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中国政治犯の名前が駐米中国大使館の所在地名に

ニューズウィーク日本版 2016年3月8日 17時0分

 米上院本会議はこのほど、首都ワシントンにある駐米中国大使館の立つ一角を、ノーベル平和賞を受賞した中国の「獄中の人権活動家」劉暁波(リウ・シアオポー)にちなんだ「劉暁波プラザ」に改称する法案を全会一致で可決した。中国政府に人権状況の改善を促す狙いだという。法案は、米大統領選の共和党指名候補を争う保守強硬派のテッド・クルーズ上院議員が提案したものだ。

 クルーズは可決を受け、「アメリカは中国の人権弾圧に手を貸すべきではない。一緒に立ち向かってくれる同僚の議員たちに感謝する」との声明を発表。中国大使館の所在地を「劉暁波プラザ1番地」とすることを定めた法案では、道路標識も改称するように定められている。

 劉は2010年、国家政権転覆扇動罪で懲役11年の実刑判決を受けた。同年のノーベル賞受賞後も、獄中に拘束されたまま今日に至っている。中国では彼のほかにも大勢の人権擁護や立憲政治を訴える弁護士、少数民族の権利を主張する活動家らが政治犯として不当に監禁されている。

 大使館前の地名をその本国で政治犯として抑圧されている代表的人物の名に変えて、地位の改善を訴える例は以前にもあった。80年代のソ連大使館前の「アンドレイ・サハロフプラザ」だ。ソ連大使館宛ての郵便物にはいやでもソ連にとって都合の悪い人物名の付いた地名を書かないと届かないという、政治的なプレッシャーだった。ソ連はあっけなく崩壊してしまったので、サハロフプラザが発揮した威力は不明だが。

 アメリカの超党派議員たちは30数年前と同様な効果を期待しているようだが、中国は反発を強めている。中国外務省の洪磊(ホン・レイ)副報道局長は記者会見で、「米上院の運動に断固反対する」と表明し、法の執行を停止するよう求めた。

 一見したところ主権国として正当な主張を唱えているようだが、実は中国自身にも「前科」がある。66年5月に文化大革命が発動されて間もなく、中国外務省が置かれていた北京市東交民巷という街を「反帝路」に改称した。いわば、中国外務省に「反帝国主義」の総本部といった政治的な意義を与えたわけだ。ここでいう「帝国主義」とはアメリカの政治姿勢を指す。

 また、北京にあるソ連大使館前の揚威路も「反修路」に変えられた。中国は当時、ソ連を社会主義の道から外れた「修正主義国家」と罵倒していたからだ。中国や日本の「進歩的知識人」らの間で人気の高い周恩来首相も同年9月に談話を発表し、「ソ連大使館前の地名を反修路に変えたのは素晴らしい」と地名変更を称賛した。

軽視されるウィーン条約

「反帝」「反修」と反米反ソの双方を掲げていた中国は「世界革命のセンター」を自任。世界に革命思想を輸出して内政干渉を行っていたが、真の国際的な友人はできなかったようだ。

 大使館の威厳は国際的にウィーン条約によって守られているが、受け入れ国の中には条約の精神を守らない例もある。韓国の首都ソウルの日本大使館前に設置された、「慰安婦」を象徴する少女像もその1つだ。少女像を拠点に、毎週のように反日の政治的な集会が開かれている。

 また、12年に沖縄県尖閣諸島が国有化されると、中国で大規模な反日運動が勃発。厳重に警備された在北京日本大使館も「憤青(フェンチン)」(憤怒した愛国青年)らに連日包囲されていたのを、私は向かいの日系ホテルから眺めていたものだ。

 直近では、イランの首都テヘランで発生したサウジアラビア大使館焼き打ち事件も一例といえよう。国同士が政治的に対立すると、大使館は相手国の前哨基地であるかのように攻撃されてしまう。ただイランとサウジ両国は事態を悪化させて「第三次大戦」の導火線に火を付けるようなまねはしなかった。

 一方、国内に困難な政治問題を抱え、周辺国と深刻な領土問題に直面する東アジアの「愛国人士」らがナショナリズムにあおられ、他国の大使館を再び包囲しないという保証はない。

[2016.3. 8号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)

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