2003年冬、イラン東部の都市マシュハド。寒い夜空の下、カフェの前の通りに体重計を置き、街行く人々の体重を量って代金をもらっている少女がいた。客が来ないときは、カフェからもれる光を頼りに勉強している姿が印象的だった。
彼女の名はファラシュテ。当時7歳のアフガニスタン難民だった。この子はこれからどう成長していくのだろう。彼女が大きくなっていく姿を写真に収めたい──。それから私は2年に1度のペースでイランを訪れるようになった。
【参考記事】Picture Power シリア難民が誇りと夢を取り戻した街
10歳、12歳、14歳。ファラシュテはまだ体重を量っていた。日中は学校に通い、夜になると兄や姉たちと一緒に路上に出る。
ファラシュテの両親は80年代に、ソ連に侵攻されたアフガニスタンからイランへ逃れてきた難民だ。当時イラクと戦争をしていたイランは国内の労働力不足を補う目的もあり、アフガン難民を多く受け入れた。ファラシュテはイラン生まれだが、難民の親から生まれた子供も難民の扱いになるという。
父親はかつて建設現場で働いていたが、心臓を患ってからは肉体労働ができなくなった。難民が単純労働以外の仕事に就くのは難しい。家計を支えていたのは子供たちだった。
ファラシュテには、幼い頃から働いているからか、妙に世間慣れしているのに、子供の無邪気さを失っていない魅力があった。外国人男性の私が街中で彼女を撮影していると、イラン人に絡まれることがよくあった。すると、ペルシャ語ができない私の代わりに彼女がいつも間に入り、毅然とした態度で追い払った。一方で、たとえば駄菓子屋でスナックを買うときなどは、本当にうれしそうにあどけない笑顔を見せた。
カメラの前でも大人びた表情をしたかと思えば、大口を開けて大笑いする。憂いを帯びた目を見せたり、おどけたり、生意気な顔になったり......。彼女が見せなかった唯一の表情は、難民という境遇を恨んだり悲しんだりする姿だったかもしれない。
ファラシュテは結局、14歳ぐらいまで路上での仕事を続けた。最初は私を警戒していた彼女の父親が、私を家に迎え入れてくれたのもちょうどその頃だった。ファラシュテと家族との時間にもカメラを向けられるようになった。
ソ連軍侵攻とそれに続く内戦、そして01年のアメリカの攻撃で始まったアフガン戦争──イランはアフガニスタンで紛争が起きるたびに多くの難民を受け入れてきた。現在、イランで暮らすアフガン難民は90万人以上とされる。難民キャンプに収容されているわけではない。大半が都市部で暮らし、働いたり学校へ通ったりと、表向きは社会に溶け込んでいるように見える。
ファラシュテ7歳。彼女に初めて会った日
7歳。夜遅くなって眠気が絶頂に
10歳。仕事を終えて父親と自宅へ
10歳。変顔で笑わせる
ファラシュテの家族も豊かではないけれど、つつましく幸せな生活を送っているように見えた。だが実際には、イランのアフガン難民には多くの制限が課されている。土地や家、車の所有は禁じられ、働き口は学歴があっても低賃金な単純労働にしか就けない。さらに近年は、イランの失業率が上昇していることもあり、政府はアフガン難民を母国へ帰そうとする政策を取っている。
そんな不安定な立場に、ファラシュテの父親は危機感を抱いていた。昨年夏、ドイツのメルケル首相が難民の大量受け入れを発表すると、彼はファラシュテの兄2人を連れて、トルコ経由で欧州へ渡った。無事にドイツにたどり着いた父親たちは、今度はファラシュテたち残りの家族を呼び寄せようとした。
しかし、ファラシュテと母親と姉は、トルコとの国境を越えようとしたところでイランの国境警備隊に捕まり、アフガニスタンへ強制送還された。もう正規のルートではイランに戻れない。ファラシュテたちはパキスタン北西部の危ない部族地帯を経由してイランに再入国した。家族は今、バラバラになっている。
【参考記事】ドイツがアフガン難民の大半を本国送還へ
20歳になったファラシュテは今、奨学金を受けながら大学に通い、都市計画を学んでいる。小さい頃の夢は絵描きだったから本当は美術を勉強したかったのかもしれないが、奨学金が出る専攻は限られている。都市計画なら経済的負担もないし、デザイン画も描けると、彼女なりに賢明な選択をしたのだろう。楽しそうに学ぶ姿は幼い頃から変わっていない。
初めて会った日から13年。大人になった彼女はどんな人生の選択をしていくのだろう。それがどんな道であれ、私はこれからも彼女が歩んでいく姿にカメラを向け続けたいと思う。ファラシュテは7歳のときから変わっていない、きっと光を見つけると信じているから。
須田卓馬(写真家)
*今回の写真展では私とファラシュテとの13年間の温かな時間、その関係性が写真に閉じ込められて展示されています。会場でその空気感を味わっていただけたら幸いです。
<開催中>
須田卓馬 写真展
「Fereshteh -13 years in Iran-」
2016年4月29日~5月26日
ソニーイメージングギャラリー銀座
●須田卓馬オフィシャルサイト http://www.takuphoto.net/
ファラシュテの両親。女性がスカーフを着用せずに写真を撮るのは特別なこと。受け入れられた気がした
16歳。家の中庭に顔を出して
18歳。カフェの中で。幼い頃、この店の前で働いていた
20歳。自宅で
Photographs by Takuma Suda
<開催中>
須田卓馬 写真展
「Fereshteh -13 years in Iran-」
2016年4月29日~5月26日
ソニーイメージングギャラリー銀座
●須田卓馬オフィシャルサイト http://www.takuphoto.net/
≪「PicturePower」のバックナンバーはこちら≫
Photographs by Takuma Suda
彼女の名はファラシュテ。当時7歳のアフガニスタン難民だった。この子はこれからどう成長していくのだろう。彼女が大きくなっていく姿を写真に収めたい──。それから私は2年に1度のペースでイランを訪れるようになった。
【参考記事】Picture Power シリア難民が誇りと夢を取り戻した街
10歳、12歳、14歳。ファラシュテはまだ体重を量っていた。日中は学校に通い、夜になると兄や姉たちと一緒に路上に出る。
ファラシュテの両親は80年代に、ソ連に侵攻されたアフガニスタンからイランへ逃れてきた難民だ。当時イラクと戦争をしていたイランは国内の労働力不足を補う目的もあり、アフガン難民を多く受け入れた。ファラシュテはイラン生まれだが、難民の親から生まれた子供も難民の扱いになるという。
父親はかつて建設現場で働いていたが、心臓を患ってからは肉体労働ができなくなった。難民が単純労働以外の仕事に就くのは難しい。家計を支えていたのは子供たちだった。
ファラシュテには、幼い頃から働いているからか、妙に世間慣れしているのに、子供の無邪気さを失っていない魅力があった。外国人男性の私が街中で彼女を撮影していると、イラン人に絡まれることがよくあった。すると、ペルシャ語ができない私の代わりに彼女がいつも間に入り、毅然とした態度で追い払った。一方で、たとえば駄菓子屋でスナックを買うときなどは、本当にうれしそうにあどけない笑顔を見せた。
カメラの前でも大人びた表情をしたかと思えば、大口を開けて大笑いする。憂いを帯びた目を見せたり、おどけたり、生意気な顔になったり......。彼女が見せなかった唯一の表情は、難民という境遇を恨んだり悲しんだりする姿だったかもしれない。
ファラシュテは結局、14歳ぐらいまで路上での仕事を続けた。最初は私を警戒していた彼女の父親が、私を家に迎え入れてくれたのもちょうどその頃だった。ファラシュテと家族との時間にもカメラを向けられるようになった。
ソ連軍侵攻とそれに続く内戦、そして01年のアメリカの攻撃で始まったアフガン戦争──イランはアフガニスタンで紛争が起きるたびに多くの難民を受け入れてきた。現在、イランで暮らすアフガン難民は90万人以上とされる。難民キャンプに収容されているわけではない。大半が都市部で暮らし、働いたり学校へ通ったりと、表向きは社会に溶け込んでいるように見える。
ファラシュテ7歳。彼女に初めて会った日
7歳。夜遅くなって眠気が絶頂に
10歳。仕事を終えて父親と自宅へ
10歳。変顔で笑わせる
ファラシュテの家族も豊かではないけれど、つつましく幸せな生活を送っているように見えた。だが実際には、イランのアフガン難民には多くの制限が課されている。土地や家、車の所有は禁じられ、働き口は学歴があっても低賃金な単純労働にしか就けない。さらに近年は、イランの失業率が上昇していることもあり、政府はアフガン難民を母国へ帰そうとする政策を取っている。
そんな不安定な立場に、ファラシュテの父親は危機感を抱いていた。昨年夏、ドイツのメルケル首相が難民の大量受け入れを発表すると、彼はファラシュテの兄2人を連れて、トルコ経由で欧州へ渡った。無事にドイツにたどり着いた父親たちは、今度はファラシュテたち残りの家族を呼び寄せようとした。
しかし、ファラシュテと母親と姉は、トルコとの国境を越えようとしたところでイランの国境警備隊に捕まり、アフガニスタンへ強制送還された。もう正規のルートではイランに戻れない。ファラシュテたちはパキスタン北西部の危ない部族地帯を経由してイランに再入国した。家族は今、バラバラになっている。
【参考記事】ドイツがアフガン難民の大半を本国送還へ
20歳になったファラシュテは今、奨学金を受けながら大学に通い、都市計画を学んでいる。小さい頃の夢は絵描きだったから本当は美術を勉強したかったのかもしれないが、奨学金が出る専攻は限られている。都市計画なら経済的負担もないし、デザイン画も描けると、彼女なりに賢明な選択をしたのだろう。楽しそうに学ぶ姿は幼い頃から変わっていない。
初めて会った日から13年。大人になった彼女はどんな人生の選択をしていくのだろう。それがどんな道であれ、私はこれからも彼女が歩んでいく姿にカメラを向け続けたいと思う。ファラシュテは7歳のときから変わっていない、きっと光を見つけると信じているから。
須田卓馬(写真家)
*今回の写真展では私とファラシュテとの13年間の温かな時間、その関係性が写真に閉じ込められて展示されています。会場でその空気感を味わっていただけたら幸いです。
<開催中>
須田卓馬 写真展
「Fereshteh -13 years in Iran-」
2016年4月29日~5月26日
ソニーイメージングギャラリー銀座
●須田卓馬オフィシャルサイト http://www.takuphoto.net/
ファラシュテの両親。女性がスカーフを着用せずに写真を撮るのは特別なこと。受け入れられた気がした
16歳。家の中庭に顔を出して
18歳。カフェの中で。幼い頃、この店の前で働いていた
20歳。自宅で
Photographs by Takuma Suda
<開催中>
須田卓馬 写真展
「Fereshteh -13 years in Iran-」
2016年4月29日~5月26日
ソニーイメージングギャラリー銀座
●須田卓馬オフィシャルサイト http://www.takuphoto.net/
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Photographs by Takuma Suda