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がんの最新治療法を見つけ治療を受けた大学生が死亡、「詐欺広告だった」と体験談を遺す

ニューズウィーク日本版 2016年5月15日 6時43分

 この1カ月間、中国のネットで最大の関心事となっているのが「魏則西事件」だ。詐欺広告にだまされて大学生が死んだといういたましい事件だが、その裏側からは「氾濫する詐欺情報」と「地縁ネットワークの強さ」という中国社会の現状が透けてみえる。

 まず事件の概略について説明しよう。陝西省西安にある西安電子科技大学の学生、魏則西さんが滑膜肉腫というがんにかかった。どこの病院もさじを投げるなか、治療法はないかとネットで情報を検索したところ、見つかったのが武装警察北京市総隊第二医院だった。米スタンフォード大学と共同開発した「腫瘤生物免疫療法」という新たな治療法を導入しており、80~90%という驚異的な有効性を持つとの触れ込みだった。

 魏さん一家は友人親戚から借りるなどお金をかき集め、20万元以上もの大金を支払って治療を受けた。しかし、まったく効果がなく4月12日に魏さんは亡くなっている。生前、魏さんはイカサマに引っかかったことに気がついていた。ネット掲示板に「人間の最大の悪とは何だと思う?」というスレッドがあったが、そこに自らの体験を投稿。「腫瘤生物免疫療法」は米国の臨床試験で有効性を確認されず実用されなかった技術だった、病院は金儲けのためにだました、と嘆いている。

 魏さんの死後、「ネットの詐欺広告に引っかかって財産も命も失った大学生の話」はネットで爆発的に拡散し、多くの中国人の関心を集める社会事件となった。

【参考記事】病院という名の強制収容所

"中国式ネット検索"の闇

 魏則西事件は中国社会の現状を読み解く格好のテキストだ。「百度」と「莆田系」という二つのキーワードから読み解いてみたい。

 まず百度について。検索サイト市場で独占的な地位を築く百度は、いわば中国版のグーグルだ。しかしながら両社の広告表示方法には大きな違いがある。下記の画像を見比べて欲しい。百度とグーグル中国語版で「日本旅行」と検索した結果だが、グーグルは広告リンクに黄色で「広告」というマークを付記している。広告リンクは一つだけで、そのすぐ下に中国最大の旅行サイトであるC-Trip(携程旅遊網)が表示されている。





 一方の百度はというと、5つもの広告リンクが表示されている。広告を意味する「推広」という文字は、目立たない色で小さく表示されているだけ。さらに広告の下には百度の自社サービスが表示されているため、C-Tripsにたどり着くにはえんえんとスクロールする必要がある。



 広告か情報か見分けがつきにくいリンクが大量にあることに加え、その中には魏則西さんが引っかかってしまったような虚偽の情報が大量にまぎれこんでいる。ネット検索を使い慣れている人ならばともかく、コンピューターに詳しくないユーザーならば詐欺広告にひっかかるのもむべなるかな、だ。

 これだけ使い勝手が悪ければユーザーが逃げ出しそうなものだが、唯一のライバルだったグーグルはネット検閲にキレて中国市場から撤退しているだけに別の選択肢はない。

中国民間病院市場の80%を牛耳る一大勢力

 もう一つのキーワードが「莆田系」病院だ。福建省莆田市出身者が経営する民間病院の総称だが、今や中国民間病院市場の80%を牛耳る一大勢力となっている。詳しくは後述するが、今や公立病院の一部も傘下におさめている。魏則西さんが治療を受けた武装警察北京市総隊第二医院生物診療センターも、莆田系の一角を担う康新公司の旗下。公立病院が民間に飲み込まれるとは驚くべき事態だが、それほどまでに莆田系の権勢が強いことのあらわれだ。

 2014年には業界団体である莆田(中国)健康産業総会を設立したが、元国務委員(国家組織のトップ)の陳至立氏が総顧問、元中国衛生部副部長の殷大奎氏が高級顧問を務めるなど強大な政治的背景を持っていることを明らかにした。

【参考記事】北朝鮮、海外に「インチキ病院」の怪ビジネス

 その歴史は意外と新しい。改革開放から間もない1980年代のこと、莆田市庄徳鎮の人々は行商の薬売りとして中国全土に進出していった。電柱やマンションの壁に性病や皮膚病に関する薬の広告を山のように貼り付けていくというスタイルで成功した。後に宣伝媒体は新聞、テレビと範囲を広げ、現在ではインターネットを広告の主戦場としている。

 ゆえに莆田系は百度にとっては最大のお得意様である。百度は2013年に260億元の広告売り上げを記録しているが、うち120億元は莆田系だったと福建省莆田市の党委員会書記は発言している。昨年3月、百度はいかがわしい広告を閉め出すために広告審査基準の厳格化を発表したが、これに莆田系は広告出稿停止という強硬手段で対抗。公式アナウンスはないが、以前と同様の問題広告が掲載されているところを見ると、中国IT企業の巨頭・百度も譲歩せざるを得なかったようだ。

 また今年1月には広告以外での蜜月も明らかとなった。百度が運営するネット掲示板「百度貼吧」の血友病板(血友病について語り合うスレッド)が莆田系病院に売却されるという事件だ。専門機関を管理人とする「商業提携」という触れ込みだったが、患者たちが自由な意見交換をするネット掲示板を売り渡したとして批判が殺到。商業提携は撤回された。



 莆田系の進化は宣伝だけにとどまらない。業態は薬の販売から始まり、民間病院の経営へと発展。中国全土に次々と莆田系の民間病院が誕生した。小さな診療所の類もあれば、立派な大病院までさまざまだ。知人の中国人は魏則西事件をきっかけに、近所の大病院が実は莆田系だったと知り驚いていた。前述したように、今では中国民間病院市場の80%を占めている。

 民間病院、診療所は避けるべきというのが中国人の多くの感覚だ。しかし公立病院の中にまぎれこんでいるとあってはもはや避けることは難しい。

 1990年代、中国では多くの公的機関が独自の収入源を求めて苦慮していた。病院とて例外ではない。そこで大手公立病院と莆田系の提携が始まった。大手公立病院の中で「泌尿器科」「皮膚科」など一部の診療科だけ、まるごと莆田系が運営を請け負うというもの。さすがに被害が大きすぎるとして、2004年に中国衛生部は公立病院による診療科の外注請負禁止を指示したが、強大な政治力を持つ軍と武装警察には禁止令も効果を持たなかったようだ。今も人民解放軍系・武装警察系病院の多くは莆田系に診療科を外注している。

怪しげな情報があふれ、地縁ネットワークが強大な社会

「百度」と「莆田系」という二つのキーワードを紹介したが、前者は中国社会には怪しげな情報があふれていることを如実に示している。検索サイトの上位に表示されている情報、大手病院が発信している情報など、なんとなく信頼できそうなソースですら平気でウソが混じっている。事情に詳しい人ならば疑心暗鬼にかられ、詳しくない人は食い物にされるのが中国だ。

 後者のキーワードが示すのは中国の地縁ネットワークの強さだ。行商の薬売りの地縁ネットワークが、わずか30年間で中国民間病院を支配する巨大グループを形成したのだ。今では新たに病院、診療所を開設する莆田市の出身者に創業資金を融通する金融サイトまで登場するなど、地縁ネットワークのエコシステムは成長を続けている。

 ある1人の成功を同郷者が模倣して巨大ネットワークを形成していく。中国各地で見かける軽食屋「沙県小吃」など、こうした例は枚挙にいとまがない。日本でも東京・池袋のチャイナタウンは今や大半が中国東北料理の店だが、それもまた成功者の伝手をたどり模倣して発展していく中国的地縁ネットワークの結果である。

 魏則西事件はまさに中国社会を読み解くための格好の事例ではないだろうか。

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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