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『海よりもまだ深く』是枝裕和監督に聞く

ニューズウィーク日本版 2016年5月17日 16時20分

 新作公開が多くの人に待ち望まれる映画監督の1人であり、国内だけでなく海外の映画祭受賞や一般公開でもたびたび話題になってきた是枝裕和。『そして父になる』『海街diary』に続く新作『海よりもまだ深く』(5月21日公開)では、かつて是枝が暮らした東京都清瀬市の旭が丘団地を撮影地に、ほろ苦い家族の物語が描かれる。『歩いても 歩いても』(08年)と同じく阿部寛と樹木希林が親子役で、是枝は2人を念頭に脚本を書いたという。

 阿部が演じるのはそのクズっぷりが見事な中年作家の篠田良多。15年前の文学賞受賞以降は鳴かず飛ばずで今は興信所に勤めているが、周囲にも自分にも「小説の取材のため」と言い聞かせている。ある台風の夜、良多は団地で独り暮らしをする母・淑子(樹木希林)、愛想を尽かして離婚した元妻の響子(真木よう子)、息子の真悟と共に過ごすことになり――。

 作品の背景や国際映画祭、団地のお風呂や西武線まで、是枝に話を聞いた。

――作品の着想は2001年と、かなり前に遡るそうだが。

 着想というほどの大きなものがあった訳ではないが、団地を撮りたいと思ったのがそのくらいの時期。父親が死んで母親が独り暮らしを始め、実家がある団地に帰ったら以前のように遊んでいる子供がいなくて、木だけが大きくなっていて......この情景を撮っておきたいな、と思ったんです。具体的に物語を考えてノートに書き始めたのは09年で、そこが出発点だった。

 脚本を書き始めたのは13年夏で、ノートにはもう結構な量のエピソードがたまっていた。父親の仏壇に線香を立てようとしてうまく刺さらなくて......という劇中の良多のようなことを自分がしていたときに、映画の設定やシーンが思い浮かんだ。「今なら書けるかもしれない」と思い立って、『海街diary』の脚本と並行して進めていった。

――夫に苦労させられながら結婚を続けた淑子と、良多と離婚した響子の対比が感じられる。失われた昭和の家族の形のようなことをテーマにしたのか。

 そういう大きな観念的なことはなるべく考えないようにした。自分がやろうとしたのは、仏壇周りでどれだけの話を作れるかということ。お供え物は姉が働いている和菓子屋の品で、脇に硯があってというディテールや、父親が亡くなって半年だから喪中ハガキを書くといった具体的なエピソードから物語に入っていく。そこから徹底的に離れない。昭和と平成の対比みたいなことは考えなかった。



良多は元妻と息子と一晩を過ごすことになったが、そこには何とも微妙な距離感が ©2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ

――良多の父親は亡くなっているが、物語の中では大きな存在感がある。是枝さん自身にとって、今はいないが大きな存在という人はいるか。

 ずっと支えてくれていた、エンジンフィルムという会社の会長だった安田(匡裕)さんが09年に亡くなられた。65歳だったかな。製作資金を出してくれていたし、精神的にも父親代わりだったその人が亡くなって、「自分が大人にならないと。もうスネをかじれない」と、すごく切実に感じた。その人にわがままを言っていれば何とかなるというような、どこか甘えているところがあったから。

 そういうことがないと大人にならないんだね。でもいまだに企画を考えながら、「安田さんなら何て言うかな」「『やめとけ』って言うかな」って思ったりする。

――大人になるというのは具体的にはどんなこと? お金の面まで考えて製作するといったことか。

 お金の面まで考えて製作していたのはずっとそうなんだけど(笑)。自分が子供として誰かにぶら下がるのではなく、僕の下を考えるようになったかな。誰かを育てようということではないし、「後進のため」と言うのも格好良すぎるんだけど......。自分が鎖の1つとなって、誰かにつないでもらったものを、誰かとつないでいく。

――『海よりもまだ深く』はカンヌ国際映画祭(5月11日開幕)の「ある視点部門」に出品されている。「僕はカンヌにあまり愛されていない」と以前にインタビューで話していたが、そろそろ愛されていると思い始めた?

 いや。

――まだ思わない?

 カンヌに行っても宣伝キャンペーンでイギリスやフランスなどを回っても、ヨーロッパのお客さんが待ってくれている、愛してもらえているという実感は覚えるようになった。映画祭に関しては、僕はベネチア国際映画祭が出発点だから(*)。こういう言い方は嫌いだけど、ベネチアが「発見した」アジアの監督なんです。発見という言葉にある種、差別的な匂いがあるのですが、いまだにヨーロッパとアジアはそういう関係にある。

 ベネチアが発見した作家は、カンヌにとってはたぶんお客さん。カンヌが発見して、カンヌでカメラドールを取ってというのとはちょっと違う。ただカンヌで継続してワールドプレミアを行わせてもらっているし、ここ数作で「ようやく仲間に入れてもらえたかな」という感じはする。

*95年に長編第一作の『幻の光』が金のオゼッラ賞を受賞。



ギャンブル好きの良多に付き合う後輩探偵役の池松壮亮(右)もいい味を出している ©2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ


――じゃあ今回も楽しみですね。

 でも正直言うと、この小さな話をカンヌに持っていくのはかなりチャレンジングなんだ。選んでもらえたことは誇りに思うが、ヨーロッパで家族の話といえば人種や移民の問題を背景にするのが大前提だったりするから。まず笑ってくれるかどうか。だってドリフなんて知らないし、仏壇の灰にも感情はわかないでしょ?

『歩いても 歩いても』はフランスで温かく受け入れてもらい、劇場に来てくれたお客さんも日本より多かった。でも、「バス停であの親子は握手をするけど、なぜハグしないのか」と聞かれた。「日本でハグはしない。親子ではたぶん握手すらしない」と言ったら、かなり驚かれた。だから今回の作品の親子関係のどういうところが冷たく見えて、どういうところが甘いと見えるのかは分からない。

――「なりたかった大人になれるわけじゃない」というのが映画のテーマでもある。「なりたかった大人」になれている感じはするか。

 今はこの仕事が自分に合っていると思っていますが、なりたかった職業かといえばそうではなくて。ずれてここにたどり着いちゃった。

――もともと小説家を志望していたそうだが、これからチャレンジする可能性も?

 ないないない。書いてみたことはあるが、自分に小説の才能はないと分かりました。先日、小説家の小川洋子さんと初めて対談したんだけど、小川さんは僕と同い年で、同じ大学の同じ学科なの。早稲田の第一文学部の文芸専修。そして海燕文学新人賞を取って芥川賞という、当時の僕が思い描いていた大人になった人です。僕の目の前に、自分がなりたかった大人がいた。

 結果的には良かったけどね。それこそこの仕事は僕を大人にしたと思う。小説家という1人でやる仕事で食えるようになっていたら、もっと偏屈になっていた。もともとコミュニケーション能力はあまりないが、仕事で必要だからいろんな人と話せるようになった。今でも自分は嫌なやつだと思うが、この仕事で「社会化」されたんです。それはすごくよかった。

――良多みたいな男が実際に自分の周りにいたらとんでもなく迷惑だが、この映画では、どこか愛すべき人に思えてしまう。阿部さんの存在感なのか、脚本のうまさなのか。

 阿部さんじゃないですかね。阿部さんと一緒に考えていたのは、「こんな人がそばにいたら嫌だ」と思われても、「もう見たくない」とは思われないようにしようということ。もう見たくないと思われたらダメだから、そのぎりぎりのところが重要だった。

 彼が真木さんの膝を触る場面で、僕は脚本に「足首に触る」と書いた。そうしたら阿部さんはずっと「足首かぁ」と悩んでいた。「真木さんは小柄で、体の大きい僕が足首を触ったらかなり威圧的に見える......監督、足首じゃなくてもいいですか」と。膝のほうが笑えたね、たぶん。足首をつかんだら、キャラクター的に少し強く出たかもしれない。

――良多の入浴場面に驚いたが、あの旧式の風呂は実際に残っているのか。

 残っていない。団地は空き室になると、まず風呂と水回りを新しくするから。

――それをわざわざ旧式のものにしたのは?

 良多たちが泊まるとなったとき、母親が「じゃあ、お風呂沸かそう」って急に元気になる。リビングから風呂場に行って、ガスを点火するんだけど、そのときの「ガチャコン、ガチャコン」ってハンドルを回す音がほしかったの。

 僕自身があの音を聞いて、母親が嬉しそうだと思った記憶があるわけ。久し振りに実家に帰って風呂に入る、つまり泊まっていくことを母親が喜んでいる。自分にとってはそういう音。だからどうしてもあの音を撮りたかった。



――自分が暮らした旭が丘団地で撮ることが大前提だった? 母親が暮らしているのが団地ではなく一戸建てだったらかなり違う雰囲気になったと思うが、団地の「場所性」が物語に与えた影響は? 

 出身地で撮ることになったのはたまたまなんです。いま東京近郊で撮影許可が出る団地は1つしかない。(映画やドラマで通常使われているのは)ほとんど同じ団地ですよ。みんなが使う団地は嫌だからほかを探したが、許可が出なくて。旭が丘団地には、「監督が出身だからどうしても撮りたい」と頼み込んでもらった。

 原武史さんの『滝山コミューン一九七四』と『レッドアローとスターハウス』には、僕が育った西武線沿線と団地の風景というものにどういう歴史的意味や価値があるのかとか、それが東急とどういう対比で生まれて、どう失敗していくのかが書かれている。それを読んだとき、自分の10代、20代はこうやって語れるんだとすごく嬉しかった。だから、いつか西武線を撮りたかったの。西武も団地と同じくらい撮影許可が出ない電車で、今回ようやく出た。

 旭が丘団地は西武線の駅から、西武バスに乗っていく。駅から遠いから住民が入れ替わらない。駅前だと人の入れ替わりが多くて建て替えなどの新陳代謝が起きるけど、バスに乗ってあそこまで行くと老人だけなんだよね。

 ちょうど団地も50歳だし、主人公も50に手が届くところまで来ている。「思ったところにたどりつかなかった」という主人公の思いを団地に重ねる、なりたかった大人になれなかったものとして団地を描いたということはある。

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――阿部さんが「良多」を演じるのは3作目で、『そして父になる』で福山雅治が演じた主人公の名前も良多。トリュフォーの「アントワーヌ・ドワネル」シリーズのように、主人公を1つの流れでとらえているのか。

 単に面倒くさかっただけ(笑)。高校のバレー部の後輩に矢野良多くんというのがいて、彼の名前なの。「良いことが多い」っていい名前だと思っていて、『歩いても 歩いても』で使ったらしっくりきた。名前を考えるのって面倒くさいというか、凝った名前を考えたりするのはなんだか恥ずかしい。

『歩いても 歩いても』は自伝とは言わないけど、亡くなった母親との思い出で書いている部分が大きい。それと同じように自分の経験から立ち上げた作品は「良多」で書き始めちゃう。だから、今回の仏壇を掃除している男は良多なんです。

――キャリアの始まりはテレビのドキュメンタリー番組だが、またドキュメンタリーに戻る可能性は。

 両方やれるなら両方やっていきたいと思っています。赤ちゃんポストの問題など調べていることはあるが、今はフィクションのための材料集めになっている。劇映画を撮れる状況にあるので、そちらに比重が傾いている。でも、精神的に健全でいるには両方やったほうがいい。

――自分の中でのバランスという意味で?

 うん。予算的な問題を除けば、フィクションの現場って思うようにならないことが少ない。みんな自分のために動いてくれるから。ドキュメンタリーを撮るときのように、自分の思い通りにならない現場に立って、どうしようって考える必要がある。そういう状況がなくなっていくと、硬直化する気がする。監督がいちばん偉い現場じゃない方がいい瞬間がある。




――監督をしていなかったら偏屈になったというが、基本的には優しい人間なのでは?

 優しくない。

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――以前にインタビューしたとき、高校時代の先生と卒業後に手紙のやり取りをしていたという話があった。何か事情があってのこととだろうが。

 それは罪滅ぼしみたいなものだった。先生をばかにしていて、国語の授業中にあからさまに別の小説を読んだり、さぼったりしていた。面談で「是枝さんは僕の授業がつまらないですか?」って聞かれて、「つまらないですね。先生はいつも自分の考えを述べずに、生徒が何か言えば『そういう捉え方もありますね』で済ます。それが面白くない」って言ったの。

 先生は「教師という立場の自分が何か言うことで、生徒の自由な発想を否定したくない」というようなことを、もごもごと言ったわけ。そのときは「こいつ逃げているな」と思った。でも自分が物を作るようになってから、遠藤先生が言っていたのはこういうことかと気が付いたんです。作品のテーマを語ってしまうことが、いかに作品から離れていくかということに。作り手が「この作品のテーマはこうです」と言うことはたぶん抑圧的に働いて、見る人にとってはよくない。

 だから「先生の言っていたことが正しいと分かった」と手紙を書いた。そうしたら返事が来て、作品の鑑賞チケットを送ったら感想が来て、ということがずっと続いている。やっぱり失礼だったからね、自分の態度は。




大橋 希(本誌記者)

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