日本の一部中国研究者は、今年の全人代政府活動報告に習近平を讃える言葉が少なかったため習近平が李克強に不満を抱いたとしているが、あまりに現実を知らな過ぎる誤読だ。起草課程に関する根本的知識を指摘したい。
日本の一部チャイナ・ウォッチャーの誤読
日本には、今年の全人代における李克強国務院総理による政府活動報告の中で、習近平国家主席に対する賞賛が足りなかったために習近平が激怒したなどと書いている中国研究者がいる。その理由として習近平を「核心」と呼ぶ回数が少なかったからと解説している。
日本の中国観は、こういうゴシップ的報道を好む傾向にある。これをただ単なる「娯楽」として楽しんでいるというのなら、それは個人の趣味の問題で、自由と言えば自由だ。
しかし、それらはやがて、中国を分析して日本の経済界や外交分野などにおける政策に、それとなく心理的に影響をもたらし、日本に不利な形でも戻ってくるので、誤読による中国分析は日本国民にとっていい結果をもたらさない。
客観的事実を冷静にとらえて上で、ビシッと批判する方が中国を正確に批判あるいは分析することができ、それはやがて日本国民にプラスの方向で戻ってくるので、ここでは政府活動報告が、どういう過程で起草され完成されていくのかに関して、基本をご紹介したい。
政府活動報告作成に関する法規
全人代における政治活動報告作成に関しては、法規的に厳格に制限を受けた規定が中国にはあり、必ず「国務院研究室」が起草から完成までを担当しなければならない。ただし、国務院研究室のスタッフだけではなく、国務院研究室を中心として中央行政省庁の国家発展改革委員会、国家財政部あるいは中央銀行などの代表からなる「政府活動報告起草組」が、報告書起草に当たる。
起草組の委員は毎年30名から40名により構成される。
中央経済工作会議が終わった後に起草に取り掛かる。中央経済工作会議は、中共中央政治局常務委員(チャイナ・セブン)以外に、中共中央政治局委員、中央書記処書記、全人代常務委員会委員などから成る大きな会議だ。
会議後、3、4カ月をかけて起草案を作成する。
起草組は毎年4回以上の大きな会議を開き、何回にもわたる小討論会を開いて、最終的に起草案を決定する。
でき上がってきた起草案の修正に関しては、国務院総理(現在は李克強)のみならず、必ず国家主席および中共中央総書記(現在は両方とも習近平)が目を通して最終決定をしなければならない。それ以外にも最近ではネットを通して「人民の意見」を求めるという形も採っている。
以上が全人代における基本的な流れである。
報告書内容に最終決定権を持っているのは習近平総書記
以上のプロセスを経て、ようやく起草案ができ上がるのだが、完成までにはなお多くのプロセスがある。
今年の場合、上記4回の大きな会議は、習近平と李克強によって主催されている。
一つ目は、1月6日に李克強国務院総理が開催した第118回国務院常務委員会で、二つ目は1月14日に「習近平総書記」が主宰した中共中央政治局常務委員会会議で、この会議が最高決定権を持つ。
つまり、李克強は国務院総理として国務院(中国政府)側の立法機関である全人代における政府活動報告に対して直接の責任を負わなければならないが、その内容の是非に関して、より高位の指摘を行なうのは、習近平総書記なのである。
1月14日に習近平が主催したのは、フルネームで書けば「中国共産党中央委員会政治局常務委員会」だ。
これこそは、中国における最高意思決定機関で、「中国共産党中央委員会(中共中央)」であることに注目しなければならない。
だから、1月14日に会議を主宰した時の習近平の肩書は「習近平総書記」すなわち「中国共産党中央委員会・習近平総書記」であって、「習近平国家主席」ではない。
このことは非常に重要だ。
この時点で、習近平が中国共産党中央委員会の総書記として、「全人代における政治活動報告書に対して最終決定」をするのである。
ここで習近平総書記が行った最終修正に関しては、絶対に覆してはならない。
なぜなら中共中央政治局常務委員会は、中国の最高意思決定機関だからだ。
このような中国政治の基本中の基本も知らずに、「習近平に対する賞賛の言葉が政治活動報告書の中に少なかったので、習近平が激怒した」などという、あり得ないゴシップを書いて喜んでいるのは、如何なものか。これではまるで、全人代で初めて習近平が政治活動報告の内容を知ったようで、このような誤読は、日本国民の中国全体へ誤読を招き、日本国民にとって有利な状況をもたらさない。
習近平の「核心化」は軍事大改革のため
この一連の誤読の中で、習近平への賞賛の言葉の象徴として、「核心」という言葉を使う回数が少なかったからとしているが、「核心」に関しても誤読しているのは、更に好ましくない。
2月10日付けの本コラム<習総書記「核心化」は軍事大改革のため――日本の報道に見るまちがい>で書いたように、習近平が各省幹部に「核心化」を言わせ始めたのは軍事大改革のせいである。 それまでの軍区の指令員だった者などが、軍区撤廃による不満を持つ。最も危険なのは、軍事大改革前まで絶大な力を持っていた総参謀部など4大総部の撤廃に対する不満だ。
しかし習近平政権としては北朝鮮問題や南シナ海問題などに迅速に対応するため、どうしてもこの軍事大改革を断行しなければならなかった。そのため軍事的指揮系統に関して、習近平を中心に求心力を高めなければならないのだ。なんと言っても、この軍事大改革で習近平は「軍の最高司令官」になったからである。
「核心化」を、習近平の名誉欲のためのごとく説明するのは、中国の軍事戦略を見誤らせるという、日本国民にとっては決定的な不利益をもたらす。そのような甘いものではないこともまた、肝に銘じてほしい。
日本の一部のメディアも中国研究者も、「日本人にとって耳触りのいいこと」を発信しようとする傾向にある。その方が視聴率が取れるし、また研究者の方も注目を集めることができると望むからだろう。この傾向は、「可愛いのは自分であって、真に日本国民を大切だとは思っていない」という姿勢が招いたものではないだろうか。気持ちは分からないではないが、こういった現象を、日本国民のために憂う。
[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
日本の一部チャイナ・ウォッチャーの誤読
日本には、今年の全人代における李克強国務院総理による政府活動報告の中で、習近平国家主席に対する賞賛が足りなかったために習近平が激怒したなどと書いている中国研究者がいる。その理由として習近平を「核心」と呼ぶ回数が少なかったからと解説している。
日本の中国観は、こういうゴシップ的報道を好む傾向にある。これをただ単なる「娯楽」として楽しんでいるというのなら、それは個人の趣味の問題で、自由と言えば自由だ。
しかし、それらはやがて、中国を分析して日本の経済界や外交分野などにおける政策に、それとなく心理的に影響をもたらし、日本に不利な形でも戻ってくるので、誤読による中国分析は日本国民にとっていい結果をもたらさない。
客観的事実を冷静にとらえて上で、ビシッと批判する方が中国を正確に批判あるいは分析することができ、それはやがて日本国民にプラスの方向で戻ってくるので、ここでは政府活動報告が、どういう過程で起草され完成されていくのかに関して、基本をご紹介したい。
政府活動報告作成に関する法規
全人代における政治活動報告作成に関しては、法規的に厳格に制限を受けた規定が中国にはあり、必ず「国務院研究室」が起草から完成までを担当しなければならない。ただし、国務院研究室のスタッフだけではなく、国務院研究室を中心として中央行政省庁の国家発展改革委員会、国家財政部あるいは中央銀行などの代表からなる「政府活動報告起草組」が、報告書起草に当たる。
起草組の委員は毎年30名から40名により構成される。
中央経済工作会議が終わった後に起草に取り掛かる。中央経済工作会議は、中共中央政治局常務委員(チャイナ・セブン)以外に、中共中央政治局委員、中央書記処書記、全人代常務委員会委員などから成る大きな会議だ。
会議後、3、4カ月をかけて起草案を作成する。
起草組は毎年4回以上の大きな会議を開き、何回にもわたる小討論会を開いて、最終的に起草案を決定する。
でき上がってきた起草案の修正に関しては、国務院総理(現在は李克強)のみならず、必ず国家主席および中共中央総書記(現在は両方とも習近平)が目を通して最終決定をしなければならない。それ以外にも最近ではネットを通して「人民の意見」を求めるという形も採っている。
以上が全人代における基本的な流れである。
報告書内容に最終決定権を持っているのは習近平総書記
以上のプロセスを経て、ようやく起草案ができ上がるのだが、完成までにはなお多くのプロセスがある。
今年の場合、上記4回の大きな会議は、習近平と李克強によって主催されている。
一つ目は、1月6日に李克強国務院総理が開催した第118回国務院常務委員会で、二つ目は1月14日に「習近平総書記」が主宰した中共中央政治局常務委員会会議で、この会議が最高決定権を持つ。
つまり、李克強は国務院総理として国務院(中国政府)側の立法機関である全人代における政府活動報告に対して直接の責任を負わなければならないが、その内容の是非に関して、より高位の指摘を行なうのは、習近平総書記なのである。
1月14日に習近平が主催したのは、フルネームで書けば「中国共産党中央委員会政治局常務委員会」だ。
これこそは、中国における最高意思決定機関で、「中国共産党中央委員会(中共中央)」であることに注目しなければならない。
だから、1月14日に会議を主宰した時の習近平の肩書は「習近平総書記」すなわち「中国共産党中央委員会・習近平総書記」であって、「習近平国家主席」ではない。
このことは非常に重要だ。
この時点で、習近平が中国共産党中央委員会の総書記として、「全人代における政治活動報告書に対して最終決定」をするのである。
ここで習近平総書記が行った最終修正に関しては、絶対に覆してはならない。
なぜなら中共中央政治局常務委員会は、中国の最高意思決定機関だからだ。
このような中国政治の基本中の基本も知らずに、「習近平に対する賞賛の言葉が政治活動報告書の中に少なかったので、習近平が激怒した」などという、あり得ないゴシップを書いて喜んでいるのは、如何なものか。これではまるで、全人代で初めて習近平が政治活動報告の内容を知ったようで、このような誤読は、日本国民の中国全体へ誤読を招き、日本国民にとって有利な状況をもたらさない。
習近平の「核心化」は軍事大改革のため
この一連の誤読の中で、習近平への賞賛の言葉の象徴として、「核心」という言葉を使う回数が少なかったからとしているが、「核心」に関しても誤読しているのは、更に好ましくない。
2月10日付けの本コラム<習総書記「核心化」は軍事大改革のため――日本の報道に見るまちがい>で書いたように、習近平が各省幹部に「核心化」を言わせ始めたのは軍事大改革のせいである。 それまでの軍区の指令員だった者などが、軍区撤廃による不満を持つ。最も危険なのは、軍事大改革前まで絶大な力を持っていた総参謀部など4大総部の撤廃に対する不満だ。
しかし習近平政権としては北朝鮮問題や南シナ海問題などに迅速に対応するため、どうしてもこの軍事大改革を断行しなければならなかった。そのため軍事的指揮系統に関して、習近平を中心に求心力を高めなければならないのだ。なんと言っても、この軍事大改革で習近平は「軍の最高司令官」になったからである。
「核心化」を、習近平の名誉欲のためのごとく説明するのは、中国の軍事戦略を見誤らせるという、日本国民にとっては決定的な不利益をもたらす。そのような甘いものではないこともまた、肝に銘じてほしい。
日本の一部のメディアも中国研究者も、「日本人にとって耳触りのいいこと」を発信しようとする傾向にある。その方が視聴率が取れるし、また研究者の方も注目を集めることができると望むからだろう。この傾向は、「可愛いのは自分であって、真に日本国民を大切だとは思っていない」という姿勢が招いたものではないだろうか。気持ちは分からないではないが、こういった現象を、日本国民のために憂う。
[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)