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今の日本に機会均等はあるか?

ニューズウィーク日本版 2016年5月10日 16時30分

 近代より以前の社会では、人間の人生は「生まれ」によって大きく制約されていた。親の職業を継ぎ、生まれた地で生涯を過ごす人が大半だった。

 近代以降の社会では、当人の能力による社会移動(social mobility)の機会が高くなっている。属性主義から能力(業績)主義への転換だ。

 しかしそれはあくまでも理念(建前)であって、現実がそうだとは限らないし、そのレベルは国によっても様々に異なっている。

【参考記事】日本男子「草食化」の背景にある経済格差

 2009年に各国の研究者による調査グループISSPが実施した『社会的不平等に関する意識調査』では、社会的成功のためには「裕福な家庭に生まれること」と「高学歴の親を持つこと」がどれほど重要と思うか、尋ねている。

「必要不可欠(Essential)」もしくは「とても重要(Very important)」と答えた国民の割合をとった座標上に、調査対象の41カ国を配置すると<図1>のようになる。ドイツは、調査対象が東西に分かれている。



 右上には、中国が位置している。中国の国民の8割が、社会的成功に際しては裕福な家庭に生まれ、高学歴の親を持つことが重要だと考えている。これに続くのが南アフリカで、イスラム圏のトルコや東欧諸国も、ライフチャンスの階層的制約について意識している。人々の生き方への統制が相対的に強いためと思われる。

 左下はその逆で、日本と北欧諸国が該当している。人々の意識の上では、生まれに関係なくライフチャンスが開かれていると考えられている社会だ。

 北欧は教育に公的資金を投じる社会で、大学の学費も原則無償。このためライフチャンスの階層的制約は現実面でも大きくないと思えるが、日本はどうだろうか。



 教育費は高額で、経済的理由で大学進学を断念する生徒も少なくない。奨学金も実質ローン(多くが有利子)で、教育の機会均等を実現する政策としてはあまり機能していない。それは、教育に公的資金を割かない社会だからだ。教育への公的支出がGDPに占める割合は、日本はたったの3.5%でOECD加盟国の中で最も低い(2012年)。

 日本の特異性が分かる図を作ってみよう。<図2>は、教育への公的支出額の対GDP比と、「成功のためには裕福な家庭に生まれることは重要だ」の回答比率の相関図だ。両方が分かる26カ国のデータをもとに作成した。



 教育費支出が多い国ほど、ライフチャンスの階層的制約を感じる国民が少ない傾向にある。教育は、社会的地位の移動の重要な手段となる面があるため、この傾向は合点がいく。

 しかし日本は、傾向から外れたところに位置している。教育費支出が最下位にもかかわらず、ライフチャンスの階層的制約に対する意識が薄い。極めて奇異な社会だ。「頑張れば成功できる」というイデオロギーが浸透し、政府の怠慢が巧みに隠蔽されているとも言えるのではないだろうか。

 最近、教育と貧困・格差の問題がメディアで取り上げられ、この問題への関心が高まってきた。日本でも、「生まれ」によってライフチャンスがかなり制約されているのではないかという疑念が広がっている。<図2>の縦軸は2009年のデータだが、近年では日本ももっと上に位置しているだろう。

【参考記事】日本の若者の貧困化が「パラサイト・シングル」を増加させる

 人々の意識は、現実としばしば乖離する。見えざる現実をデータで可視化し、状況の改善に向けた声を上げていかねばならない。

<資料:ISSP「Social Inequality IV - ISSP 2009」、
    OECD「Education at a Glance 2015」>

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舞田敏彦(教育社会学者)

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