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階層、意思決定、時間感覚......インド事業の文化の壁

ニューズウィーク日本版 2016年4月6日 17時58分

 インドは世界最古の文明を有する国の一つだ。そして新しいものと古いものが複合的に混ざり合うとともに東西文化が一つに練り込まれている。強固で安定した民主主義体制、10億人の人口の半分以上が35歳未満という国としての若さ、起業家精神の浸透と国内需要の高さなど、この国のメリットはたくさんある。加えてインド人は自立心が強く、投資意欲も旺盛だ。世界トップクラスの億万長者に数えられるインド人の多くが、その業態で最高ランクに入るような企業を設立している。だがそんなインドにも、他の国と同様、進出企業が考慮すべき「文化の違い」がある。

 インドは1947年に英国から独立。1950年に共和国となり、その頃から経済発展のための政策を進めていった。他の途上国とは異なり国内市場が強いインドでは、輸出のほかに輸入代替(本来輸入しなければならない品の一部または全部を国内生産すること)に力を入れてきた。そして独立後の40年間、国内の各企業は「ライセンス・ラジ」と呼ばれるシステムのもと事業を行った。これは政府が企業にライセンスを与えて経営を許可するものだ。

 こうしたきわめて保護主義的な国家の姿勢のおかげで、国内企業は生き残っていくことができた。たとえ生産効率が悪くても、企業間の競争がほとんどなかったからだ。

 しかし、1990年に政府はアプローチを変えた。「LPGization」と呼ばれるオープンな方向性へ舵を切ったのだ。「LPGization」とは、「Liberalization(自由化)」「Privatization(民営化)」「Globalization(グローバル化)」の略である。これによって、将来を見越したインドの国内企業は、よりグローバルな動き方をするようになった。欧米の多国籍企業とも競争しながら、国外でも受け入れられる製品の生産をめざし始めたのだ。

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 それに伴い、海外に流出していたたくさんの若いインド人たちが帰国するようになった。彼らは新しいビジネスのアイデアを持っており、いわば「逆・頭脳流出」の流れが出てきたのである。

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小さな路面店から多国籍の大企業まで、大多数が家族経営

 社会学者によれば、インドは権力格差指標(PDI:組織内で下位の者が上位の者にどれだけ素直に従うかを測る指標)が高い数値を示す国の一つだ。PDIの高さは不平等が存在することをそのまま証明するものではない。だが、最下層(あるいはトップ層)の人々がいかに不平等を容認し、当然のこととみなしているかを知る目安にはなる。



 最下層とトップ層がどのくらい違うか(またその不平等がどれほど社会的に容認されているか)を知るのは簡単だ。ムンバイでは、大富豪が20億ドルをかけて建てた27階建ての自宅のすぐ外に、職を失って路上生活をするホームレスの家族を見ることができる。ムンバイは2000万人が住む大都市だが、月収が150ドルに満たない人がたくさん暮らしている。インドでビジネスをするには、これほどのスケールで不平等が存在することを頭に入れておく必要がある。

 インド人は(かつての宗主国である)英国の階級制度の伝統を引き継いでいる。それゆえ同じ会社の従業員同士の関係も上下関係を意識した形式ばったものになりやすい。部下が上司のことを当たり前のように「sir」「madame」(※いずれも身分制度の中で「ご主人様」に当たる最上級の敬称)と呼んだりする。加えてヒンドゥー教とカーストの影響もある。階層的な上下関係を重視する文化が確立しているのだ。

 インドの仕事では「公式のチャネルを通す」ことが非常に重視される。たとえば、許可申請に迅速に対応してほしいと思ったら、提出先の担当部局内部の階層構造を調べてみるといい。階層に十分配慮して事を運べば、仕事がより速く進むはずだ。学校の生徒は教師のことを「グル(※ヒンドゥー教の導師の呼称)」と呼び、仕事上の「ボス」には最大級の責任と権力が集中していると見なされる。部下が(一つ一つの仕事について)許可を求めることが、上司への敬意を表すことになる。

 階級制度は、家父長制のもとにある「家族」の中にも見られる。家族の絆がインドという国をまとめているといっても過言ではない。インド人は、あらゆる面で家族を頼る。重要な決定をする際には必ず家族の中の年長者にはかり、承認を得なければならない。インドではいくつもの世代が同居するのが普通だ。そういった環境で育ったインド人は、日常生活だけでなくビジネスにおいても人間関係に価値を見出すようになるのだ。

 インドで事業を展開するにあたっては、家族経営の仕組みを理解することが課題の一つといえるだろう。インドの企業は、小さな路面店から多国籍の大企業まで、大多数が家族経営だ。

 インドの企業は、本当の意思決定者が誰なのかがわかりづらいこともある。「グループ・プレジデント」やら「マネージング・ディレクター」やらの肩書きは、あまり意味をなさない。これは、企業が上場し、新しいルールのもとにガバナンスが行われるようになったとしても変わらない。本当の意思決定者を探し出す努力は続けるべきなのだ。



ヒンディー語の「kal」は「明日」と「昨日」を意味する

「インドは輝いている」が誇大表現だとしても、インドにはたくさんの「成功するためのポケット」が存在する。だが障害物も数知れない。

 インドのジョークに「一度法廷に足を踏み入れたら、(その訴訟は)孫の代まで続く」というものがある。インドでも銀行などには、しっかりとした厳しい規制の仕組みがつくられている。それは2008年の金融危機の際に国家を維持するのに貢献した。しかしながら、インドの法体系には、ビジネスに公平な機会を保証しない側面もある。

 インドでは契約書の内容をそのまま信じるわけにはいかない。インドの人々の多くは「あらゆることはその時々の事情があって起こる」と考えがちで、それが意思決定やプロセス決定に大きな影響を与えるからだ。最終決定に至るまでには、さまざまな権限をもつ人たちが関わるために時間がかかるのが普通だ。

 予定より遅れるのは当たり前。とくに政府が絡む仕事では顕著だ。先日私は、太陽光発電で航行する飛行機の世界初飛行をインド国内の着陸スポットまで見に行った。たくさんのメディアで取り上げられた鳴り物入りのイベントだったが、その日は見ることがかなわなかった。それどころか1週間経っても飛行機は一向に飛ばない。多くの人は雨のせいで飛ばないのだと思っていたが、遅れの真の理由は別のところにあったようだ。書類作成に手間と時間がかかり、当初のスケジュールを意味のないものにしてしまったのだ。税務当局が問い合わせの回答に1年かかった例もある。

 ヒンディー語の「kal」という単語は、「明日」と「昨日」の両方を意味する。インド人の時間のとらえ方は独特だ。欧米の考え方では、時間は一本の線のように流れる。物事は始まりから終わりまで、ロジカルに進行する。ところがインド人にとっての時間は、日常生活に適合させるために"曲げられる"ものだ。アポイントや締切は流動的なものと考えた方がいい。インド人は、平気で遅刻したり、話が脇道にそれたり、突然会いたがったり、好きなだけ時間をかけてもいいと言ってきたり、プロジェクトに余分な時間をかけてもそれを大したことないと捉えたりする。こうしたことに慣れ、忍耐力を養うことができれば、フラストレーションを避けることができるだろう。

[執筆者]
ニヒル・ラバル Nikhil Raval
インド・アフマダーバードにあるDuke Corporate Educationの代表取締役社長。ミシガン州立大学で金融学、カリフォルニア州立大学で戦略的経営学を学び、アメリカン・エキスプレス、チャールズ・シュワブ等を経て、現職。

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※当記事は「Dialogue Q1 2016」からの転載記事です





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