さまざまな国際問題の中でも、長らく解決できず、多くの犠牲者を生み、中東の不安定化の要素にもなっているパレスチナとイスラエルの紛争――。和平交渉が進むかと思えば中断し、なかなか解決の糸口が見えない。
和平を阻む大きな要因であり、国際的にも非難されているのがイスラエルによる占領地への入植活動と分離壁の建設だ。「パレスチナ人による自爆テロを防ぐため」とイスラエル側が主張する分離壁だが、大半はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸とイスラエルの境界(グリーンライン)ではなく、パレスチナ内に食い込む形で建てられている。建設中止・撤去を求める国連決議や国際司法裁判所の勧告も、イスラエルは無視し続けている。
そんな分離壁が横断するヨルダン川西岸を舞台にした『オマールの壁』が日本公開中だ。監督は、05年『パラダイス・ナウ』でも知られるハニ・アブアサド。13年のカンヌ国際映画祭では「ある視点部門」で審査員賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされるなど話題を呼んだ作品で、待ちに待った日本公開といえるだろう。
【参考記事】少女「テロリスト」を蜂の巣にする狂気のイスラエル
主人公オマールはイスラエル軍の監視を避けながら分離壁をよじ登っては、向こう側に住む親友のタレクやアムジャド、そして密かに恋愛関係にあるナディア(タレクの妹)に会いに行っていた。男3人はある日、イスラエル軍襲撃作戦を実行し、オマールはイスラエル秘密警察に拘束される。そこからオマールの苦悩が始まるのだが、観客は愛と友情、信頼という映画のテーマに常に試されるような感覚に陥る。
長編デビュー作となる本作で、オマールを演じたアダム・バクリ(27)はイスラエル生まれのパレスチナ人。現在ニューヨークを拠点に活動中だ。分離壁に触れるほど近づいたのは、この映画の撮影時が初めてだったというバクリに話を聞いた。
――アブアサド監督は「これは戦争についてではなく、愛についての物語だ」と語っている。あなたはどのように作品を捉えた?
この映画では、オマールを突き動かしているものはナディアの存在。彼の行動はすべてナディアが元になっている。監督がラブストーリーと言うのはまさにそうだと思う。ただし非常に特殊な状況、つまり占領下にある人たちのラブストーリーだ。
<悲劇の象徴>オマールが登る高さ8メートルもの分離壁はパレスチナの苦悩そのものといえる
――役作りのためにはどんなことを?
私はイスラエル生まれのパレスチナ人で、この映画に出てくるようなヨルダン川西岸地区に暮らす人々とは状況が違う。それでもパレスチナ人としての責任を感じているし、パレスチナの人々と同じ重荷を背負っているつもりだ。それは私だけでなく両親や家族も同じ。だから、オマールの状況は私にとってまったく遠い話ではなかった。
西岸の人たちがどんな生活をしているかは知っていたし、自分は経験していないが、すごく共感できた。オマールの状況を想像して、たぶん刑務所の中にいるような生活だろうというのが良く分かった。
役作りでいえば、撮影前にも撮影中にも監督と、その場面でどんな感情を出したいかをよく話し合った。肉体的な準備はトレーナーについてもらった。かなりハードなトレーニングだったよ。
――オマールはどんな人物だと解釈して演じたのか。
それは簡単には答えにくいけど......彼は自分に近いところも、まったく違うところもある。人間はみんな内面的な葛藤や苦しみを抱えていると言う意味では近いと思う。
この映画の核になるのは、オマールの内面の葛藤や悩み。彼はいつも自問して、いろんなことを考えている。演じるということは想像することで、僕はいつも彼のことを想像していた。
もし自分がオマールの立場で、恋人に会うために毎日、殺される危険を冒して壁を越えなければならないとしたら? 朝起きてシャワーを浴びようとして、水が出ないとしたら? 日常生活で必要最小限なことも西岸では満たされていない。そういう生活はどうなんだろう、と自分に常に問いかけていた。オマールの悩みや葛藤は、パレスチナの悩みであり葛藤なんだ。
<本格派>バクリはデビュー前、有名なニューヨークのリー・ストラスバーグ劇場研究所で学んだ
――オマールとナディアの抑制的な恋愛関係が印象的だった。あのような形がパレスチナの若者の現実だろうが、途中でもどかしくも思った。
あれがあのまま、パレスチナの人たちの恋愛だと思う。伝統的にパレスチナでは、例えばトルコやアゼルバイジャンなどでも、アラブ世界ではそういうところがある。つまり結婚前にはある一線を超えてはいけない。特にこの映画では、オマールはナディアのお兄さんととても仲がいいし、オマールはとても良心的で正直な人間だから。
そんな彼でもキスはしてしまう。一線を越えることだと分かっていたけど、彼女を愛しているし、絶対に結婚すると思っていたから。本当は男だったらもっとキスしたかったと思うよ(笑)。
2人が家の裏でこそこそ会っているのも本当はしてはいけないこと。実際にやっている人たちもいるが、一般的じゃないと思う。
なぜそうした伝統的なものが根強いかというと、占領された状況ではより閉鎖的に、新しい文化に対してオープンでなくなるからではないか。自由に暮らす人たちよりも、自分たちの習慣などに固執してしまうのだと思う。
――俳優という立場だと、パレスチナ問題について語るのは難しい?
そんなことはない。昔はそういう話はあまりできないかなと思ったが、今は全然気にしない。イスラエルの最高裁でさえ、あれは違法なことだと言っている。私はアーティストだし政治に興味はないが、この問題は政治ですらないと思う。明らかに違法で、不道徳で非人間的なことだから。
【参考記事】パレスチナ人の一斉蜂起「インティファーダ」は防げるか
『オマールの壁』はそういうことについての映画。占領下では日々の生活の些細な物事がどうなるのかを物語る。そこでは愛のようなシンプルなものでさえ、うまく機能することができない。
――なぜ以前は話すことが難しかったのか。
若くて、よく分かっていなかったから。占領のことや歴史的なこと、これまでに起きた戦争についてあまり知らなかった。混乱していたというのもある。それに、すごくシャイだった。シャイなのは今でもそうだけど(笑)。
――撮影中に大変だったことは?
最後の方にオマールが壁から落ちるところがあるが、あれは本当に落ちたんだ。いまだにときどき、気候や状況によっては背中が痛んで、マッサージしてもらわないといけない。ほかにもいくつかエピソードはあるが、あれがいちばん大きい。でも大変だったとはいえ、少なくとも映画には残った。
――壁を登るシーンの一部はスタントを使ったのに、落ちるのだけは自分でやった?
すごく簡単だからね!
――『オマールの壁』は日本公開までに3年かかったが、この3年間はあなたにとってどんな時間だった?
個人としても俳優としても学びが多く、いろんなことがぎっしり詰まった3年間だった。自分にとって転換期だったようにも思う。
(その後に製作された)『アリとニノ』という映画で主演したが、そのアリ役が年中お祈りをしている人物ということもあって、スーフィズム(イスラム教の神秘主義)について本を読んだり、学んだりした。自分がスピリチュアルなことに興味があることも分かった。生まれて初めてコーランをちゃんと読んで、人生を変えるような智恵が詰まっていることにも気付いた。
初めての出演作が『オマールの壁』という映画だったので、ある種のプレッシャーや責任を感じている。例えば、ハリウッドはタイプキャスト(イメージの固定化による類似的なキャスティング)が多く、テロリストの役が来たりする。でも、もちろんノーです。自分としてはこの映画が基準になっていて、「オマールの後でこういう役をやっていいのか」といつもプレッシャーを感じていた。でもすごく有意義で、素晴らしい3年間だった。
――この映画の中で好きなシーンを1つ挙げるとしたら?
1つだけ選ぶのは大変だけど、あえて言えば、最後の方でオマールが壁を登るのを老人が助けてくれるところ。
――それははぜ?
あの場面はまさにパレスチナの物語を表していると思うから。何世代もの人々が、パレスチナのああした苦しい状況の中に生まれ育ち、オマールのように希望を失いかけていく。でもそのときに老人、つまり前の世代の人たちが希望を失わないよう助けてくれる。
壁自体がパレスチナの苦しみや葛藤を象徴するものであり、悲劇を思い出させるものだ。
大橋 希(本誌記者)
和平を阻む大きな要因であり、国際的にも非難されているのがイスラエルによる占領地への入植活動と分離壁の建設だ。「パレスチナ人による自爆テロを防ぐため」とイスラエル側が主張する分離壁だが、大半はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸とイスラエルの境界(グリーンライン)ではなく、パレスチナ内に食い込む形で建てられている。建設中止・撤去を求める国連決議や国際司法裁判所の勧告も、イスラエルは無視し続けている。
そんな分離壁が横断するヨルダン川西岸を舞台にした『オマールの壁』が日本公開中だ。監督は、05年『パラダイス・ナウ』でも知られるハニ・アブアサド。13年のカンヌ国際映画祭では「ある視点部門」で審査員賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされるなど話題を呼んだ作品で、待ちに待った日本公開といえるだろう。
【参考記事】少女「テロリスト」を蜂の巣にする狂気のイスラエル
主人公オマールはイスラエル軍の監視を避けながら分離壁をよじ登っては、向こう側に住む親友のタレクやアムジャド、そして密かに恋愛関係にあるナディア(タレクの妹)に会いに行っていた。男3人はある日、イスラエル軍襲撃作戦を実行し、オマールはイスラエル秘密警察に拘束される。そこからオマールの苦悩が始まるのだが、観客は愛と友情、信頼という映画のテーマに常に試されるような感覚に陥る。
長編デビュー作となる本作で、オマールを演じたアダム・バクリ(27)はイスラエル生まれのパレスチナ人。現在ニューヨークを拠点に活動中だ。分離壁に触れるほど近づいたのは、この映画の撮影時が初めてだったというバクリに話を聞いた。
――アブアサド監督は「これは戦争についてではなく、愛についての物語だ」と語っている。あなたはどのように作品を捉えた?
この映画では、オマールを突き動かしているものはナディアの存在。彼の行動はすべてナディアが元になっている。監督がラブストーリーと言うのはまさにそうだと思う。ただし非常に特殊な状況、つまり占領下にある人たちのラブストーリーだ。
<悲劇の象徴>オマールが登る高さ8メートルもの分離壁はパレスチナの苦悩そのものといえる
――役作りのためにはどんなことを?
私はイスラエル生まれのパレスチナ人で、この映画に出てくるようなヨルダン川西岸地区に暮らす人々とは状況が違う。それでもパレスチナ人としての責任を感じているし、パレスチナの人々と同じ重荷を背負っているつもりだ。それは私だけでなく両親や家族も同じ。だから、オマールの状況は私にとってまったく遠い話ではなかった。
西岸の人たちがどんな生活をしているかは知っていたし、自分は経験していないが、すごく共感できた。オマールの状況を想像して、たぶん刑務所の中にいるような生活だろうというのが良く分かった。
役作りでいえば、撮影前にも撮影中にも監督と、その場面でどんな感情を出したいかをよく話し合った。肉体的な準備はトレーナーについてもらった。かなりハードなトレーニングだったよ。
――オマールはどんな人物だと解釈して演じたのか。
それは簡単には答えにくいけど......彼は自分に近いところも、まったく違うところもある。人間はみんな内面的な葛藤や苦しみを抱えていると言う意味では近いと思う。
この映画の核になるのは、オマールの内面の葛藤や悩み。彼はいつも自問して、いろんなことを考えている。演じるということは想像することで、僕はいつも彼のことを想像していた。
もし自分がオマールの立場で、恋人に会うために毎日、殺される危険を冒して壁を越えなければならないとしたら? 朝起きてシャワーを浴びようとして、水が出ないとしたら? 日常生活で必要最小限なことも西岸では満たされていない。そういう生活はどうなんだろう、と自分に常に問いかけていた。オマールの悩みや葛藤は、パレスチナの悩みであり葛藤なんだ。
<本格派>バクリはデビュー前、有名なニューヨークのリー・ストラスバーグ劇場研究所で学んだ
――オマールとナディアの抑制的な恋愛関係が印象的だった。あのような形がパレスチナの若者の現実だろうが、途中でもどかしくも思った。
あれがあのまま、パレスチナの人たちの恋愛だと思う。伝統的にパレスチナでは、例えばトルコやアゼルバイジャンなどでも、アラブ世界ではそういうところがある。つまり結婚前にはある一線を超えてはいけない。特にこの映画では、オマールはナディアのお兄さんととても仲がいいし、オマールはとても良心的で正直な人間だから。
そんな彼でもキスはしてしまう。一線を越えることだと分かっていたけど、彼女を愛しているし、絶対に結婚すると思っていたから。本当は男だったらもっとキスしたかったと思うよ(笑)。
2人が家の裏でこそこそ会っているのも本当はしてはいけないこと。実際にやっている人たちもいるが、一般的じゃないと思う。
なぜそうした伝統的なものが根強いかというと、占領された状況ではより閉鎖的に、新しい文化に対してオープンでなくなるからではないか。自由に暮らす人たちよりも、自分たちの習慣などに固執してしまうのだと思う。
――俳優という立場だと、パレスチナ問題について語るのは難しい?
そんなことはない。昔はそういう話はあまりできないかなと思ったが、今は全然気にしない。イスラエルの最高裁でさえ、あれは違法なことだと言っている。私はアーティストだし政治に興味はないが、この問題は政治ですらないと思う。明らかに違法で、不道徳で非人間的なことだから。
【参考記事】パレスチナ人の一斉蜂起「インティファーダ」は防げるか
『オマールの壁』はそういうことについての映画。占領下では日々の生活の些細な物事がどうなるのかを物語る。そこでは愛のようなシンプルなものでさえ、うまく機能することができない。
――なぜ以前は話すことが難しかったのか。
若くて、よく分かっていなかったから。占領のことや歴史的なこと、これまでに起きた戦争についてあまり知らなかった。混乱していたというのもある。それに、すごくシャイだった。シャイなのは今でもそうだけど(笑)。
――撮影中に大変だったことは?
最後の方にオマールが壁から落ちるところがあるが、あれは本当に落ちたんだ。いまだにときどき、気候や状況によっては背中が痛んで、マッサージしてもらわないといけない。ほかにもいくつかエピソードはあるが、あれがいちばん大きい。でも大変だったとはいえ、少なくとも映画には残った。
――壁を登るシーンの一部はスタントを使ったのに、落ちるのだけは自分でやった?
すごく簡単だからね!
――『オマールの壁』は日本公開までに3年かかったが、この3年間はあなたにとってどんな時間だった?
個人としても俳優としても学びが多く、いろんなことがぎっしり詰まった3年間だった。自分にとって転換期だったようにも思う。
(その後に製作された)『アリとニノ』という映画で主演したが、そのアリ役が年中お祈りをしている人物ということもあって、スーフィズム(イスラム教の神秘主義)について本を読んだり、学んだりした。自分がスピリチュアルなことに興味があることも分かった。生まれて初めてコーランをちゃんと読んで、人生を変えるような智恵が詰まっていることにも気付いた。
初めての出演作が『オマールの壁』という映画だったので、ある種のプレッシャーや責任を感じている。例えば、ハリウッドはタイプキャスト(イメージの固定化による類似的なキャスティング)が多く、テロリストの役が来たりする。でも、もちろんノーです。自分としてはこの映画が基準になっていて、「オマールの後でこういう役をやっていいのか」といつもプレッシャーを感じていた。でもすごく有意義で、素晴らしい3年間だった。
――この映画の中で好きなシーンを1つ挙げるとしたら?
1つだけ選ぶのは大変だけど、あえて言えば、最後の方でオマールが壁を登るのを老人が助けてくれるところ。
――それははぜ?
あの場面はまさにパレスチナの物語を表していると思うから。何世代もの人々が、パレスチナのああした苦しい状況の中に生まれ育ち、オマールのように希望を失いかけていく。でもそのときに老人、つまり前の世代の人たちが希望を失わないよう助けてくれる。
壁自体がパレスチナの苦しみや葛藤を象徴するものであり、悲劇を思い出させるものだ。
大橋 希(本誌記者)