら、党を脱退しろ」と言われるだろう。
任志強氏の場合も、中国共産党を脱退すればいいだろうと思うが、脱退せずに反政府反党言動を続けたのは、なぜなのだろうか?
中国には特殊な事情がある。一党支配体制にあること以外に、党の特殊な事情があるのだ。
江沢民は、総書記を辞任しなければならない時期に来た2002年、「三つの代表」を党規約の中に入れさせて、企業経営者(資本家)でも党員になっていいという規則を制定した。改革開放により人民は誰でも金儲けをしていいことになったので、中国経済の中枢を担う企業経営者を中国共産党側に引きつけなければ一党支配体制は危なくなると考え たわけだ。
そのときから「金と権力」の癒着が激化し、こんにちの腐敗天国を生むに至っているのだが、それを逆利用しようとしている資本家たちが中国にはいる。
中国のネット空間に出現した「資本翻天派」
その一派を「資本翻天派」と称する。
これはどういう意味かというと、企業経営者として大量の資本を集めたのちに、その資本を用いて政権に影響を与え、欧米型の「憲政の道」を歩ませようと世論を導いていく一派のことだ。「翻天」は文字通り「天を翻(ひるがえ)す」=「政権をひっくり返す」という意味である。
不動産会社社長である任志強氏は、まさにこの「資本翻天派」の一人だと、政府寄りのメディアは断罪している。
もし任志強氏が「資本翻天派」であるなら、それはそれで歓迎すべきだろう。
しかし、もう一つの見方ができる。
党に留まって党を批判するのは、中国共産党の本来あるべき姿を党員として求めているからであり、こういう人こそ、本当に党を愛し国を愛しているのではないかという見方だ。党規約や憲法に「人民のために服務」とか「人民こそが主人公」などと書いているが、それがいかに「空々しいスローガン」であるか、真の良心を持った党員としての彼の叫びではないだろうか。
党内で叫べば、必ず握りつぶされるので、新メディアという媒体を通して8900万人におよぶ中国共産党員に発信する。「三つの代表」によって資本家に権利を与えたのは、ほかならぬ党であるということを逆手に取っているのだ。
彼の主張は「中国共産党とは何か」という、最も根本的な問いでもある。
党籍をはく奪されるというインパクトも含めて、彼は中国という国と勝負しているのだと筆者には見える。
任志強氏の反骨精神を応援したい。
[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
≪この筆者の記事一覧はこちら≫
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)