<就任後に訪問したプラハでは演説で「核廃絶」をぶちあげたオバマだが、その後のオスロのノーベル平和賞の受賞スピーチでは国内の反発を受けてすっかり委縮。任期8年の外交を総括するとも言える広島訪問ではどんなスピーチを行うか注目される>
オバマ大統領は、日本のG7に行く前にベトナムを訪問しています。ハノイ空港に到着した青い「エアフォースワン」の機体に黄色いタラップがかけられ、そこからオバマが降りてくる「映像」がすでに報道で流れています。実は、現職のアメリカの大統領がベトナムを訪問するのはこれが初めてではなく、クリントン(2000年)、ブッシュ(2007年)に次ぐものです。
今回のベトナム訪問に関して、大きなテーマとなったのが「武器禁輸の解除問題」です。現在の統一ベトナムというのは、ベトナム戦争ではそれこそ死力を尽くして戦った相手ですから、長い間「禁輸対象」から外すことができなかったのですが、いよいよ解除することになりました。
具体的には、中国を刺激するのは避けつつも、中国に対して「南シナ海」問題での米越の結束は示したい、その微妙なバランス感覚の中で、この判断は下されたのだと思います。
一方で、「オバマがベトナムへ行くのは、謝罪のためではないか?」という批判も出ています。保守派のFOXニュースでは、そのような扱いをしており、「ベトナムと広島というのは謝罪ツアーではないか」という批判の声もあります。
【参考記事】オバマ大統領の広島訪問が、直前まで発表できない理由
過去の大統領のベトナム訪問に関して言えば、例えばクリントンの場合は、自ら国交正常化をはかり、その仕上げとして行ったわけです。ですから、その意義というのはまさに歴史的でした。「若き日にベトナム反戦運動を行った大統領が、現職として初めてベトナムの地を踏む」ということで、大いに話題になりました。
ですが、この時もアメリカ国内では保守派からの批判がありました。戦争の惨禍、とりわけソンミなどの虐殺事件や、枯れ葉剤の使用などについて、アメリカの大統領が「謝罪」の姿勢を見せるのは許せないという批判です。そして、今回のオバマに対しても同様の議論があります。
というよりも、オバマの場合、ビル・クリントンよりも、もっと「深刻」なものを抱えていると言っていいでしょう。それは、大統領に就任した直後の2009年に始まります。
2009年の4月、チェコのプラハを訪れたオバマは、有名な「核廃絶演説」を行いました。まさに今回の「広島訪問」へとつながる、オバマの「核に対する哲学」の表明がされたのです。この時には、アメリカの国内では、一部に反対論があったものの、世界各国から高く評価されたこともあって、大きな騒ぎにはなりませんでした。
問題は、この年の10月に「ノーベル平和賞」受賞のニュースが流れたことです。この時には、アメリカ国内は大変な騒ぎとなりました。とにかく、景気が最悪の状態であることが背景にあり、その一方で、大統領が国際協調政策によって「世界から評価される」ことは、アメリカのために働いているのか、世界のために働いているのかわからないというのです。
その反発は大きく、4月に遡って「核廃絶演説」を否定せよというような論調も見られました。また、その直後に「アフガンへの増派」を決定した際には、今度は世界から「平和賞をもらっておきながら、戦争にのめり込むとは何事か」という批判も浴びたのです。結果的に、12月10日にオスロで行われた授賞式でのスピーチは、反対派を意識した何とも中途半端なものとなりました。
就任1年目にこうした「激しい洗礼」を受けたオバマ政権というのは、以降は姿勢を少し変えていきました。どのようなアプローチかというと、要するに反対派を刺激しない方法です。面倒なことは説明しないとか、細かな工夫でバランスを取るといった方法論で、世論からの「集中砲火」を避ける手法です。
例えば、ベトナムへの武器供与に関しては、同国の人権重視の姿勢が進展しなければ拡大はできないとして、禁輸を解除しても「すぐに取引が爆発的に伸びるわけではない」としています。こうした「条件」をどうして入れるかというと、アメリカの国内世論を意識しての行動と言えます。
【参考記事】安倍首相の真珠湾献花、ベストのタイミングはいつか?
広島に関しても同様で、色々と細かなことをやっています。例えば、直前になって第2次大戦中に日本軍の捕虜となった人物を帯同するプランを発表したのも、その一つでしょう。また、発表するプロセスについても、まずケリー国務長官が訪問し、世論に対する一種の根回しを行い、そのリアクションを確認した後、大統領の訪問に関しては慎重にタイミングを図って発表したのも同じ理由です。
アメリカの大統領というのは、非常に大きな権限があります。ですから、こういった問題に関して、例えば「オバマ・ドクトリン」とか「オバマ・ビジョン」のようなものを大きく「ブチ上げ」て、もっと堂々とベトナムや広島に行くことも、できるはずです。ですがオバマは、2009年の秋以降はそういった方法論は取っていません。
つまり、よく言えば「反対派を刺激しない」というキメの細かさがあり、悪く言えば「堂々と自分の主張を述べるのをやめてしまった」ことになります。けれども、これでは、この政権の8年間に関して言えば、そのメッセージ発信力は「尻すぼみ」になったということになりかねません。
今回の広島でのスピーチが、2009年4月のプラハで行ったような堂々たるものとなるのか、それとも2009年12月にオスロで行ったような中途半端なものとなるのか、大変に注目がされます。
オバマ大統領は、日本のG7に行く前にベトナムを訪問しています。ハノイ空港に到着した青い「エアフォースワン」の機体に黄色いタラップがかけられ、そこからオバマが降りてくる「映像」がすでに報道で流れています。実は、現職のアメリカの大統領がベトナムを訪問するのはこれが初めてではなく、クリントン(2000年)、ブッシュ(2007年)に次ぐものです。
今回のベトナム訪問に関して、大きなテーマとなったのが「武器禁輸の解除問題」です。現在の統一ベトナムというのは、ベトナム戦争ではそれこそ死力を尽くして戦った相手ですから、長い間「禁輸対象」から外すことができなかったのですが、いよいよ解除することになりました。
具体的には、中国を刺激するのは避けつつも、中国に対して「南シナ海」問題での米越の結束は示したい、その微妙なバランス感覚の中で、この判断は下されたのだと思います。
一方で、「オバマがベトナムへ行くのは、謝罪のためではないか?」という批判も出ています。保守派のFOXニュースでは、そのような扱いをしており、「ベトナムと広島というのは謝罪ツアーではないか」という批判の声もあります。
【参考記事】オバマ大統領の広島訪問が、直前まで発表できない理由
過去の大統領のベトナム訪問に関して言えば、例えばクリントンの場合は、自ら国交正常化をはかり、その仕上げとして行ったわけです。ですから、その意義というのはまさに歴史的でした。「若き日にベトナム反戦運動を行った大統領が、現職として初めてベトナムの地を踏む」ということで、大いに話題になりました。
ですが、この時もアメリカ国内では保守派からの批判がありました。戦争の惨禍、とりわけソンミなどの虐殺事件や、枯れ葉剤の使用などについて、アメリカの大統領が「謝罪」の姿勢を見せるのは許せないという批判です。そして、今回のオバマに対しても同様の議論があります。
というよりも、オバマの場合、ビル・クリントンよりも、もっと「深刻」なものを抱えていると言っていいでしょう。それは、大統領に就任した直後の2009年に始まります。
2009年の4月、チェコのプラハを訪れたオバマは、有名な「核廃絶演説」を行いました。まさに今回の「広島訪問」へとつながる、オバマの「核に対する哲学」の表明がされたのです。この時には、アメリカの国内では、一部に反対論があったものの、世界各国から高く評価されたこともあって、大きな騒ぎにはなりませんでした。
問題は、この年の10月に「ノーベル平和賞」受賞のニュースが流れたことです。この時には、アメリカ国内は大変な騒ぎとなりました。とにかく、景気が最悪の状態であることが背景にあり、その一方で、大統領が国際協調政策によって「世界から評価される」ことは、アメリカのために働いているのか、世界のために働いているのかわからないというのです。
その反発は大きく、4月に遡って「核廃絶演説」を否定せよというような論調も見られました。また、その直後に「アフガンへの増派」を決定した際には、今度は世界から「平和賞をもらっておきながら、戦争にのめり込むとは何事か」という批判も浴びたのです。結果的に、12月10日にオスロで行われた授賞式でのスピーチは、反対派を意識した何とも中途半端なものとなりました。
就任1年目にこうした「激しい洗礼」を受けたオバマ政権というのは、以降は姿勢を少し変えていきました。どのようなアプローチかというと、要するに反対派を刺激しない方法です。面倒なことは説明しないとか、細かな工夫でバランスを取るといった方法論で、世論からの「集中砲火」を避ける手法です。
例えば、ベトナムへの武器供与に関しては、同国の人権重視の姿勢が進展しなければ拡大はできないとして、禁輸を解除しても「すぐに取引が爆発的に伸びるわけではない」としています。こうした「条件」をどうして入れるかというと、アメリカの国内世論を意識しての行動と言えます。
【参考記事】安倍首相の真珠湾献花、ベストのタイミングはいつか?
広島に関しても同様で、色々と細かなことをやっています。例えば、直前になって第2次大戦中に日本軍の捕虜となった人物を帯同するプランを発表したのも、その一つでしょう。また、発表するプロセスについても、まずケリー国務長官が訪問し、世論に対する一種の根回しを行い、そのリアクションを確認した後、大統領の訪問に関しては慎重にタイミングを図って発表したのも同じ理由です。
アメリカの大統領というのは、非常に大きな権限があります。ですから、こういった問題に関して、例えば「オバマ・ドクトリン」とか「オバマ・ビジョン」のようなものを大きく「ブチ上げ」て、もっと堂々とベトナムや広島に行くことも、できるはずです。ですがオバマは、2009年の秋以降はそういった方法論は取っていません。
つまり、よく言えば「反対派を刺激しない」というキメの細かさがあり、悪く言えば「堂々と自分の主張を述べるのをやめてしまった」ことになります。けれども、これでは、この政権の8年間に関して言えば、そのメッセージ発信力は「尻すぼみ」になったということになりかねません。
今回の広島でのスピーチが、2009年4月のプラハで行ったような堂々たるものとなるのか、それとも2009年12月にオスロで行ったような中途半端なものとなるのか、大変に注目がされます。