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挑発行為に隠された北朝鮮の本音

ニューズウィーク日本版 2016年4月13日 20時1分

 2月のある寒い日の午後、ベルリンのヒルトン・ホテルに数人の元米外交官が駆け込んできた。向かった先は、洗練された内装の会議室。待っていたのは北朝鮮の政府高官だ。

 2日間にわたる秘密会合で、北朝鮮側は驚きの提案をしてきた。最高指導者である金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が、朝鮮戦争(53年に休戦協定)に正式に終止符を打つ米朝協議を再開したがっているというのだ。

「再開?」と、首をかしげる読者もいるかもしれない。

 実は、両国は昨年から非公式に、休戦協定に代わる平和協定を締結する可能性を探っていた。ところがアメリカ側が、交渉の議題に核開発問題を含めるよう要求。これを北朝鮮が突っぱねたため、調整は決裂していた。その直後の今年1月、北朝鮮は水素爆弾(と主張するもの)の地下核実験に踏み切った。

 北朝鮮の4回目の核実験を受けて、米政府は北朝鮮の脅威に対処する新しい方法を探さなければと躍起になっていた。北朝鮮の新提案は、そんなタイミングで舞い込んできた。

 ベルリンから戻った元米外交官らは、ホワイトハウス地下の緊急司令室で、バラク・オバマ大統領の国家安全保障顧問たちに北朝鮮側の提案を伝えた。北朝鮮は核実験を1年間停止する用意があること。その代わり、アメリカと韓国が毎年実施している合同軍事演習の中止を要求していること──。

【参考記事】北朝鮮がアメリカに平和協定要求――新華網は2015年10月18日にすでに報道

 北朝鮮は1年前にも似たような提案をしている。だがアメリカ側は、直前に起きたソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントのハッキング事件(北朝鮮の仕業とみられている)への不快感から、提案を拒絶した。

 だが今回、北朝鮮は以前よりも柔軟な姿勢を示してきた。核開発問題を交渉の議題に加えることも容認する姿勢を示している。オバマの大統領顧問たちは何も言わずに、元外交官らの報告にじっと耳を傾けた。

 朝鮮戦争の終結はかねてから金が最重視してきた懸案事項の1つだ。平和協定を締結すれば、計数万人規模の在日・在韓米軍の脅威を取り除けると考えているからだ。金はその脅威に対抗する武器として、そしてアメリカ主導の攻撃に対する抑止力として、核備蓄を増やしてきた。

オバマ政権は失敗続き

 朝鮮中央通信は1月の水爆実験の後、実験は「アメリカによる核戦争の危険から国の自主権と民族の生存権を守る」ための「自衛的措置」だと報道。「アメリカが理不尽な敵対的政策を撤回し、帝国主義的勢力が(北朝鮮の)主権侵害をやめた」とき初めて、北朝鮮は核開発計画を放棄すると報じた。



 共産主義国家らしい威勢のいい表現だが、そこには金がアメリカとの交渉に前向きだというメッセージが込められている。だが、オバマ政権はそのサインを見落としたのではないかと、一部の専門家は考えている。

【参考記事】北朝鮮核実験で槍玉に挙げられるオバマの「弱腰」外交

 実際、オバマ政権の従来の北朝鮮政策は失敗だったと考える専門家は増える一方だ。誤った情報に基づき、北朝鮮の現体制は脆弱で長続きしないと考え、中国は北朝鮮に対して甚大な影響力があり、金はマンガに出てくる悪者程度の存在と考えてきたというのだ。

 こうした専門家は、アメリカは北朝鮮の新提案を受け入れ、交渉を再開するべきだと考えている。そうすれば、少なくとも北朝鮮の核開発のスピードを遅らせ、朝鮮半島の緊張を取り除く端緒が開ける。うまくいけば、オバマはイランとの核合意や、キューバやミャンマー(ビルマ)との国交正常化のような歴史に残る功績をもう1つ増やせるかもしれない(ただしオバマ政権は新提案についてノーコメントを貫いている)。

 現在の政策に固執すれば、北朝鮮は2020年までに核弾頭の備蓄を100発まで増やす可能性があると、専門家は警告する。元CIA工作員で北朝鮮を舞台とした小説を多数執筆しているジェームズ・チャーチ(ペンネーム)は、「(核)実験のたびに、北朝鮮は新しいことを学んでいる」と語る。

 北朝鮮は、09年のオバマの大統領就任時には、既に核実験を行い、アメリカとの核合意を2度ほごにしていた。それでもオバマは、就任早々北朝鮮に働き掛けた。それに対する北朝鮮の答えは2度目の核実験だった。

 以来、オバマはジョージ・W・ブッシュ前大統領と同じように、北朝鮮に対して強硬な態度を取るようになった。核の放棄に応じない限り直接交渉はしないという姿勢を堅持し、経済制裁を強化したのだ。北朝鮮は貧しくて孤立しているから、いずれ現体制が崩壊するか、非核化に応じると考えたのだ。

過去最大の米韓合同演習

 だが昨年、イランと歴史的な核合意を結ぶと、オバマは北朝鮮とも同じような合意を結びたいと考えるようになった。北朝鮮側が先に非核化に応じない限り、直接交渉はしないという条件も引っ込めた。

 ところがこのときは、北朝鮮側が交渉の議題は平和協定に限定することにこだわったため、オバマ政権の歩み寄りは再び頓挫した。そして北朝鮮が水爆実験に踏み切ると、アメリカと国連安全保障理事会は、新たな制裁を科すことを決めた。

 その一方で、オバマ政権はこの7年間、韓国との防衛協力を一貫して維持してきた。合同軍事演習も毎年欠かさず行っている。特に今年は、韓国軍30万人、米軍1万7000人が参加する過去最大の演習となった(演習は今月末まで続く予定)。



 今年の演習開始早々、米軍は核弾頭を搭載可能な大陸間弾道ミサイル2発の発射実験を行い、核による先制攻撃能力を見せつけた。それは「『そっちも核を保有しているつもりかもしれないが、こっちには先制攻撃能力がある』という北朝鮮への警告だ」と、元CIAアナリストのウィリアム・ブラウンは語る。

 とはいえ米政府のある高官によれば、ホワイトハウスには現在も、北朝鮮と対話を開始する用意がある。北朝鮮が核放棄の意思を示さなくても、だ。ベルリンの秘密会合での北朝鮮の提案を考え合わせると、交渉の条件をめぐるオバマ政権の姿勢軟化は両国間の協議再開を意味する可能性があると、専門筋はみている。

 北朝鮮に対して外交重視路線で臨むなら、米政府は北朝鮮を今よりもはるかに深く理解しなければならない──専門家らはそう強調する。しかし世界有数の不可解な国が相手となれば、これは簡単な仕事ではない。

 北朝鮮を理解できないのは、この国が「神話に包まれてきたためだ」と、元CIA工作員のチャーチは指摘する。「北朝鮮は二枚舌でどんな合意も裏切る、金は頭がおかしい、そんな通念をうのみにするのはたやすい」。ただし、こうした見方はいずれも誤りだという。

 金が暴君であることは疑いの余地がない。11年、父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死を受けて最高指導者になると「政敵」の粛清に乗り出し、叔父で後見人の張成沢(チャン・ソンテク)とその一族も処刑した。

 国連の担当者は今年2月、人道に対する罪で金を調査する可能性を、本人に直接伝えるよう国連人権理事会に要請する報告書をまとめた。だがチャーチの言葉を借りれば「残虐でない独裁者がいるだろうか」。

 金は常軌を逸した指導者だとの考え方を見直すべきだとの意見は、ほかの専門家も共有している。ニューヨークやソウルを火の海にするという金の脅しは不穏だが、体制転覆の恐怖に対する「自然な反応だ」と言うのは、米国務省の北朝鮮担当官を務めたジョエル・ウィットだ。

 アナリストの間では、北朝鮮は崩壊への道を歩んでいるとの見方を退ける声も上がる。深刻な飢餓で11年には数多くの国民が死亡したとされる。地方部での生活は苦しいままとはいえ、現体制の下で経済は安定していると、元CIAアナリストのブラウンは語る。

 首都・平壌を訪れた人々によれば、市内にはレストランやバーが続々誕生し、ドル払いのタクシーが行き交い、膨大な数の市民が携帯電話を手にしている。ブラウンいわく、これらは中間層が育っている証し。中間層の繁栄をもたらしているのは、金の限定的な自由市場改革だ。



 北朝鮮はある程度まで孤立しているが、貿易相手を拡大させており、その範囲はアフリカやヨーロッパにも及ぶという。通商関係にある国からの訪問者、あるいは留学や仕事のため外国へ行く国民も増える一方だ。

 信頼できない国だとの見方に関しても、実際には北朝鮮だけが裏切っているわけではない。核兵器および既存の核計画を放棄するとの05年の約束を破棄したのは、合意直後にアメリカが新たな金融制裁を発動したからだと、ウィットは指摘する。

 12年に米朝が結んだ長距離ミサイル発射や核実験などに関する合意が、北朝鮮の人工衛星打ち上げ(弾道ミサイルの発射実験と技術的には同じ)によってたちまち破られたときも同様だ。ウィットに言わせれば北朝鮮に非はなかった。「人工衛星発射実験は合意の範囲外だった」

米国の誤解と中国の思惑

 米政権の大きな誤解はまだある。すなわち、中国がその影響力を用いて北朝鮮に核放棄を迫るとの考えだ。中国は北朝鮮の核開発に反対し、今年1月の「水爆」実験などを受けた国連の制裁決議案に同意した。だが中国の働き掛けもあって、国連加盟国による北朝鮮産の石炭や鉄鉱石の輸入禁止措置や、北朝鮮への航空燃料の輸出禁止措置には例外規定が設けられた。

 中国がこうした行動に出ているのは、民主主義国家で米軍が駐留する韓国との間の緩衝地帯として、北朝鮮を位置付けているからだ。制裁強化は北朝鮮の不安定化につながり、膨大な数の北朝鮮国民が難民として中国に流入し、米韓の軍隊が国境地帯に兵を進める事態になりかねないと、中国政府は危惧する。
「中国にとって、制裁は北朝鮮を交渉のテーブルに引き戻す手段だ」。米ウッドロー・ウィルソン国際研究センターの北朝鮮担当者で、歴史家のジェームズ・パーソンはそう指摘する。

 北朝鮮の核問題は和平交渉によってしか解決できないとしても、米朝の隔たりは極めて大きい。北朝鮮が核保有国としての地位を要求している一方、アメリカは北朝鮮の非核化を主張する姿勢を変えていない。

 交渉に当たっては、アメリカと安全保障条約を結ぶ韓国と日本が抱く懸念も念頭に置かなければならない。先週、ワシントンで開かれた核安全保障サミットでは日米韓首脳会談が行われ、北朝鮮の核・ミサイル問題が話し合われた。



 最大のハードルはおそらく、人権状況の改善にこだわるアメリカの態度だ。人権問題を持ち出せば、金が「内政干渉」だと反発するのはほぼ確実。ならばオバマが残りの任期で達成したい事項のうち、北朝鮮問題はどの程度重要かを考える必要がある。人権問題を置き去りにした交渉では、人権擁護を重視する人々の批判を免れないだろう。

 交渉には何年もかかるとの覚悟も必要だ。しかも最終的に、北朝鮮が現行の核政策を放棄する保証はどこにもない。

 それでも外交による解決を諦めれば、北朝鮮は核開発を加速させるだけだ。核技術をテロ組織などに売却する恐れもある。イスラエルは07年、シリアの核開発施設とされる標的を空爆したが、施設の建設には北朝鮮が力を貸していたという。

 オバマが核安全保障の重要性を強調するなか、北朝鮮が持ち掛けた新たな提案は、和平実現の最後にして最大のチャンスに、少なくとも朝鮮半島情勢をより安定化させる絶好の機会になるかもしれない。

 時間は限られている。ウィットが言うように、オバマに残されているのはあと9カ月だ。

[2016.4.12号掲載]
ジョナサン・ブローダー(外交・安全保障担当)

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