トランプとクリントンの対決が確定的となったアメリカの大統領選挙。厳しい意見の対立が予想される二人だが、インフラ投資の重要性では見解が一致する。その背景には、一層のインフラ投資が求められるアメリカの事情がある。
劣化する公共インフラ
予備選挙が終盤を迎えた米国で、インフラ投資の重要性を示す象徴的な出来事があった。5月4日に行われた、オバマ大統領のオハイオ州訪問である。それは、共和党の予備選挙からクルーズが撤退を表明、トランプの候補指名獲得が決定的となった翌日のことだった。オハイオは大統領選挙でカギを握る大事な州だが、オバマ大統領の狙いは遊説ではない。水道水の鉛汚染で非常事態宣言が出されているフリント市の視察である。オバマ大統領は連邦政府が全力で事態に対処すると約束し、報道陣の前で濾過された水道水が入ったコップに口をつけるパフォーマンスまで行ってみせた。
フリント市の水道水汚染は、鉛を使った水道管が原因のひとつだ。鉛を使った水道管の使用は30年前から禁止されているが、それよりも前に敷設された多くの水道管が、いまだに全米各地で使われている。水道水の汚染は今回が初めてではなく、2001年には首都ワシントンで大規模な鉛汚染が発覚したことがある。
【参考記事】非常事態宣言まで出たフリント市の水道汚染は「構造的人災」
水道に限らず、米国ではインフラの劣化が問題視されて久しい。主要道路の3割は状態が良好ではなく、3割以上の橋が設計寿命を超えている。ワシントンでは地下鉄の老朽化が進んでおり、整備のために数か月にわたって運行停止とすることが真剣に議論されている有様だ。
【参考記事】日本より怖いアメリカのインフラ危機
【参考記事】ニューヨークは壊れている
インフラ通を自称するトランプ
その米国で、積年の課題であるインフラの立て直しに、追い風が吹いている。「小さな政府」を好み、公共投資に消極的だった共和党が、インフラ投資の推進を主張するトランプを大統領候補に選ぼうとしているからだ。
インフラの劣化に拍車をかけてきたのは、公共投資の伸び悩みである。連邦政府によるインフラ関連の公共投資は、2002年から2014年の間に2割程度減少している(図1)。フリント市でオバマ大統領は、「何があろうとも『政府は小さいほど良い』とする態度」が、鉛汚染の悲劇をもたらしたと指摘し、歳出拡大に反対してきた共和党を批判している。
共和党から大統領選挙に出馬しているにもかかわらず、トランプは小さな政府へのこだわりが少ない。むしろ、不動産業界での経歴からか、「これまで大統領選に出馬した誰よりも、インフラ投資のことを理解している」と豪語し、ことあるごとにインフラ投資の重要性を強調している。
民主党の候補指名獲得が濃厚なクリントンも、インフラ投資の促進を主張する。クリントンは、高速道路、水道、公共交通機関など、さまざまな分野に3,000億ドル近い投資を行うと公約している。
財政赤字の拡大が容認される可能性も
注目されるのは、財政赤字の拡大を容認するかどうかだ。財政赤字を拡大させずにインフラ投資を進めるのであれば、投資拡大に見合った財源が必要になる。法人税やガソリン税の増税が有力候補だが、財源確保に難航するようだと、実現できるインフラ投資の規模は小さくなる。
財政赤字の拡大を容認する機運はある。オバマ政権で経済担当大統領補佐官を務めていたハーバード大学のサマーズ教授は、世界的な需要不足により、長期的に成長率が低迷する可能性を指摘する。その有力な打開策は財政赤字を増やして需要を創出することであり、なかでもインフラ投資は有効な手法だとみなされている。
財政政策の活用は、米国経済にとどまらず、世界経済の成長を後押しする手段としても注目されている。5月26日から開催される伊勢志摩サミットでは、財政出動による内需の拡大が、重要な論点のひとつとなっている。
財政再建の切迫感が薄れていることも無視できない。米国の財政赤字は、すでに歴史的な平均を下回る水準にまで縮小している(図2)。オバマ政権下では金融危機への対応で膨らんだ財政赤字の縮小が大きな課題だったが、選挙後の新政権では財政赤字の緩やかな拡大を容認される可能性がある。
国政、財政の追い風だけで、インフラの再建が可能になるわけではない。例えば資金面では、いくら連邦政府が財政赤字の拡大を容認するといっても、それだけでは不十分だろう。クリントンはインフラ投資に3000億ドルを用意するというが、安全な飲料水を確保するための投資だけで、4000億ドル近くが必要になるとの試算もある。実際の投資プロジェクトを運営する州・地方政府と協力し、民間の資金を呼び込むような取り組みが必要となる。
とはいえ、連邦政府が積極姿勢に転じることは、インフラ再建の最初の一歩になる。トランプ旋風による混乱ばかりが心配される米国の今後だが、少なくともインフラ投資に関しては、悪いニュースばかりではなさそうだ。
安井明彦1991年富士総合研究所(現みずほ総合研究所)入社、在米日本大使館専門調査員、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長、同政策調査部長等を経て、2014年より現職。政策・政治を中心に、一貫して米国を担当。著書に『アメリカ選択肢なき選択』などがある。
安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)
劣化する公共インフラ
予備選挙が終盤を迎えた米国で、インフラ投資の重要性を示す象徴的な出来事があった。5月4日に行われた、オバマ大統領のオハイオ州訪問である。それは、共和党の予備選挙からクルーズが撤退を表明、トランプの候補指名獲得が決定的となった翌日のことだった。オハイオは大統領選挙でカギを握る大事な州だが、オバマ大統領の狙いは遊説ではない。水道水の鉛汚染で非常事態宣言が出されているフリント市の視察である。オバマ大統領は連邦政府が全力で事態に対処すると約束し、報道陣の前で濾過された水道水が入ったコップに口をつけるパフォーマンスまで行ってみせた。
フリント市の水道水汚染は、鉛を使った水道管が原因のひとつだ。鉛を使った水道管の使用は30年前から禁止されているが、それよりも前に敷設された多くの水道管が、いまだに全米各地で使われている。水道水の汚染は今回が初めてではなく、2001年には首都ワシントンで大規模な鉛汚染が発覚したことがある。
【参考記事】非常事態宣言まで出たフリント市の水道汚染は「構造的人災」
水道に限らず、米国ではインフラの劣化が問題視されて久しい。主要道路の3割は状態が良好ではなく、3割以上の橋が設計寿命を超えている。ワシントンでは地下鉄の老朽化が進んでおり、整備のために数か月にわたって運行停止とすることが真剣に議論されている有様だ。
【参考記事】日本より怖いアメリカのインフラ危機
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インフラ通を自称するトランプ
その米国で、積年の課題であるインフラの立て直しに、追い風が吹いている。「小さな政府」を好み、公共投資に消極的だった共和党が、インフラ投資の推進を主張するトランプを大統領候補に選ぼうとしているからだ。
インフラの劣化に拍車をかけてきたのは、公共投資の伸び悩みである。連邦政府によるインフラ関連の公共投資は、2002年から2014年の間に2割程度減少している(図1)。フリント市でオバマ大統領は、「何があろうとも『政府は小さいほど良い』とする態度」が、鉛汚染の悲劇をもたらしたと指摘し、歳出拡大に反対してきた共和党を批判している。
共和党から大統領選挙に出馬しているにもかかわらず、トランプは小さな政府へのこだわりが少ない。むしろ、不動産業界での経歴からか、「これまで大統領選に出馬した誰よりも、インフラ投資のことを理解している」と豪語し、ことあるごとにインフラ投資の重要性を強調している。
民主党の候補指名獲得が濃厚なクリントンも、インフラ投資の促進を主張する。クリントンは、高速道路、水道、公共交通機関など、さまざまな分野に3,000億ドル近い投資を行うと公約している。
財政赤字の拡大が容認される可能性も
注目されるのは、財政赤字の拡大を容認するかどうかだ。財政赤字を拡大させずにインフラ投資を進めるのであれば、投資拡大に見合った財源が必要になる。法人税やガソリン税の増税が有力候補だが、財源確保に難航するようだと、実現できるインフラ投資の規模は小さくなる。
財政赤字の拡大を容認する機運はある。オバマ政権で経済担当大統領補佐官を務めていたハーバード大学のサマーズ教授は、世界的な需要不足により、長期的に成長率が低迷する可能性を指摘する。その有力な打開策は財政赤字を増やして需要を創出することであり、なかでもインフラ投資は有効な手法だとみなされている。
財政政策の活用は、米国経済にとどまらず、世界経済の成長を後押しする手段としても注目されている。5月26日から開催される伊勢志摩サミットでは、財政出動による内需の拡大が、重要な論点のひとつとなっている。
財政再建の切迫感が薄れていることも無視できない。米国の財政赤字は、すでに歴史的な平均を下回る水準にまで縮小している(図2)。オバマ政権下では金融危機への対応で膨らんだ財政赤字の縮小が大きな課題だったが、選挙後の新政権では財政赤字の緩やかな拡大を容認される可能性がある。
国政、財政の追い風だけで、インフラの再建が可能になるわけではない。例えば資金面では、いくら連邦政府が財政赤字の拡大を容認するといっても、それだけでは不十分だろう。クリントンはインフラ投資に3000億ドルを用意するというが、安全な飲料水を確保するための投資だけで、4000億ドル近くが必要になるとの試算もある。実際の投資プロジェクトを運営する州・地方政府と協力し、民間の資金を呼び込むような取り組みが必要となる。
とはいえ、連邦政府が積極姿勢に転じることは、インフラ再建の最初の一歩になる。トランプ旋風による混乱ばかりが心配される米国の今後だが、少なくともインフラ投資に関しては、悪いニュースばかりではなさそうだ。
安井明彦1991年富士総合研究所(現みずほ総合研究所)入社、在米日本大使館専門調査員、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長、同政策調査部長等を経て、2014年より現職。政策・政治を中心に、一貫して米国を担当。著書に『アメリカ選択肢なき選択』などがある。
安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)