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4.3億回、中国人に再生された日本人クリエイター

ニューズウィーク日本版 2016年4月11日 16時12分

 最近、中国では「自媒体」という言葉が流行している。「セルフメディア」の訳語で、要するにSNSや動画を駆使し、影響力を持つようになった個人を意味している。「網紅」(ネット有名人)という表記のほうがわかりやすいかもしれない。

 日本でもYouTubeを使ってセルフメディア化した「ユーチューバー」が話題になっているが、それと同じだ。ただし、中国の自媒体を取り巻く環境は、日本のそれとは比べものにならないほどで、すでに巨大な生態系を構成している。

*検閲により中国からYouTubeにはアクセスできないため、中国では優酷など国産動画サイトが活用されている。本記事では読者の理解を優先して「中国版ユーチューバー」と表記する。

融資総額10億円に達する「自媒体」ブーム

 中国の自媒体ブームを象徴するのが「PAPI醤」(醤は日本語の「ちゃん」の当て字。「PAPIちゃん」の意)だ。2015年10月からショートコントのようなネット動画を公開するようになった、一見地味でおやじっぽい若い女性だが、わずか半年で中国トップクラスの「網紅」にのし上がった。

 その媒体価値が認められ、2016年3月にベンチャーファンドから1200万元(約2億1000万円円)の融資を受けたが、その際に彼女の評価額は1億2000万元(約21億円)と算定されている。わずか半年の間に、たった一人で評価額20億円のメディア企業を作り上げてしまったわけだ。

 ベンチャーファンドの投資を受けたのはPAPI醤だけではない。中国メディア・投資界の報道によると、今年1~3月に融資を受けた自媒体は30を超え、融資総額は5830万元(約10億円)に達している。また自媒体への投資を目的としたベンチャーファンドが続々誕生するなど活況を呈している。

 この自媒体人気はいわゆる「コンテンツ・バブル」の一環だ。製造業や不動産投資の成長率が鈍化するなか、中国のマネーは今、コンテンツに流れ込んでいる。ドラマ放映権や小説ドラマ化権はこの2年で10倍に跳ね上がったと伝えられる。2月には手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』が中国でリメイクされると報じられたが、日本をはじめとする海外コンテンツのリメイク権も投資の対象となっている。

【参考記事】海賊版天国だった中国が『孤独のグルメ』をリメイクするまで



上海で中国語を勉強しながら「中国版ユーチューバー」に

 日本人でありながら、この投資マネーがうずまく中国「自媒体」業界で活躍している人物がいる。山下智博さんだ。北海道小樽市出身、1985年生まれの30歳。北海道で団体職員として働いていたが、2012年9月に仕事をやめて上海に移住した。2013年にラブドールの"彼女"との生活を描いた動画・ウェブドラマ「日本屌絲」を制作、中国版ニコニコ動画とも言うべき「ビリビリ動画」などに発表して一躍人気を博した。

 2014年12月からは、ウェブ番組「紳士の一分間」を制作、日々更新するようになり、累計再生回数は4億3000万回を超えたという(2016年4月時点)。日本の面白いニュース、製品、観光地、トレンドの紹介などをテーマにした5分未満の番組で、日本のユーチューバーと同じく、自らが出演し、視聴者に語りかけるスタイル。先述の「ビリビリ動画」(チャンネル登録者数は78万人とのこと)だけでなく、優酷や美拍など複数の動画サイトにアップしている。中国版ツイッター「微博」のフォロワー数は今や63万人にも上る。

ウェブ番組「紳士の一分間」


 この山下さん、3月には北海道のドラッグストアチェーン「サッポロドラッグストアー(サツドラ)」を紹介するウェブドラマを発表するなど、今や日中の企業から媒体価値を認められる存在となっている。3月下旬、取材・撮影などのため帰国した山下さんに、中国の自媒体ブームについて話を聞いた。

北海道のドラッグストアチェーン「サツドラ」を紹介するウェブドラマ


――中国版ユーチューバーとして活動し始めるきっかけは?

「(上海に渡ってから)微博をやっていたんですが、日本のことをよく質問されたんです。下ネタを含めてなんでも書き込んでいたので、面白がってもらえたんでしょうね。ただ同じ質問が何度も来るようになったので、動画に切り替えてみようと思いました。図や写真を使って説明したりするとより分かりやすいですし」

――今の自媒体ブームをどう思われますか?

「正直、出遅れたという思いはあります。僕が中国に来た時には既にネット動画はかなり盛り上がっていたので、もう1年くらい早く始めていたかったですね。ただ、動画をやれるぐらいの語学力をまずは身につける必要があったので。自媒体ですが、テレビよりもネットのほうがリアリティーがあるという点では、中国も日本も同じではないでしょうか。でも、中国には日本の深夜番組のようにディープな若者向けのテレビ番組がありません。そこをネットが担っているという点で広がりが大きいと感じます」



――中国の言論統制や検閲などの障害を感じたことはありますか?

「実はまったくないんです。ダメなことと大丈夫なことの間には明確なラインがありますから、そこを踏み越えなければ危険はありません。僕のような人間が政治について話すことに意味はないと思いますし、中国に住んでいる以上は中国のレギュレーションに従いつつ、その中でできることを探しています」

【参考記事】中国ドラマ規制リスト:学園ドラマも刑事ドラマも禁止!

――山下さんの動画が中国人に響いている理由はなんでしょうか?

「必要なのは相手を理解する態度です。外国人が秋葉原で日本文化にドハマリしていたら、日本人として嬉しいじゃないですか。同様に僕も中国の若者の生活や文化をしっかり理解したいなという思いで活動しています。ファンは毎日、僕の動画を見てくれているわけで、中国語が少しずつ上達したりという成長も見てくれている。以前にファンレターをもらったことがあるのですが、最初は変な日本人とだけ思っていたのが次第に身近に感じるようになったと書いてあって、嬉しかったですね」

――視聴者の年齢層や具体的な見せ方に関して、日本と中国では異なるのではないでしょうか?

「僕の場合は、大学生ぐらいをメインの視聴者層と考えています。(視聴者は)自分より少し上の年齢ぐらいの人間に親しみを覚えると思うんです。見せ方の話で言いますと、中国版ユーチューバーはすごいスピードでしゃべるんですよ。爆発的人気のPAPI醤は、たぶん撮影した動画を1.2倍速ぐらいにして公開していますね。簡単なことと思うかもしれませんが、すごい発明だと思いました。中国のネット動画は30分ぐらいの長いものが中心でしたが、今では短いものが主流になっています。『万万没想到(想像もつかなかったが)』というネットドラマがヒットしたのが転換点になったと思います」

『万万没想到』とは、2013年に公開されたネットドラマ。日本アニメ『ギャグマンガ日和』の海賊版吹き替えで声優を務めたメンバーが主演している。この海賊版吹き替えは、日本版アニメに由来する超高速の台詞と、中国の東北弁をまじえた翻訳で爆発的な人気を博し、数々の流行語を生み出した。中国版ユーチューバーのスタイルの源流をたどると、日本アニメ(の海賊版)に行きつくというわけだ。

 便宜上「中国版ユーチューバー」と呼んでいるが、実際に動画を見てもらえれば――テレビ局ほどではないにしろ――日本のユーチューバーと比べて制作レベルがかなり高い水準にあることがわかるだろう。ビジネスとして活況を呈するなかで、投資も集まり、レベルが劇的に向上している。日本でもユーチューバーの媒体価値が高まるにつれ、中国同様の変化が起きていくのではないか。



自媒体バブルの崩壊を危惧する声も

――今後の目標について教えてください。

「ミニテレビ局のような存在になりたいですね。もっと他の人にも出演してもらって、自分のチャンネルに自分が出演しない番組があってもいいんじゃないかな、と。せっかく中国のネット上に生まれた日本に特化したチャンネルなので、自分だけのものにはしたくないんです。いろんな人が僕のチャンネルを利用して日本の情報を発信できるような仕組みができればいいなと思っています」

 なにごともスピードが速い中国では、メディアのネットシフトのペースも日本以上だ。テレビや雑誌、新聞の広告費は経済成長に伴い順調に成長してきたが、2014年からはネットに食われてマイナスに転じている。しかも、そのネットにおいても、大手メディア以上に注目を集めているのが自媒体なのだ。人柄が伝わる個人のほうが信頼できると考えるネットユーザーが多いためだという。

 その意味では、山下さんが目指すミニテレビ局化は、個人のキャラクターと信頼性を売りにしてきた自媒体としての価値に反する部分があるのではないか。個人として勝ち得た信用を守りながら、いかにして媒体価値を発展させていくかが課題だろう。

 実際、自媒体業界では過度な商業化の反動が危惧されている。先日、日本に住む中国人網紅の一人、「林萍在日本」さんに話を聞いたが、「自媒体バブルは2年以内に崩壊する」と断言していた。投資マネーが流入するなか、お金につられてニセモノや粗悪品の宣伝に手を出す網紅が多いのが現状だ。視聴者にこの状況が伝われば、信頼性は失われるとの指摘だった。

 林萍在日本さんも、自身のブランド価値を守るため依頼された仕事を断るケースが多いと話していたが、自媒体業界全体として悪評が高まれば影響は免れられない。

"爆買い"に象徴されるように中国人向けセールスの重要性が高まっているなか、自媒体はきわめて重要なプロモーション・ツールだ。その未来は日本企業にとって無関心ではいられない問題ではないだろうか。

【参考記事】銀座定点観測7年目、ミスマッチが目立つ今年の「爆買い」商戦

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。

高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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