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震災1週間で営業再開、東北の風俗嬢たちの物語

ニューズウィーク日本版 2016年5月2日 10時35分

『震災風俗嬢』(小野一光著、太田出版)は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の被災地で生きる複数の風俗嬢を、5年間にわたって追い続けた作品。著者は、"戦場から風俗まで"をテーマに活動を続けてきたノンフィクションライターである。つまりは人が入り込まない場所へも切り込んでいくタイプだといえるわけで、その行動力は本書においても存分に発揮されている。

 風俗嬢の半生やプロセスに焦点を当てたノンフィクションなら過去にも存在したが、震災を切り口にしているという点において、"この著者でなくてはできないこと"を形にしているといえるだろう。

「こないだね、北上(きたかみ)のデリ(デリバリーヘルス)で遊ぼうとしたらね、やって来たのが沿岸に実家がある十九歳の学生の子だったのよ。大船渡だっけかな。家族は全員無事らしいけど、家が流されたうえに、お父さんが勤め先を流されて仕事を失ったらしぐって......。それでまだ小さい弟と妹がいるもんだから、家計を助けるため北上さ出てきて働き始めたんだって。いやもう、なんか気まずかったぁ」(18ページより)

 震災直後から単独で被災地に入り、各地で取材を続けていた著者は、岩手県北上市のバーで、顔見知りになった男性客からそんな話を聞く。「することはしたけど」というひとことには苦笑してしまったが、ともあれわずか5行しかない男性の言葉にはかなりのインパクトがあり、この時点でぐいっと心を引っぱられた。震災については多くの方が命を落としたという事実にばかり目が行っていたが、たしかにそういうことがあってもおかしくないのだ。

 しかしその衝撃は、長らく風俗嬢のインタビューを続けてきた著者にとってもショッキングな出来事だったようだ。あの混乱のなか、やはり「風俗産業についてまでは考えが及ばなかった」というのだ。だが結果的には、それが本書を生み出すきっかけとなる。以後の著者は他の仕事の合間を縫い、東北各地を動き回りはじめた。

【参考記事】<震災から5年・被災者は今(1)> 義母と補償金を親族に奪われて
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 重要なポイントは、誰かに取材を頼まれたわけではないということである。あくまで自主的な判断に基づく行動であり、だから取材を続けつつ、同時に掲載媒体を探す作業にも追われることになる。

 私は同業者なのでなんとなくわかるが、それは決して楽な作業ではない。風俗であろうが芸能であろうがジャンルにかかわらず、取材をする場合には緻密な気配りが必要とされるからだ。



 端的にいえば、関わるすべての人間の要求に応える必要があるということ。提灯記事を書くという意味ではない。その取材をすることによって、誰かがいわれのない苦痛やリスクを背負うとしたら、それはフェアではないということだ。たとえば本書の取材に関していうと、「掲載する価値」を求める媒体、取材対象としての風俗嬢を斡旋するかわりに(記事広告的な)見返りを求める風俗業者、そして震災で受けた心の傷を開かざるを得なくなる風俗嬢と、三者三様の思いを満たす必要があるわけである。でないと、取材自体が成り立たなくなる恐れがあるのだから。

 事実、取材は最初の段階から頓挫することになる。一般客を装ってデリヘル嬢を呼んで(プレイなしで)話を聞き、以後の取材の約束も取りつけるものの、直前になって「ちいさな町のことなので、目立つことはしたくない」と断られてしまうのである。

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 いわれてみれば当然のことではあるだろう。また、震災から1カ月も経てば出版社側の状況も変化してくるようで、「震災関連で」と企画を持ち込んでも「震災関連は最近ちょっと企画の通りが悪くなってるんですけど、どんなやつでしょう」と消極的な返事が返ってきたりする。しかしそれでも著者は、以後もさまざまなルートに話をし、粘り強くコネクションをつくって取材を続けていく。そしてそのかいあって、風俗店オーナーとのコネクションを得、数人の風俗嬢にインタビューできることになる。

 震災から1週間後に数件のデリヘルが営業を始めていたという事実には驚かされるし、それ以前に、地震と津波の被害に遭っていながら風俗を利用する人がいるということ自体に驚く。ここに登場するチャコさんという20代女性の話によると、相手にした客のほとんどが、なんらかのかたちで地震と津波の被害に遭っていたというのである。にもかかわらず、なぜ風俗を利用するのか? その答えは、以後の会話のなかにあった。

「家を流されたり、仕事を失ったり。それでこれから関東に出稼ぎに行くという人もいました。あと、家族を亡くしたという人もいましたね」
「えっ、そんな状況で風俗に?」
 思わず声に出していた。だが彼女は表情を変えずに続ける。
「そんな場合じゃないことは、本人もわかっていたと思いますよ。ただ、その人は『どうしていいかわからない。人肌に触れないと正気でいられない』って話してました」
「いくつくらいの人ですか?」
「三十代後半の人です。子供と奥さんと両親が津波に流されて、長男と次男は助かったらしいんですけど、いちばん下の男の子と奥さん、あと両親が亡くなったそうです。(中略)その人はプレイのあとで添い寝をしてほしいと言ってきたので、そうしてあげました」(41~42ページより)

 この発言について著者は「言葉を失った」と記しているが、まったくの同感だ。正直なところ考えたことすらなかったが、たしかにそんなとき、人肌に触れることには大きな意味があるのかもしれない。



 そして事実、お客さんは総じて震災前よりもやさしくなったのだという。以前はガツガツしている人が多かったのに、元気がないというか、ふんわりした人が増えたというのだ。そんなところからも、ひとりひとりがそれぞれの傷を負っていることが想像できる。だとしたら、「デリヘルを呼ぶ間だけは楽しみたい」と思ったとしても、それは責められるべきではないだろう。

 しかし当然のことながら、それはデリヘルに連絡してくる客の側だけの問題ではない。先の19歳の学生の例がそうであるように、風俗嬢もまた被害者なのだ。

「もう人生観が百八十度変わりました。友達は一緒に連れて逃げようとしていた子供を、津波に呑まれて亡くしちゃうし......」(54ページより)

 2011年5月の取材でこう語っていた26歳の主婦、アヤさんは、翌年の取材時にはこのように語っている。

「なんか五月の終わり頃から、人がいっぱいいる場所に行くと息苦しくなったりというのがあったんですね。あと、車の運転中にめまいがしたり、いきなり涙が出てきて止まらなくなったりもしてたんです。それである日、夫に『なんか変だ』って言われたんですよ。私がテレビの前でなにもせずボーッとしていたらしいんです。放心状態みたいな感じだったって......」(99~100ページより)

 どう考えてもPTSDの症状であるだけに、その言葉は心を深くえぐった。間違いなく彼女たちも被害者なのだ。そこが、本書における重要なポイントである。

 しかしそのいっぽう、「ああ、この人はだめだな」と感じざるを得ないような風俗嬢が本書に出てくることも否めない。とはいえ、それは余計なお世話というもので、たとえ震災からなにも学んでいないように見えたとしても、相応の"なにか"を背負っているであろうことは事実なのだ。だからこそ読者であるわれわれは、彼女たちが言葉にし切れなかった思いをも、行間から感じ取る必要があるのではないだろうか?

 本書を読んでいるさなかに、熊本地震が起こった。なんだか、いやな偶然だなと感じた。しかしそのぶん、本書から感じたことはしっかりと心にとどめておこうと思っている。


『震災風俗嬢』
 小野一光 著
 太田出版


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。

印南敦史(作家、書評家)

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