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大卒の価値が徐々に低下する日本社会

ニューズウィーク日本版 2016年4月12日 15時30分

 日本は「学歴社会」と言われている。学歴社会とは、富や地位の配分に際して学歴が影響する度合いが高い社会のことだ。

 日本の場合、25~34歳の高卒就業者の賃金を100とすると、同年齢の大卒就業者の賃金は144(2012年)となり、大卒の給与は高卒の1.4倍多い。しかしこの相対値がもっと高い国もあり、アメリカは170、南米のチリでは261にもなる。大学進学率が低いチリでは、大卒者の希少価値が高いからだ。

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 一方、学歴による差がほとんどない国もある。北欧のノルウェーでは、高卒者に対する大卒者の相対賃金は107でほぼ同じだ。学費が無償であるためか大学進学率が高く、大卒の学歴の価値が相対的に下落している。

 大卒者の割合と、高卒に対する大卒の相対賃金をとった座標上に世界各国を配置すると、大卒学歴の社会的性格が見えてくる。<図1>は、25~34歳のデータをもとに作成したグラフだ。



 右上は、大卒者の割合が高く、大卒の相対賃金も高い。大学を出ないとキツイ社会だ。アメリカはこのタイプに含まれる。左上は大卒学歴が稀少価値を持つ社会で、先ほど見たチリがその典型だ。先進国ではドイツが該当する。

 左下は、大卒者は少ないものの、そのプレミアも際立っていない。大卒学歴の重要性が認識されていない社会といえようか(イタリアなど)。左下は大卒学歴の価値が下落している社会で、大学進学率が高い北欧諸国や韓国はこのタイプだ。

 日本は1番目と4番目のタイプの境界に位置しているが、これから先どの方向に動くだろうか。これまでの傾向としては、右下方向にシフトしてきている(大学進学率が低かった時代では、大卒学歴の効用は大きかった)。今後もそれが続くかもしれないが、右上に動くことも考えられる。大学進学率(現在は50%)が上昇することで、高卒以下の学歴の者がマイノリティーになることを意味する。



 ここで想起されるのは、「オーバーエデュケーション」の問題だ。日本は、「今の仕事に求められる学歴よりも、自分の学歴は高い」と考える労働者の割合が世界で最も高い(「日本人、学歴高すぎ? 仕事上の必要以上に『ある』3割」朝日新聞、2013年10月24日)。今や同世代の半分が大学に進学するが、大卒学歴にふさわしい仕事(専門技術職など)は社会にそれほど多くない。



 各国の高等教育機関(大学・短大・高専)の修了者と、管理職・専門技術職の数を比較すると、前者が後者から溢れているのは日本と韓国くらいだ<図2>。声高に言われることはないが、日本では学歴と職業のミスマッチが起きている。高等教育にはカネがかかるし、その上、社会的に人材が不足しているわけでもないのに、それをむやみに拡大しようとするなら批判を免れない。

【参考記事】「団塊、団塊ジュニア、ゆとり」 3世代それぞれの人生の軌跡

 しかしグローバル化が進んだ現在、高等教育修了生の活躍の場は国内とは限らない。韓国では大卒者の多くが国外に出ていくというが、日本もやがてそうなっていくのだろう。縮小を続ける国内市場だけを見据えると「大学を減らす」方が良いということになるが、これからの人材育成は、国境のない「ボーダレス」社会を想定しなければならない。

 高等教育の効果は、賃金や職業がどうかという経済面だけでなく、社会的な面にも及ぶ。知識や教養ある人間が増えれば、道徳心が増して犯罪が減るなど、社会全体の公共心の向上につながる。高等教育の社会的な効果について、計量的な研究が待たれる。

<資料:OECD『Education at a Glance 2014』、OECD『PIAAC 2012』>

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舞田敏彦(武蔵野大学講師)

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