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EU-トルコ協定の意義と課題

ニューズウィーク日本版 2016年5月10日 6時30分

協定は欧州の難民危機を収束させるための最大の柱

 4月23日、独首相メルケルがトルコの難民収容施設を訪ねた。EUとトルコの間では先月からギリシャへの不法移民を全てトルコへ送還することを定めた協定が結ばれており、訪問はEUのなかに残るトルコ内の人権状況への疑念を洗い流そうと試みたものであったように思える。

 目下のところ、このEU-トルコ協定は昨年から急激に深刻化した欧州の難民危機を収束させるための最大の柱となっているため、本記事では同協定についてその政治的意義と、法的・倫理的課題の観点から考察を加えたい。

 この協定は昨年来、難民危機を収束するためにEUがトルコに働きかけ、模索してきた協調の成果のひとつである。

 昨夏からEUへ流れ込む難民の主要ルートはトルコからギリシャ、次いでマケドニアを通ってハンガリーやスロヴェニアを経由し、ドイツ等へ至るというものであり、またヨルダン、レバノン、トルコなどシリア近隣諸国に逃れていた難民の2次移動が危機を加速していると考えられたため、EUにとってトルコとの協調は欠くことの出来ないものであった。

 協定の柱となるのはトルコからギリシャへ入国した全ての不法移民のトルコへの再送還である。もちろんEUは単に難民に対してドアを閉ざしたわけではなく、これと併せて「1対1」枠組みというものを創出し、EUからトルコへひとり不法入国者を送還する度に、ひとりのシリア人難民を第3国定住の枠組みで受け入れ、EU内で加盟国に割り当てるものとした。加えてEUは協力を頼んだトルコへの1億6500万ユーロ(概ね200億円程)の人道支援も行うとしている。

トルコは十分な国際的保護を難民に提供しているか

 とはいえ協定の目的がトルコからEUへの無制限な人の移動を止めることにあったことは明らかであった。そして協定発効前は3週間で26,878人であった不法移民が発効後3週間で5847人に減少したとの欧州委員会報告からは、現在のところEUが波状的な人の流れを抑制することにかなりの程度成功したと評価して良いだろう。

 しかし、このことは決して協定が問題なしであることを意味しない。最大の問題はトルコがEU法から見て十分な国際的保護を難民に提供しているかである。

 法的にはEU加盟国が不法に入国した人々を送還できる場合は2通りあり、ひとつは加盟国にたどり着いた避難民が庇護申請を行わなかった場合、もうひとつは当該避難民が各加盟国の定める「安全な第3国」か「最初の庇護国」を経由していた場合である。

 厳密にはトルコは非ヨーロッパ人に難民の資格を認めていないため、実際的な問題はトルコが「安全な第3国」と言えるかに絞られるが、UNHCRやヒューマン・ライツ・ウォッチ等、多くの国際組織、NGOがこの点に疑念を示しており、アムネスティ・インターナショナルはトルコが違法にシリア難民を送還しているとも指摘している。



 EUの抱える根本的なジレンマは、EU法に定められた高い水準の人権保護と人の移動の制御という目標とをどの程度両立できるかという点であろう。

 高い法的基準を厳格に適用すればEU-トルコ協定が骨抜きとなり、人の移動を制御するという目的を達成することが難しくなる可能性がある。かといって人の移動の制御を優先すればEU法や国際法に抵触する可能性が高くなり、協定自体の正統性が危ぶまれてしまう。

シェンゲン圏の「平常への復帰」を導く

 それでもEUがこのような、やや強引とも思える政策を採用したのは、恐らくシェンゲン圏への影響をにらんでの事であろう。昨秋からオーストリアやドイツ、スウェーデン、デンマークなどが相次いで国境管理を導入したため、にわかにシェンゲン圏の危機が語られるようになった。

 EU-トルコ協定の採択には、内外やEUへの密航業者等へ向けて欧州の対外国境の復帰を印象付け、その強いメッセージにより人の移動を抑制すること、そしてそれを前提としてシェンゲン圏の「平常への復帰」を導くことという2重の狙いがあったように思われる。

 事実、欧州委員会はギリシャの状況について5月に評価を行い、その際に深刻な欠陥が見られる場合にはシェンゲン圏全体で国境審査の再導入を認める提案を行うとしていた。それ故ギリシャ・トルコ間の人の波を止めることには、単にそれだけに止まらない欧州統合プロジェクト自体の安定化という政治的意義が含まれていたのである。

これまでのところ大規模な送還は行われていないが

 UNHCRによれば協定発効から4月12日までに新たにギリシャへたどり着いた避難民6480人中で実際にトルコに送還されたのは326人とされており、これまでのところ懸念されていた大規模な送還は行われていない。

 しかし逆に言えばこの数字は大多数の避難民が送還を免れるためにギリシャで庇護申請を行ったこと、そして同国の難民収容所で長期にわたり滞留することを意味する。

 以前から危ぶまれていたギリシャの審査・収容能力を早急に高め、十分な人権保護を実現することがEUにとって火急の課題となる。またこれら庇護申請を行った避難民へEUがどのような対応をとるのか、改めて今後の行方を注視する必要があろう。


[筆者]
佐藤俊輔
東京大学法学政治学研究科博士課程を満期退学後、EUの基金によるエラスムス・ムンドゥスGEM PhDプログラムにより博士研究員としてブリュッセル自由大学・ジュネーブ大学へ留学。2016年4月より獨協大学・二松學舍大学・立教大学で非常勤講師。専門はEUの政治、ヨーロッパ政治、移民・難民政策。


佐藤俊輔

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