Infoseek 楽天

タイを侵食する仏教過激派の思想

ニューズウィーク日本版 2016年4月22日 15時50分

 アピチャート・プンナジャント(30)は、タイの首都バンコクの有名な「大理石寺院」の首席説教師。この童顔の僧侶は書類を次々に取り出し、テーブルの上に広げて見せる。

 アピチャートは指先で書類をたたきながら、これは07年以降にマレーシア国境に近いタイのディープサウス(深南部)で殺された僧侶20人と負傷した24人のリストだと言う。マレー系イスラム教徒が多数を占める同地域では、04年から反政府勢力の破壊活動が続いており、6500人以上の死者が出ている。

 犠牲者の大半はイスラム教徒の一般市民だが、アピチャートはお構いなしだ。1人の僧の殺害は仏教全体への攻撃と見なすべきだと主張する。「僧侶が殺されたり傷つけられることに対し、以前は苦痛を感じたが、今はその段階を過ぎ、もはや苦痛は感じない。復讐あるのみだ」

【参考記事】<写真リポート>タイ深南部、つかの間の安息

 アピチャートは昨年秋、タイ深南部で僧が1人殺されるたびに1カ所のモスク(イスラム教礼拝所)に火を放てと、ソーシャルメディアでフォロワーに呼び掛けた。タイ政府はすぐにアピチャートのフェイスブックアカウントを一時的に閉鎖したが、この騒ぎは彼の注目度を上げただけだった。その後の数カ月間で、フォロワーは少なくとも数千人増えた。

 問題のフェイスブックページには、おぞましい画像が多数掲載されている。深南部の仏教徒がイスラム系反政府勢力になたで頭を割られたり、焼き殺されたり、射殺された場面と称する写真だ。

 その多くはかなり古い画像で、事件は当時、国内外で幅広く報道された。だがアピチャートは、タイの新聞は「真実」を隠す陰謀に加担しており、これらの写真は情報機関の当局者から入手したものだと主張する(画像についてネットで検索すると、反イスラム系のウェブサイトにかなり以前から出回っていたことが分かった)。

「私の目標は、何が起きているかを仏教徒に気付かせることだ」と、アピチャートは言う。「イスラム教徒は(深南部の)3県だけではなく、国全体を占領しようとしている」

 アピチャートは、ミャンマー(ビルマ)の過激派僧侶で12年と13年の暴動を扇動したアシン・ウィラツに心酔している。ウィラツやミャンマーの強硬派仏教徒組織「マバタ」と違い、アピチャートは政府の支援を受けていないが、過激な仏教ナショナリズムの波にうまく乗ったことは明らかだ。



 タイでこうした過激思想が台頭した背景には、14年の軍事クーデター以降の経済の不振と社会の不満がある。「タイの仏教界では反イスラム感情が強まっている」と、国際軍事情報企業IHSジェーンズのアナリスト、アンソニー・デービスは指摘する。「ごく一部の過激派だけではなく、主流派の間にも広がりつつある」

仏教界からも懸念の声が

「イスラム教徒によるタイへの侵略を懸念している」と言うのは、仏教系のマハーチュラロンコーンラージャビドゥヤラヤ大学教授で「仏教国教化推進委員会」の会長を務めるバンジョブ・バンナルジだ。「われわれはイスラム教徒にひどく脅かされている。私の見るところ、イスラムは危険な宗教だ」

 タイの人口の約94%は仏教徒で、イスラム教徒は4%にすぎない。それでもバンジョブは、タイをイスラム化しようとする陰謀があると主張する。

 イスラム系少数民族ロヒンギャやバングラデシュからの密入国者の存在がその証拠だと、バンジョブは言う。「彼らはタイのイスラム教徒人口を増やそうとしている」。ただ、ミャンマーやバングラデシュから多数のイスラム教徒がタイに逃げ込んでいるのは事実だが、それは多くの場合、密航業者によって私設「難民キャンプ」に送り込まれ、閉じ込められているからだ。

【参考記事】なぜバンコク爆発事件でウイグル族強制送還報復説が浮上しているのか

 アピチャートのことを知っているという深南部の学生たちは不安を口にする。「宗教紛争が発生して、仏教徒とイスラム教徒の殺し合いが起きることを心配している」と、パッタニ県で宗教を学ぶ25歳の学生は言った。

 仏教関係者の間にもアピチャートらへの懸念が広がっている。「仏教徒を名乗ってはいるものの、彼らは恐ろしい連中だ」と、仏教学者のスラク・シバラクサは言う。「(アピチャートは)僧侶を辞め、仏教徒であることもやめるべきだ。仏の教えは非暴力、友愛、哀れみの心だ。仏教をカルト化し、ナショナリズムや民族主義と結び付けるのは危険だ」

 政府と仏教界の一部がアピチャートの言動に対し、非難の声を上げているのは心強い。それでも過激な主張は間違いなく人々の間に広まっている。

 フェイスブックやツイッター、パンティップ(タイ最大のネット掲示板)などのソーシャルメディアでは、仏教徒が集まり「イスラム教徒問題」を議論している。「南部3県の過激派イスラム教徒に反対する」フェイスブックページには、4000人前後が「いいね!」を付けた。

 アピチャートは、タイ全土の仏教徒が自分の言葉を真剣に受け止めていると語る。次は何をするのかと質問すると、落ち着いた声で答えたが、通訳は英語に訳すのをややためらった。

「次の計画は、火炎瓶を作ることだ。私だけでなく、国中の仏教徒が作る。もちろん、どこかに投げるためだが、それがどこかは誰も知らない」

[2016.4.26号掲載]
アビー・サイフ、リン・ジレヌワト

この記事の関連ニュース